49−2 地下牢

 風の音が聞こえる。扉の向こうは外で、川が流れるような音も聞こえた。

 ゆっくりと扉を押せば、その扉は上部に開く。屈まないと進めない広さだ。外に出られる出口ならば、外からもわからないようになっているのだろう。屈んでくぐれば、そこは木々や草木に囲まれていて、無理に進んだ跡があった。途切れ途切れだが、唸り声が聞こえる。獣が唸るような、人の声。それは一人ではなく、数人で、男たちの叫び声も耳に届いた。


「わあああっ!!」

「くそっ。血の匂いで騒ぐって言っただろ! そのまま突き落とせばいいんだよ!」

「殺してから川に流せって言われたんだ!」

「時間がないんだ。早くしないと。さっさと川に流せ」


 男たちが一人の女の子の背中を切り付けた。獣のように叫けぶその子を蹴り付けて、そのまま川に落とす。

 男は四人。一人が玲那と話した女の子を押さえて、一人が女の子たちを切り付けた。しかし、女の子たちはまるで狂犬病にかかった犬のように叫び、男の腕に噛みついた。


「ぎゃああっ!」

 別の男が女の子を切りつける。剣を持っているのは二人しかいないのか、噛まれた男は恐怖に怯えて尻餅をついた。

 さっきは女の子が六人と言っていた。今残っているのは三人だけ。そのうちの一人が噛み付いた子で男に切られたが、痛みを感じていないのか剣の刃を手に握りしめ、男に噛みつこうとしていた。


 ビットバを。玲那は男を狙おうとしたが、二人の女の子が発狂して男たちを襲っているため、目標が定まらない。

 しかし、そうこうしているうちに、噛みついた女の子が蹴られて川に突き飛ばされた。


「っ、バン!」

「ぎゃっ」

 ビットバが男の背中で破裂して、女の子を押さえていた腕が離れた。勢いで転んだ女の子が悲鳴を上げるのを横目にして、玲那はもう一度同じ男へビットバを放つ。男がのけぞって、地面に倒れ込んだ。


「こっちへ!」

 玲那の叫びに、女の子が四つん這いになりながら玲那の方へ移動しようとした。しかし、腰が抜けているのか、ぶるぶる震えたまま動いてくれない。あの子は正気だ。走って腕を引いて立たせてから、背後に隠す。ビットバを受けた男は衝撃があっただろうが、大怪我をしているわけではない。玲那を睨みつけて、目を見開いた。

「なんだ、こいつ!」


 男は四人だ。一人はまだ別の女の子とやりあっている。

「バン!」

 別の男の足元にビットバが飛ぶ。地面が破裂して、土が飛び散った。目に入ったか、怯んで目をこする。その隙にもう二人の男を狙おうとした。だが、玲那の攻撃より早く、一人が玲那を捕えようと手を伸ばしてきた。


「ぶふっ」

「リリちゃん!」


 リリが大きくなると、男の顔にキックを食らわせた。鋭い爪で顔を攻撃し、男が悲鳴を上げる。もう一人の男が玲那に掴み掛かろうとして、玲那がビットバを飛ばした。一人が勢いよく吹っ飛んで、嗚咽を漏らして地面に転がる。

 ビットバの威力を調整しているせいで、転がっても痛みを堪えながら立ち上がってくる。


 どうする。立てないくらいに足でも折らないと無理だ。だが、折る程度の攻撃がどれくらいなのかわからない。最悪、下半身を吹っ飛ばしてしまう。

 考えるだけでゾッとする。そんなことできない。だが、そうこうしているうちに、発狂していた女の子が悲鳴を上げた。腕を切られて女の子が川に落ちそうになる。剣で突き刺そうとした男を、玲那は狙った。ビットバが背中に直撃し、勢いあまって川岸に転げ、川に落ちた音がした。


 女の子はまだ川岸に引っ付いている。唸りながら登ろうとしているが、腕を切られたせいで中々上がれない。玲那は走っていた。女の子の手を掴み、引き上げようとすれば、最初に倒した男が大声を出した。


「この野郎、ふざけやがって!」

 長剣は持っていなくとも、短剣は持っているのだと、玲那に向かってきたのだ。だが女の子がずり落ちていっている。腕を引いたまま、男目掛けてビットバを放とうとした瞬間、男が横に引っ張られるかのように吹っ飛んでいった。


 軌跡を描いて男が川に落ちていく。川の流れは早く、深いのか、ドボンと音をたてて沈むと、浮かんでは沈んで、助けを求めながら流れていった。

 あれでは、切られた女の子は、助からない。


「来るな!!」

 いきなり腕を引っ張られて、玲那は女の子の腕を離した。女の子が再びずり落ちる。その手をもう一度取ろうとすれば、首に痛みが走った。


「この女を殺すぞ!」

 男が玲那の首元に短剣を突きつけて、大きく叫んだ。


 黒色の髪が月明かりにさらされて、銀色のようにキラキラ輝いて見えた。仁王立ちしているフェルナンが、こちらを鋭い目で捉えている。正気の女の子はずっと後ろにいて、兵士らしき男たちに保護されていた。リリが側を飛んでいる。他の男たちはいつの間にかのしたのか、地面にひれ伏していた。一人だけ、玲那の首に短剣を突きつけている男だけ、残っていた。


「く、来るな。この女がどうなってもいいのか!?」

 お決まりの言葉を口にして、男は玲那の首元に短剣を近づける。恐ろしいのか震えていて、玲那の首の皮を簡単に切った。

 血の匂いで興奮するのか、足元で女の子がフーフー言っている。まだ川には落ちていないと、必死にしがみついていた。


 刃物が首に当たる。けれど、女の子がどんどんずり落ちていっている。片腕を切られているせいで、草を掴む手が弱いのだ。

 ダメだ。女の子が川に落ちてしまう。


 玲那は短剣の位置を、男の腕と指を、男の顔の位置を、注意深く横目で見やった。

 顔は動かせない。少し触れただけで切れるような短剣を、そう簡単に退けることはできない。頸動脈が切れてしまう。

 心臓がどくどく言っている。少しでも動けば、命はないかもしれない。


 足を踏むのも、頭突きするのも無理ならば、男の手を取るしかない。しかし、男は緊張が最高潮に達しているのか、声も震えて、玲那の腰を押さえている腕は手加減できないほどきつく、緊張しすぎて固まっているみたいだった。


 男の恐怖を感じる。見つかったことへの恐怖か、それとも、フェルナンへの恐怖か。

 フェルナンは無言で、静かにこちらを眇めた目で見ているだけだ。

 ただ、その目に、どうしようもない怒りが混じっているような気がした。


「来るな! 来るんじゃない!」

 男が叫びながら、短剣を一度だけ振った。その瞬間を逃さない。玲那が短剣を持つ腕に手を伸ばそうとした時、なにかが通った音が聞こえた。


「ぎゃああっ!」

 悲鳴と共に、男の腕があり得ない方向へ飛んだ。握った短剣ごと宙を舞うのを、スローモーションで追うように、呆気に取られながら目で追えば、そのまま川岸に倒れ込みそうになった。男の腕が腰に絡んだままで、背後に体重を掛けられたからだ。


 川に落ちる!

 ドボン。耳に入った、人が川に落ちた音。けれど玲那の肌は冷えた水は感じず、むしろ温もりを感じていた。

 目の前が真っ暗で、なにが起きたかわからない。ただ、覆い被さってきたなにかに温度があって、それが玲那を温めているのがわかった。


「待っていろと、言ったのに」

 怒りが滲む声が、耳元に響く。聞いたことがないほど、怒っている声に聞こえた。

 誰に支えられたとか言わないでもわかる。フェルナンが、めちゃくちゃお怒りな気がする。


 川に落ちないように支えてくれた、フェルナンの体温を感じている場合ではない。怯えつつ、そろりと顔を上げれば、フェルナンが見たこともないような顔をしていた。


「フェルナン、さん?」

 泣いているわけではない。怒っているようだが、怒りに燃えているような顔ではなく、苦しんでいるような、やり切れないような、複雑な感情を混ぜこぜにしたような顔して、唇を噛んでいた。

 なんでそんな顔をしているのか。


「あんた、短剣持っている相手に、足踏もうとしたわけじゃないよな?」

「え、さすがにないです。こう、手を突っ込んで、噛みつこうかなって」

 相手の短剣を持つ手を押して、親指あたりを噛もうと算段していた。その前に男の腕が飛んでいってしまったが。


「あんた、」

「そうだ、女の子! 大丈夫!? フェルナンさん、手伝ってください!」

 女の子がまだかろうじて川岸に引っ付いている。玲那が腕を伸ばしてがっちり握ると、女の子が嫌がるように唸り出した。


「ちょ、暴れないで、落っこっちゃうから!」

 正気ではないせいで、玲那も敵認定したと、玲那の腕を引っ掻いてくる。痛みに顔を歪めれば、にゅっと伸びてきた腕が女の子を腕だけで持ち上げて、その辺にぽいっと投げた。すぐに兵士たちが暴れる女の子を押さえつける。フェルナンと一緒にやってきた兵士だろうが、女の子相手に数人で押さえるのだ。女の子が喚いてひどく暴れた。


「怪我人。怪我人ですよ!」

「薬でまともな状態じゃない。今は諦めろ。連れていけ。そこの女もだ」


 正気を保っている女の子はおとなしくして、兵士の後についていった。少し歩いて、玲那に振り向いてから何か言いたそうにして、兵士に引っ張られてそのまま行ってしまった。


「他にも女の子が、川に流されて」

「捜索させる。それより、」


 フェルナンが怒りの声を出して、玲那の腕を引っ張った。怒られるかと思って咄嗟に目を瞑ったが、そっと首元に温かな指が触れた。そうして、ふんわりと温かな感覚が身体中に通ったのに気づいた。癒しの力だ。

 首の傷が簡単に癒えて、先ほど引っ掻かれた腕も痛みが消えた。押さえられていたお腹もあざにでもなっていたか、ほのかに温かくなって、消えていく。


「ありがとうございます」

「はあ……」


 お礼の返事がため息だった。フェルナンが額を押さえたまま、もう一度大きく息を吐く。

 ちらりと玲那をすがめた目で見て、フェルナンは何度もため息をついた。

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