52−2 後日
「ハロウズ家。ここか」
手入れのされていない庭。廃れた屋敷。門は閉まっており、門を守る警備の一人もいない。門の外から見る庭園は荒れて、人の姿がまったく見えなかった。これが仲間になったところで、影響などあるのだろうか。
ハロウズ家の名は聞いたことはあるが、長く政治から離れている家で、仲間にしたところで何か変わるように思えない。しかし、それでもオクタヴィアンには必要なのだろう。
ガロガから降りると、男が一人やってきた。
「アシャール様でいらっしゃいますか? お待たせして申し訳ありません。どうぞこちらへ」
白髪混じりの身なりの綺麗な男がやってきて、門を開ける。執事しかいないのか、騎士の一人も見当たらない。
ハロウズ家の凋落ぶりが思った以上にひどい。オクタヴィアンが手を差し伸べたのは一度きりで、それ以上は無理だったとしても、ハロウズ家からアシャール家に助けを求めるべきだっただろう。ハロウズが動くことができず、夫人ではなにもできなかったのかもしれないが。
アシャール家も表立って動くことができていなかった。それでもここまで没落しているとわかれば、秘密裏に手を差し伸べただろうに。
ハロウズの体調が悪く、長年患っていたこともあって、夫人も諦めの境地だったのか。
「こちらです」
ハロウズは治療士に治療してもらったはずだが寝たきりで、部屋に入っても目を覚まさなかった。
額に触れて治療を行えば、心臓に暗がりが見える。長年患っているせいで、体全体に薄黒い物が見えた。体力的な問題もあるだろう。病で疲れ切った体が治りを遅くしている。だが、治せない病ではない。
しばらく癒しをかけていれば、重そうに瞼を上げた。執事が歓喜の声を上げるが、筋力が戻っていないため、ハロウズは動くことができない。これを治すことはできるが、体の衰えを急に治療すると、副作用が出る。何度か続けて行う必要があった。
「旦那様! 神官の方がいらっしゃって、治療をなさってくださいました」
「治療は一週間後にもう一度、複数回に分けて行います。今は、食事などで体力を戻すようにしてください」
ハロウズは頷く。声がでにくいのか、小さい声で礼を言う。長く寝たきりだったせいで、声帯もほとんど動かしていないのだ。それもすぐに治る。
執事は涙を流すが、患者はもう一人いるはずだ。ハロウズが起き上がるのを助けようとしていたが、もう一人について案内を頼むと、涙を拭きながら案内をしてくれる。
「奥様は、前々から体調不良や体の痛みを訴えてはいたのですが、ただの腰痛だと思っていて。コルセットを作ってもらい、腰の負担を軽減できたのです。しかし、根本的な治療にはならず。コルセットを作った者から、内臓の病気の可能性があるため、治療士に治してもらった方が良いと言われていました」
眠っている女性は青白く、息も絶え絶えだ。痛みに苦しんでいるのか、眉間が寄っている。額に触れれば、インクが身体中に滲んでいるかのように、黒く染まっているのが見えた。
「夫人の方が重症だ」
「なんという。奥様」
「内臓が全体的に壊れているな」
いくつかの場所に濃い影が見える。あと少し放置していれば、間に合わなかったかもしれない。
こちらは癒しをかければすぐに動けるようになるだろう。夫人の顔は少しずつ赤みを増して、顔が穏やかになった。疲労があるため、目覚めるのに時間がかかるかもしれないが、問題はない。
「すぐに目が覚めるだろう。これで終わりだ」
「あ、ありがとうございます! 奥様。良かった。なんとお礼を申し上げれば良いのか」
「必要ない。治療費はもらっている」
「いえ、言わせてください。ありがとうございます! 職人から、一月持つかと言われていました。まさかと思っていれば、急激に体調を崩されて、治療士を探して治療してもらっても、これ以上は癒せないと断られる始末。もう、諦めなければならないかと」
「コルセットを作った職人が助言したと言っていたが、その者は治療能力を持っていたのだろう? 神殿に登録していないだけならば、登録させた方がいい。城から治療士が減ったからな」
「治療士のことはわかっていなそうだったので、なぜ奥様の病がわかったのか、よくわからないのです」
「病が目に見えていたのならば、力の使い方を知らないだけだろう。神殿に行けば治療士の学びを得られる。どこの職人だ?」
「職人とは申しましたが、コルセット作りを職にしているわけでないそうで、村人ということしか存じません。懇意にしている職人が紹介してくれた、若い女性でして。職人に聞けばわかるかもしれませんが」
「若い女? どれくらいの年の?」
「十代半ばほどの、少女です」
それを聞いて、一人が思い浮かんだ。レナは魔法を使えない。治療士の力があっても気づいていないだけか? 魔法自体を理解していないのだし、自分自身が重い病で外に出られないほどだったのだから、治療士のはずがない。治療士の力に気づいていなくとも、自分の体調不良は無意識に治すことが多いからだ。よほどの病だったのならば、それなりに自分で治療できただろう。
それで治療士の力に気づいたのか? いや、自身を治せたのならば、レナは何の報酬も得ずに治療するだろう。
「彼女はコルセットを作る際に、いくつか質問をしてきたんです。それに答えているうちに、病気の可能性を教えてくれました。治療士についても質問をしてきたので、治療の仕方はわかっていないはずです」
「質問だけで、病気だとわかったのか?」
「なにかの病名を言われていましたが、聞いたことのない病名で」
「その女の名前は?」
「レナという名前でした」
「……その話は、ここだけにしておけ。その紹介した職人にもだ」
「承知しました」
フェルナンの言葉に執事は一瞬間をあけたが、すぐに頷いた。
病に詳しい。本人が病がちだったから、それでわかったのか?
なにかと不思議な話だ。常識がないくせに、知識がありすぎるところが。
「異世界人」
その言葉がポッと頭に浮かぶ。
どこからか逃げてきたのか? 他国からやってきたが、祖母の家に住んでいるのだから、異世界人ではないはずだが。
そうだ。祖母の家だ。異世界人ではない。
ふと頭の中にモヤがかかった気がした。レナはあの家に住んでいた老婆の孫娘。異世界人ではない。
「なにが気になったんだ?」
なにを考えていたかも忘れてしまった。そうだ、レナは家に帰った。森に行けば、また会うことになるだろう。
レナは事件の後、別の者に説明を聞いて礼をもらい、帰っていったのだ。
どこか抜けているんじゃないか? あれだけの事件に巻き込まれて、無用な真似をさせられたのに、危険な目に遭っても文句ひとつ言うことなく、事件の全容を聞いたら意気揚々と帰っていったとか。
自分が帰って良いと言った時は、頑なに帰ろうとしなかったのに。
「俺には恨み言を言ったくせに……」
フェルナンには怒りを見せて、糾弾しようとした。
その後すぐに、説明を求めることなく、事実を見たいと言わんばかりについてきたが。
『私にも、心がある』
そんなことを、わざわざ考えてどうする。
今まで周囲に相手の心を考える者などいなかった。オレードやアシャール夫妻はともかく、他の者たちのフェルナンへの態度は、幼い頃から冷たいものだった。あれらのことを考える必要などない。見下してきたのはあちらなのだから。だから、相手の気持ちを慮ることなど、不必要なことだ。利用できる者の心など、考える必要があるか? 無駄なことだ。なにを考えようと、通じ合うことはない。
それなのに、いつもならば思いつくその言葉が、一切出てこなかった。
「はあ、どうかしてる。なにを気にしているんだ」
ガロガにまたがり、腹を蹴って走り出す。
大体、もう自由になれるとわかったのに、どうして首を突っ込みたがったのか。
その上、動くなと言ったのに勝手に動いて、危険を物ともせず立ち向かおうとするのだ。
胆が座っているというより、なにも理解していないだけ。自分がどれだけ危険な真似をしているのか。状況判断ができていない。だから簡単に、人質になったりする。
思い出すと腹が立ってくるのは何故だろうか。一歩遅ければ、殺されていたかもしれない。川に落とされていた可能性だってある。流れの早い川で溺れずに生き残るのは、わずかに運がある者だけだ。それが必ず起こるわけではない。
それなのに、歯向かい、剣を持つ相手にも対抗しようとする。
あの自信はどこからくるのだろう。無謀なまでの、あの行動力は。
「世間知らずすぎるんだ」
これ以上は危険だから、帰れと言っただけなのに。
まだ城で待っていたら、自分はなんと言っていただろう。
どうせレナは、城で待っていても、笑いながら料理でもしていたはずだ。家に戻ったのならば、いつも通りと森に向かっている。きっと、今までのことを気にすることなく。
そんな気がした。レナは多くに興味を持って表情をコロコロ変えるくせに、実は淡々として、誰に頼ろうとすることなく、物事を終わらせようとする。
一度だけだ。
オレードに助けを求めて、騎士寮にやってきた。あの時だけ。それさえも、すぐに諦めて、自分で終わらせるのだと。
その姿は、あの年の少女には見ない、諦めの早さと決断力があった。
それが無性に、
「腹が立つ」
小さく呟いて、その苛立ちが消えないことに、さらに苛立ちが募るのがわかった。
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