第11話 お買い物に行きます。

「何だか、私もだるいわ……」


 アンチュセール伯爵の件をラファエウに伝えさせると、私はドッと疲れを感じてソファーに座り込んだ。

 メイドのメアリが運んできてくれたお茶を眺めていると、それを飲むのを少しだけためらいそうになる。


(皆に、どう注意すればいいかしら)


 騒ぎ立てないようにするには、信用できる一部の人間にのみ伝えるしかない。

 お義母様が屋敷にいる者たちを信じられなくなったように、全員を信用するのは難しい。信頼したいと言いたいが、屋敷内にスパイがいてもおかしくないからだ。


(もし、第二夫人が関わっていれば、あり得なくもない)


 私の記憶喪失に関しては周囲の者たちしか知らないので、スパイがいても気付かれていないと思うのだが、茶葉に麻薬が混じっているかもしれないと注意奮起すれば、お屋敷の全員が知ることになるだろう。


「奥様、お疲れのところ申し訳ありませんが、建国記念パーティのお衣装はどうされますか? そろそろ用意をしなければならないのですけれど」


 最近、屋敷のことやらお茶会やらで、いつもより忙しくしていたので、いつまで経っても用意をしないことに不安を持ったようだ。メアリがおずおずと聞いてくる。放っておくと間に合わせで済ませるつもりだと察したのだろう。

 メアリの想像通り、前に着た物でも良いかな。などと思っていたのが、さすがに建国記念パーティではまずいだろうか。


(昨年は喪中で参加していなかったようね)


「何でもいいと言いたいけれど、ダメよね?」

「ダメです! ぜえっったい、ダメです!! そう言うだろうと思って、旦那様からも命令されています!!」

「め、命令??」

「奥様がお忙しいので、お屋敷に人を呼ぼうかと思われていたようですけれど、お疲れだからこそ気晴らしに街でゆっくり買い物をなさるようにと。奥様は人を呼ぶより外に出る方が好むからとご指示いただいてます! なので、外に買い物に行きます。予約済みです!!」

「まあ」


 ラファエウは私が衣装を後回しにすることを想定して、既に店を押さえていると言う。


「ラファエウの衣装はどうするのかしら?」

「奥様に合わせますので、奥様の後です」


 建国記念のパーティなのだから、それなりに気合は入れたい。そんなラファエウの意気込みが見えるようだ。私は、うふふ。と笑って、その提案に頷いた。



 買い物は気分転換になる。馬車に乗って街の景色を眺めたり店の物を見たりするだけで、疲れていても楽しめるものだ。

 ジルベルトのことや麻薬のことはもちろん気になるが、ラファエウがせっかく用意してくれた時間を満喫したい。


 信頼できる者にのみ、今回の事件を伝え、食事やお茶に普段以上気を付けるよう念を押し、私は予約された日に出掛けることにした。薬については既にラファエウから厳重に注意するよう話があったそうで、安心して外出する。


(ラファエウにも来てほしかったけれど、彼も忙しくなってしまったから難しいわね。たまには二人でお出掛けも良いけれど)


 せめてドレスを購入したら試しに着て見せても良いだろうか。いや、パーティ当日まで着るのはやめておこうか。

 そんなことを考えつつ、店の者たちが持ってくるドレスを選ぶ。


「奥様、これもこれも。これも! いかがですか!?」


 メアリの目が爛々としていた。店の者たちも私を着飾るのが楽しいのか、あれこれとドレスを選んでくれる。


「お似合いですー! でも、こっちも、あ、奥様、こちらもどうですか??」


 メアリと店の者たちは私を着せ替え人形のごとく何度も着替えさせた。良いものもあったのだが、別の衣装も着てほしいとねだられて、再び着替え直す。

 あれこれとメアリと店の者たちの意見を聞きつつ、自分の好みやラファエウの好みも考えつつ、やっとドレスや装飾品などが決まった頃には、私は疲労困憊だった。


「お疲れ様でした。奥様! 素敵な衣装が選べて良かったです!!」

「みなさんもお疲れ様。こんな時間になってしまったわね」


 皆がやりきった顔をして満足げにしている。決まって良かったという表情だ。馬車はずっと外で待っていて、暇だったことだろう。


「荷物は馬車に運んでください」


 メアリの声に店の者たちが箱やらを移動させようとしていた時、にわかに大きな悲鳴が届いた。


「な、何!?」

「きゃああっ!」

「誰か、警備を呼んで!!」


 外で何人もの叫び声が交差する。後ろを向きながらすり足で下がる者。驚きに荷物を落とす者、何かを見ては一斉に走り出す。


「何の騒ぎが……」

「開けてはダメ!!」


 私が止める間もなく店の者が扉を開くと、外で立ち尽くしている男が人形のように首を捻り、こちらを見遣った。

 身なりのしっかりしている、貴族風の男。紺色の上着に白のズボンを履いていたが、ズボンがまだらのようになって汚れている。そして、その男の手にある鋭い長剣が、ぎらりと光って見えた。


「ひっ!!」

「こっちに来る。扉を閉めなさい!」

「きゃああっ!!」


 店の者が急いで扉を閉めようとしたが、剣を持った男が締めようとした扉に足を突っ込んできた。足を挟まれても隙間から必死の形相で顔を覗かせる。

 すぐに扉が開かれ、扉を閉めようとした女性が床に滑るように吹っ飛ばされた。

 ぽたり、と滲んだ朱色が雫となって床に落ちると、店の中の女性たちが一斉に悲鳴を上げた。


「お、奥様……っ」


 男がこちらをキロリと見遣る。メアリが私の隣で震えながらぺたりと床に座りこみ、それを見上げるように眺めた。


「それを、かして、」


 私は咄嗟に側にあったコートハンガーを手にした。一気に向かってくる男のその首めがけ、突き刺すように押さえ付ける。


「ぐげっ!」


 運良く喉元に入った瞬間、男がもんどりうつ。避けようとも思わなかったのか、そのまま勢いよく後ろに倒れた。

 しかし、頭を打っても痛みを感じないのか、目を血走らせてぎょろりと眼球を動かし、再び立ち上がる。手に持っていた剣は先ほどの転んだ勢いで落としてしまっているのに、私に目掛けて再び向かってきた。


「奥様っ!」

「侯爵夫人!!」


 つんざく悲鳴。私を呼ぶ者たち。その声が耳に入らぬほど切羽詰まったまま、私は握ったコートハンガーを男の腹に突き刺した。

 ぼたぼたと鮮血が流れ、男のズボンにそれが染みてまだらが増えた。


「ぐ、ぎ。」


 だが、男の向かってくる力は消えず、何かを掴むように、男が両手を泳がせて空を何度も握った。


「こいつ!!」


 瞬間、大振りされた花瓶が、男の頭に直撃した。

 ずるり、と倒れた男は目を回して気を失っている。

 はあはあと息切れしながら花瓶を振り下ろしたのは、馬車の御者だ。男が気を失ったのを見て、へなへなと床に座り込んでしまった。


「お、お、奥様……、お、お怪我は……」

「だ、誰か。警備兵を呼んできて!! 侯爵夫人、ご無事ですか!?」

「大丈夫よ。はー、驚いたわ……」

「おくさまあああっ!! ご無事でよかったですうぅぅっ!!」


 メアリが半泣きで抱きついてきた。私も気が抜けて床に座り込んでしまいそうだ。

 御者のおかげで助かった。御者は店の花瓶を投げて壊してしまったので、割れた破片を見つつ私を見ておろおろとうろたえている。

 それはこちらが弁償するから気にするなと言っておきたい。


「助かったわ。あなたに怪我はないわね」

「ござ、ございませんっ。奥様、早くここを出ましょう。お屋敷に、早く戻りませんとっ」

「奥様っ。早く帰りましょうっ!!」


 御者とメアリに泣きつかれ、私は腰が抜けそうな状態で背筋を伸ばす。

 男は白目を向いているが、服装から見るにやはり貴族だろう。私がぶつけたコートハンガーで首元も腹部も血だらけだ。

 警備の兵たちが今頃やってきて店の惨憺たる状態を見ながら、男の周りに集まり確保する。


「お怪我はなかったでしょうか」

「私たちは大丈夫ですよ。それより、何が起きたのかしら?」

「どうやら、男が突然剣を取り出し、人々を切り始めたようです」


 それがたまたまこちらに走り込み、店にいる私たちを狙ったようだ。

 正気には見えなかったが、だからこそ私が攻撃した程度で効いたのだろう。剣を持つ者ならば、普通コートハンガーを振り回されたら少しくらい怯むか剣で逸らすのに、この男は怯むことなく剣で払うことすらなく、私に突っ込んできた。


「そこの方、この男性の素性が分かったらお知らせください。私はハーマヒュール侯爵の妻です」

「こ、侯爵夫人でしたか! これは、失礼いたしました。ご無礼をお許しください! 素性が分かり次第、お知らせいたします!!」

「よろしくお願いしますね。どうやら正気を失っているようでしたので、目が覚めても暴れるかもしれません。腹部の傷は軽症ですが、勢いよくぶつかってきたので、刺しどころが悪いかもしれませんので、手当はしてください」

「承知いたしました!!」


 兵の良い返事を聞いて、私たちは屋敷に帰ることにした。震えるメアリと動揺している御者では不安だと、兵が二人侯爵邸まで付いてくることになり、屋敷に到着する頃には夕闇が空を包むような時間になっていた。

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