38 宿舎
「ひどい雨だったね。びしょ濡れだよ」
もう少し早く帰っていれば、降られなかったのに。ぼやきながら、オレードは濡れた髪の毛をかき上げる。
町に着く頃には雨は止んでいた。通り雨だったようだ。急いでガロガを走らせたせいで、跳ねた泥が足元を汚している。ガロガも泥だらけだ。
急な雨だったせいで、町にはほとんど人がいない。暗くなっているので帰路に着く時間だろうが、町はがらんとしていた。だから、気にせず貴族地区の門の手前まで軽快に走らせた。
貴族地区の門兵は、ガロガに乗る討伐隊騎士には声をかけない。討伐隊騎士だとわかる格好をしているため、平民だとは思わないからだ。あの門では不審な者がいないかの確認が行われ、歩きで入る者や荷車などが身分や行き先を確認される。本来ならば人を乗せる車も確認されるべきなのだが、貴族相手に面倒がしたくないため、そのまま通り抜けることができた。
城門ではないので、かなり緩い。
それなのに、門兵が入り口を塞ぐように立っていた。
「邪魔だな」
「珍しいね。なにかあったのかな?」
「なにかあっても、俺たちの前に出てくることなどないだろう」
「そうだけれどね」
自嘲気味に笑いながら、かなり近付いてもどこうとしていない門兵に、オレードが怪訝な顔をした。この速さで近付いているのに、退く気配がない。こちらが速さを緩めなければ、門兵を引いてしまうだろう。
オレードは速さを緩めて、通り抜けを邪魔する兵士に目を向けた。邪魔をした門兵は震えている。こちらをちらりと見遣って、オレードに向き直った。
「も、申し訳ありません。討伐隊騎士宿舎に、どうしてもお会いしたいと言う者がおりまして」
「僕に? それとも、フェルナンに?」
「お、お会いできれば、お二人のどちらでも良いと」
一体誰が。眉をひそめただけで、門兵が悲鳴を上げるように顔を引き攣らせる。かろうじて悲鳴は上げなかったが、カタカタと震えて、槍を持つ手を両手に変えた。震えて離してしまいそうになったからだ。
「それで、誰が、俺たちに会いたいと?」
さっさと要件を言えと急かすと、門兵は掠れた声で、相手を口にする。したようだが、掠れすぎていて、よく聞こえなかった。
「声が出せないのか?」
「ひ、も、申し訳、」
申し訳の後が聞こえない。震えてばかりで、どうにもならない。オレードが代わりにもう一度問うた。
「む、村人です! レナと名乗っておりました!」
「レナちゃん? フェルナン。行こう」
名前を聞いて、オレードは手綱を引いた。震えた門兵の前を通り過ぎ、普段は行かない討伐隊騎士の宿舎へ駆け抜ける。
あっという間に城壁門へ着けば、そこでも門兵に声を掛けられた。
「オレード様、フェルナン様! レナと名乗る少女が、お二人を名指しで会いたいと。銀聖を持っておりましたので、討伐隊騎士の宿舎に案内してあります」
銀聖とは、一定の身分を担保できる許可証のようなものだ。それを持っていれば、記された家紋の家人と同じ扱いがされる。
銀聖を持つことができるのは、高位貴族だけ。オレードはグロージャン家という、高位貴族の出だ。本来ならば、他人の領土で騎士をするような身分ではない。領地を持つグロージャン家の次男で、家を継ぐことはできないが、こんな領土にいるのではなく、王宮の騎士であるべき身分だった。
今は母親の妹が嫁いだ家に厄介になっている。養子になっているわけではないので、この領土の者たちからすれば、扱いに困る身分を持っているのだ。
その、グロージャン家の紋章が入った銀聖を持った少女が現れたとなれば、門兵が慌てふためくのも同然だろう。盗んだと思われても仕方がない印だ。
それでも疑われなかったのは、銀聖の家紋がグロージャン家で、本当に少女がグロージャン家の銀聖を得ていた場合、蔑ろにしたら首が飛ぶことを理解しているからである。
討伐隊騎士の宿舎へ向い、馬を降りると、宿舎の見習い騎士が扉の前をうろついていた。こちらに気付くなり、すぐに駆け寄ってくる。
「オレード様、フェルナン様。銀聖を持った少女が、宿舎においでになっています。客室にご案内しておりますが」
「今行くよ。悪いけれど、ガロガを繋いでおいてくれる?」
「承知しました」
「大騒ぎだな」
銀聖を持った者が現れた。騎士たちも扱いに困ったに違いない。平民から嫌われている討伐隊騎士の元に、村人がやってきた。しかも、少女だ。
「面倒な噂が流れるだろう」
「気にすることじゃないよ。きっとなにかあったんだ。余程のことがなきゃ、あの子は僕たちを頼るようなことはしないだろう」
「さあな」
案内された客室へ急ぎ、オレードはノックをして返事を待ってから部屋に入る。
「レナちゃん、どうし……」
オレードは言葉を止めた。
部屋にいたのはレナに間違いなかったが、頭から白い布をかぶり、びしょ濡れになったまま、ぽたぽたと水を垂らしていた。ただ立ち尽くしていた少女は、ひどく青ざめて、見たことがないほど不安げな、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
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