45−3 鬼ごっこ
討伐隊騎士建物に行けば、フェルナンとオレードがいるだろうが、領主の息子に捕まっている状態で助けてもらえるとは思えない。
ちらりと首にかけられたネックレスを手にする。オレードからもらった銀聖という印。これを見せては、迷惑になりそうだ。しっかりしまって、見えないようにする。
「いたぞ!」
男の声が聞こえて、玲那は飛び上がった。尖塔の階段は中に一つだが、外にもう一つある、そちらから降りて、渡り廊下の屋根に降りた。姿が見えてしまうが仕方がない。隣の建物に移動して、階段窓から中に逃げ込んだ。
兵士たちは玲那の姿を失ったか、追ってくる姿はない。
こそこそと人気のない廊下を歩くが、こちらは門から正面にある建物で、政治を行う建物だ。オクタヴィアンのいる建物より人が多いに違いない。けれど、この建物の方が、外に出る門に近かった。
「っと」
人の声がして、そっと階段の陰に隠れる。こちらにやって来るだろうか。
「あのような様子のままでは、ままなりませんな」
「オクタヴィアン様は政治に興味もありません。議案は進めて良いでしょう」
「印は後で私が押す、書類を持って来るように」
男が二人、後ろに一人。話しながら玲那の方に歩いてくる。後ろにいた男に、命令をしているので、二人は身分があるようだ。
「こちらはいつでも構いませんよ。邪魔をする者などはおりませんからね。それよりも、まだ見つからないのですか?」
「申し訳ありません。手を尽くしているのですが」
「ふむ。まああの様子ですから、問題はないでしょう。しかし、なにかと気になることが増えましたね」
「まったくだ。いいかげん終わらせられないのか」
「どうか、お待ちいただけますよう」
「仕方ありませんね。ヴェーラーの導きがあらんことを」
二人の男が後ろにいる男を糾弾する。後ろの男が怯えるように謝れば、ヴェーラーの名前を出す。
一人は真っ白な服を着ていた。話からするに、神職についているのだろう。神官だろうか。
話しながらこちらに近づいてくる。隠れる場所がない。階下に降りて隠れた方が良さそうだ。座り込んだまま後退りしながら後ろを向いた瞬間、ばしゃり、と頭の上から何かが落ちてきた。
突然目の前が暗転した。落ちてきたのは墨だ。手のひらに濡れた真っ黒な液体。どこからオクタヴィアンが墨を飛ばしてきたのだ。墨が目に入って前がよく見えない。階段を降りなければならないのに。
「あだっ!」
「なんだ、この小汚いやつは! 衛兵は何をしている!」
いきなり後ろから蹴りつけられた。玲那に気づかず男が引っかかったようだ。つんのめったようにぶつかってきて、大声を上げた。
ぶつかってきたのはこの白い服の男で、怒鳴ったのは身長の高い男。もう一人は、墨のせいでぼやけていて見にくいが、髭を生やした男だ。その男が玲那を見下ろした。
「お下がりください、ボードン様。これは、オクタヴィアン様が出した、村人です」
身長の高い男がそう口にした途端、かちり、と腰にあった剣を手にした。スラリと抜かれた剣身。濁って煌めきは見えないが、階段窓からの光が反射したように見えた。
「うわっ!」
振り抜かれた剣を避けようとして、玲那は階段から滑り落ちた。滑り台のように滑っただけなので、そこまで痛みはなかったが、目の前が黒に染まっていてよく見えない。起き上がれば再び転がった。
「なにをしている! さっさと捕えろ!」
数人が走って来る音が聞こえる。玲那を捕まえて腕を引くと、頭を押さえて床に擦り付けるようにした。階段の角に当たったか、おでこに痛みが走る。
「オクタヴィアン様も困ったものだな。このような罪を犯した者を、遊びに使われるなど」
たれてきた墨は転がったおかげで少しは減ったか、男たちの姿が片目でも目にとれた。髭を生やした男が蔑むような声音を出す。剣を持った男には見覚えがあった。認可局で見た男だ。商会長と店長と一緒にいた、貴族。それが剣を振ってきたのだ。当たり前に剣を抜くことに寒気しかしない。今も剣は剥き出しで、玲那を切ろうとしているみたいだった。
「いつからここにいたのか。ここでなにをしていたのだね。これは罰せなければならなりませんねえ」
白い服の男が、やけにねっとりとした話し方をしてくる。神職についているのだろうが、どうにも不快な顔をしていた。
「おいおい、勝手に殺すなよ。それは俺のおもちゃだぞ」
「オクタヴィアン様!? このような場所に罪人を放っては困りますぞ」
「勝手にこっちに逃げてきただけだ。大した問題じゃないだろ。お前らは、親父の調子でも見てきたわけ? 部屋に閉じこもってて、仕事にもならないだろうけどな」
「とんでもないですよ。お忙しくしていらっしゃいます」
「ふうん。叫び声が聞こえないだけましだな」
オクタヴィアンが鼻で笑いながら話している。領主が嫌いなのか、蔑みが感じられた。
「これは私の方で処分しておきましょうか? 牢に入れ直しておきましょう」
「まだ遊び足りないから、飽きたらその時には頼むわ」
聖職者の言葉ではない。処分などと。その言葉を気にもしないか、オクタヴィアンはただ軽く笑うだけだ。
彼らの会話は、あまり良い雰囲気に感じなかった。反発するようにオクタヴィアンは踵を返す。
なんだろな。領主と仲が悪いからというのもあるだろうけれど、領主を使う貴族とも仲が悪いって感じだろうか。
領主は引きこもりなのだろうか。部屋に閉じこもっていると言っていたし。
父親を陥れて、貴族の言いなりだという話だったが。
「また、ひどい格好だな。服は洗わなかったのか?」
「替えの服がないもので」
料理長に呆れ声で言われながら、夕食の手伝いを始める。鬼ごっこでオクタヴィアンに墨をかけられたが、他に服がなかったのだ。昨日の服は洗って干しておいたが、天気が悪いためまだ乾いていない。今日はこの姿で我慢である。
「料理長、領主って、引きこもりなんですか?」
「この生活に耐えてるだけあって、まったく遠慮のない質問だな」
「いえ、耐えてるのではなく、相手を殴ったりしないように我慢しているだけでして」
「殴るなよ。坊ちゃんを」
それはわからない。タイミングが合えば、やるかもしれない。できればお尻ぺんぺんしたい。かなりしたい。約束できないので黙っていると、すげえのを捕まえたなあ。と呆れられた。
「領主様はな、心が壊れちまってるんだわ」
「それは、いつ頃からなんですか?」
「何年経ったかねえ。坊ちゃんが生まれた頃は、奥様と笑う姿を見ていたが」
「奥様って、この建物にお住まいなんですよね。お会いしたことないですけど」
「……同じように、病まれて、ほとんどお部屋から出てこられない。今は落ち着いてらっしゃるが、あまり体は強くないんだ」
「理由は何ですか?」
「そうさな。領主様が前領主、お父上を弑したことは知っているだろう? その時領主様は十六歳。領主を継いだが、領主暗殺をけしかけた奴らが権利ばかり主張した。しばらくは耐えていらっしゃったんだ。それでも十年ほどだったかな。オクタヴィアン様が五、六歳の頃から少しずつ感情を露わにすることが増えて、そのうち……」
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