52−3 後日

「あれ、フェルナンさん?」

 声が届いて、フェルナンはびくりと肩を上げた。いつの間にか森に入っていた。考え事をしていて、いつも通りに森の道に入り込んでいたようだ。しかも、レナが訪れる川のほとりまで。


「珍しいですねー。ガロガちゃんで森の中入るんです?」

 生き物にちゃんをつけるのが趣味なのか? レナが近寄ってくると、まじまじとガロガを見つめた。なでていいですかと問うてくるので頷けば、途端笑顔になって、そっとガロガをなではじめる。


「お忙しいの終わったんですか? ガロガちゃん、前より足元汚れ気味。これからお城に帰るんですか?」

「……いや、これから、ああ、もう帰る」


 なにを言っているのか。自分でもわからなくなって、顔を背けた。ハロウズ家の帰りに騎士寮に戻らず森に向かってはいたが、考え事をしていたからといって、森の中を走って気づかぬなど、どうかしている。


 奇妙だが居心地の悪さを感じた。あれ以降会っていなくとも、レナは納得して帰っていったはずだ。気にもしていないだろう。

 その通りとレナは大きな目をこちらに向けて、口を開けたまま不思議そうな顔をしていた。

 その顔に安堵すると同時、やはりなぜか苛つきを感じた。


「オクタヴィアン様に聞いたかもしれないですけど、」

「なんだ?」

「謝ってもらってなんか色々もらいました。なので、八つ当たりしたこと謝ります」

「八つ当たり?」

「八つ当たり」

「八つ当たりで、危険だとわかって付いてきたのか?」

「あのまま帰れって言われても、お断りですし!」


 レナが開き直って声を上げた。八つ当たりで危険な目に遭うかもしれないのに付いてきたのか? どういう神経をしているのか。

 けれど、あとで邪魔をして迷惑をかけたな。と反省はしたらしい。えへへ、と意味もなく笑いながら、オクタヴィアン様に偉そうに謝られました。と口を尖らせて付け足した。その後なにかと土産をもらったため、むしろ恐縮で困っていると。


「認可局の話か? 城で認可を受けたと聞いた」

「あんなの認可できちゃうのか、っていう。ありがたいというか、なんというか。他にも十分いただいたから、もう十分なんですけど」


 金を持っているため稼ぐ必要はないからか、レナは言葉を濁らせた。森の糧だけで生きていきたい。金は使いたくない。働かなくともあの金額を手にしているならば、村で暮らすには十分だ。レナが貴族のような贅沢をするわけがないのだし、これ以上稼ぐ必要はないだろう。だが、金を使わないように生きていきたいというのも不思議だ。認可局で認可してもらえたならば、自動で金が手に入る。わざわざ森に入らずとも、金を使えばいいだけの話なのに。


 会った時からずっと、そのこだわりは同じ。苦労して何かを作り、慣れない狩りをする。それこそ危険があるのに。


「そういうわけで、八つ当たりしてすみませんでした」

 レナはいきなり頭を下げる。なんのための動作なのかわからなかったが、レナが謝っているのはわかった。

「あ、いや。俺も、深く考えることはしていない、から」


 ガロガの上から、頭を下げて小さくなるレナを見て、さらに居心地が悪くなった。今すぐここから立ち去りたい気持ちが膨れ上がるのに、そうしたくない気持ちがぶつかり合って、心の中の矛盾に困惑する。それが顔に出ている気がして、顔を腕で隠した。自分がどんな顔をしているのかわからないが、見られたくなかったからだ。


「それで、リリちゃんなんですけど。お借りしてたから、お返ししなきゃって」

 がばりと頭を上げる。動作がいちいち大きいのは、レナの癖なのか、頭の上にいるリリックを指差すのに、腕を上げ下げした。変な踊りをしているみたいで、吹き出しそうになる。挙動が人より大げさだから、小動物でも見ているようだった。


「フェルナンさん?」

「ああ、リリックは、やると言っただろう。森に入って危険もあるから、持っていればいい」

「ほんとにいいんですか? リリちゃん、何度も助けてくれたし、ありがたいですけど」

「構わない」

「わあ。ありがとうございます! リリちゃん、これからもよろしくね」


 リリックは精霊とは違い、魔法使いが魔物の卵を自分の魔力で染めて育てたもので、魔物ともまた違う生物になっている。主人の言うことを聞く、忠実な生き物だ。リリック自体、魔物の中で監視の力が強く、遠くの仲間と意識を繋ぐことができる種類で、魔法使いが間諜として使うことが多い。

 攻撃力はさほどでもないが、魔法を使う人間にも対抗はできる。森に入るレナには必要だろう。


 レナは頭の上にいるリリックをなでて喜んだ。レナは釣りでもしていたのか、糸のついた棒とかごを手にしていた。また妙な形のかごを持っている。


「それは、なんだ?」

「これですか? お魚用の仕掛けです。釣りより効率よく捕れるから、朝来て設置しておいたんです」


 見て見て、と言わんばかりにレナはかごを差し出してきた。折り返した先端が内側に入っており、中に入った魚が出られないようになっている。魚が数匹入っていて、入った魚を選別し終えたところだと笑った。入り口が小さいので、凶暴な魚が入っても襲われるような大きさにはならないだろう。どこでこんな知識を得るのか。


「家の商品も認可すると聞いたが、これも認可したのか?」

「してないですよ。こんなのも認可できるんですか?」

「できるだろう。川魚は、ここでは森の中で難しいが、村の子供が小遣い稼ぎに獲るからな。それがあれば、簡単に捕れる」

 レナならば、貧しい子供のために使えるのは良い。と言いそうだが、なぜか気の進まなそうな顔をした。


「うーん、漁獲量守れるならいいんですけど。だったら穴を大きめにして、小魚は逃げられるようにしないと駄目かな。お小遣い稼ぎで乱獲したら、お魚少なくなっちゃうし。あ、私はちゃんと選んで逃してますよ?」

 そんなことを考えるのは、レナだけだろう。漁獲量という言葉を聞いたことがなかった。そんな心配をするか? 


 貧しいのならば捕れるだけ捕るのは当然だ。なくなればそれで終わり。次の獲物を探しに行くだろう。そんな簡単に絶滅などしないだろうに。しかし、レナは最初からそんなことを考える。

「ある程度は節度を持たないといけないから、やめときます。こっちの倫理あやしいし」とぼやいた。


 他国ではそこまで考えるのか? それはつまり、豊かな国の発想だ。生きるか死ぬかの間にいて、そんなことを考えるわけがないのだから。


「乱獲しちゃ駄目だよなーって思い始めて、これから数考えて獲らなきゃなって、思ったばっかりだったんです。動物の数、把握しといた方がいいですもんねえ」

 背中のカゴにはリトリトの肉が入っているのだろう。木に弓が立てかけてある。側にはさばき終えた皮が広げられていた。森の生活に慣れてきているのがわかる。獲物の数を考えるとなると、本格的な狩人のようだった。あれらは獲った魔物の数を数えているだけだが。


「これからお帰りなら、ご飯どうですか。お詫びと言ってはあれですけど。リリちゃんのお礼兼ねて」

「リリの礼?」

 またわけのわからないことを言い出した。危険があるとわかって渡したリリックなのに、もらった礼をしなければならないという、その思考能力。どうしてそう思うのか。

 理解できないでいると、遠くで雷の音が聞こえた。レナがびくりと体を震わせる。雷が苦手なようだ。


「なんか、近くありません? 雷雲ないし、暑くもないのに、雷?」

「ピングレンだな」

「ぴんぐー?」

 レナがとぼけた顔をした時、バリバリ、と遠くで雷が落ちた音がした。レナが、ぎゃあっ、と悲鳴を上げる。


「は、早く帰りましょう。森の中で雷落ちたら大変。避雷針。木に落ちる。感電する!」

 ところどころ聞いたことのない言葉が発せられた。レナは気づいていないと、すべての荷物を手にして走るふりをする。こちらの用意を待っているようだが、ガロガに乗っているのだからレナがさっさと走るべきだろう。


 どうして自分よがりではなく、周囲を気にするのか。気にせず走り出せばいいのに。弱きはそちらで、自分ではない。

 レナの襟元を引っ張ってガロガの背に乗せると、レナの腕を自分の腰に絡めた。


「捕まってろ。走るぞ」

「ひえ!」

 途端、雨粒が落ちてきた。


「ふえ、すごい降ってきた!」

「黙ってろ。舌を噛むぞ」

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