46−3 狩り
親子の仲が悪い。玲那のいた場所から領主の顔は見えなかったが、領主はオクタヴィアンの話を一切聞こうとしなかった。オクタヴィアンもそれがわかっていると、まるで茶々を入れるかのように話していたが、戻る時の姿は、あまりに寂しそうで、けれど、怒りにも震えていたように見えた。
なに考えてるのかな。
食事のカートはそのまま領主の部屋に置いてきたが、オクタヴィアンは外に出て建物を離れると、討伐隊騎士宿舎の方へ向かった。たどり着いたのは宿舎の方ではなく、プールに囲まれたヴェーラーの建物の方だった。
オクタヴィアンも信徒の印を持っているので、祈りにでもきたのだろうか。
「これは、オクタヴィアン様。いかがされました」
何人かの白い服をまとった者たちがオクタヴィアンを迎える。領主の息子が現れたせいか、白い服の者たちは慌てている。一人は奥の部屋に走ったので、誰かを呼びに行ったのだろう。その通り、やってきたのは、前に会った白い服を着ていた太めの聖職者らしき、ねっとりと話す男だ。
「供物を持ってきた」
言った瞬間、どさりとなにかが床に落ちる。液体が床に飛び散り、周囲の人たちが一斉に悲鳴を上げた。
玲那も後退りしそうになった。突然現れたのは、魔物の頭部。アンテナのような角を持った、ラグナロフだ。
辺りにぷうんと生臭さい匂いが立ち込める。なにが気持ち悪いって、首からだけでなく、目からも血液が流れているところだ。グロすぎる。それを供物にするなど、血生臭いだろうに。当然周囲のものたちもざわめいて、太めの聖職者も顔を引きつらせた。
「どうした。さっさと運べ。ラグナロフの首だぞ。吉兆の印だ。父上に贈ろうと思ったが、部屋から追い出されてしまったからな。これはこちらに贈ることにした」
「あのような状態で神殿におろすなど」
「なんという不届きな真似を」
「ヴェーラー神への侮辱行為だ」
ボソボソと、話し声が聞こえてくる。オクタヴィアンがぎろりと睨みつけると、すぐに口を結んだ。
太った聖職者が引きつった笑いをしながら、他の者たちに運ぶよう命令する。その間にもひどい匂いが部屋中に漂った。広い空間で、階高もある祈りの場所のような広間だが、その広さでも生臭さが充満する。
オクタヴィアンも信徒のはずなのに、このような真似をして大丈夫なのだろうか。しかし、オクタヴィアンはなんてことはないのだと、もっと供物を持ってくるか真顔で問うほどだった。
「父上は心が狭い。息子からの土産を断るのだからな。ヴェーラー神であれば、快く受け取ってくれるだろう」
「領主様はお疲れなのでしょう」
「食事を持っていったんだがな。食べてもらえると良いのだが。先ごろ食欲もないと聞く。お前が父上の様子を見ているのだろう。最近はどうだ?」
「お食事は細くなっていますが、お疲れなだけでしょう。ここのところ、王宮からの要求が多くあるようで、頭を悩ませているとか」
「金の無心か? 相変わらず暴利なものだな」
「オクタヴィアン様、王の命令です」
「まあいい。あまりに忙しくとも、お前のような神官が体調を管理しているのだしな。それに、ボードンがいれば、なんの心配もない」
「その通りでございます。ご心配なさりますな」
「父上がいるからこそ、俺は自由ができるからな。さて、失礼する」
踵を返し、オクタヴィアンは広間をあとにする。後ろで男たちが不敬だとか、いつまであのままなのか、と話していたが、オクタヴィアンに気にした風はない。血生臭い部屋から抜け出して外に出れば、生臭さがやっと消えて安堵する。あの部屋は当分血の匂いが消えないだろう。
オクタヴィアンは来た道を戻らず、そこから居住の建物まで森を進んだ。少々遠回りをしたが、血生臭さを消すにはちょうど良かったかもしれない。
「謎だなあ」
「手が止まってるぞ」
後ろでラベルが口を出す。今日は窓拭きの日で、前終えた場所からの続きである。
ゆっくり拭いていると、ラベルから叱咤されてスピードを上げることになった。鬼ごっこはしばらくないのか、朝からずっと窓拭きをしていた。
「ラベルニア様。こちらでなにをしていらっしゃるんですか?」
一人の男が話しかけてきた。貴族であろう、少し若めの男だ。ラベルという名前ではなかったらしい。ニックネームだったようだ。ラベルと呼ばなくて良かった。若い男はうやうやしく問いつつ、玲那をすがめた目で見てくる。
「オクタヴィアン様の戯れだ。遊戯に負けたため、罰を与えている。城中の窓を拭かせているだけだ」
「それで、ラベルニア様が見張っていられるのですか? そのような真似、その辺の兵士にでもやらせれば良いでしょうに」
「人が少ないからな」
「それは、オクタヴィアン様のせいでは」
ラベルニアが睨みつける。すぐに若い男は口をつぐんだ。人が少ないのはオクタヴィアンのせいだろう。それについて文句を言われて睨む辺り、ラベルニアはオクタヴィアンのあの態度を気にしているわけではないようだ。
狩りの時はオクタヴィアンを守っていた。二人の騎士はオクタヴィアンの忠臣だ。
その男を無視して、ラベルニアは次の窓を拭くように言ってくる。玲那はスピードを上げた。少々適当でも問題ないと、軽く拭いて次へ行く。男を無視して、どんどん進む。他にも声をかけてくる者がいたが、ラベルニアは男たちに同じことを言った。
さすがに腕が痛くなった頃、警備の多い廊下へやってきた。すぐに警備が近づいてきて、ラベルニアに事情を聞く。玲那の顔は知っているのか、何度か頷いて通してもらう。別の場所でも何事かと問われる。その度にラベルニアは「オクラヴィアン様の戯れだ」と言うだけ。説明はせずともオクタヴィアンの素行はわかっていると、通してくれる。
しかし、とうとう邪魔してくる者がいた。
「ここの立ち入りは」
「オクタヴィアン様の戯れだ」
「しかし、この部屋は執務室です。関係のない者を入れるわけには。ボードン様に叱られます」
「窓を拭かせるだけだ」
「しかし、」
「オクタヴィアン様の戯れだ」
ラベルニアは同じ言葉を繰り返した。部屋の中にいた貴族らしき男が苛立ちを顔に出しながら、入っては困ると何度も言っているのに、ラベルニアは気にもしない。
「そこで見ていればいいだろう」
ラベルニアに遠慮はない。扉を開けて強行突破だ。玲那を促し、すぐに窓を拭くように顎で指す。
「ラベルニア様」
「文句を言うならば、オクタヴィアン様に伝えろ。私は命令を遂行するだけだ」
そう言われても、オクタヴィアンに文句を言う気は起きないらしい。扉の前で鼻の上に皺を寄せながら、玲那を睨みつけてくる。
なんだろうな。そこまでしなければならないことか?
けれどこれはオクタヴィアンの命令だ。端から端まで窓を拭く。どんな場所でも関係ない。小さな窓から大きな窓まで、すべてのガラスを拭いている。そこに例外はないのだと、ラベルニアは一歩も引かず玲那に掃除をさせる。
早めに拭き終えた方がいいだろう。さっさと拭けば、なぜかラベルニアは、丁寧に拭けと注意してきた。
後ろで男は苛ついた顔を隠しもせず、貧乏ゆすりのごとく、足元を鳴らす。
「用があるならば、さっさと行ったらどうだ」
「まだ終えられないんですか?」
「念入りに拭けと言われているからな。そこ、汚いぞ」
ラベルニアは気にもしない。
「なにも触らないでくださいよ!」
男がもう待てないと、扉を開けたまま出ていった。それを横目でちらりと見た途端、勝手に扉がゆっくりと閉まっていく。
「そのまま、窓拭きをするように」
ラベルニアは玲那に命じたまま、机を漁りはじめた。
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