36−2 治療士

 ずいぶんと雰囲気が違う。町の中でも平民と貴族を分けるような壁を作っているのだから、思った以上に身分制度にうるさい世界のようだ。


「お城へはどうやって行けばいいんですか?」

「城ですか? あの先に、壁が見えますよね。あれが城門壁です。あそこから先に行くなんて、俺たちはできないですよ?」

「行く予定はないですけど、お城も壁に囲まれているんですね」

「そりゃそうですよ。領主が住んでるんですから」


 街中にはあるが、小高い山の中に城壁が見える。遠目なので、建物なのか、城壁の一部なのかわからなかった。ここからでも距離があるようだ。塔のように長い建物があるかと思えば、それは壁に繋がっている。城なのかと思ったが、物見櫓なのかもしれない。


 あの先に、フェルナンやオレードがいる討伐隊騎士の宿舎がある。なにかあったら来ると良いとは言われているが、行って簡単に入れるのだろうか。そのための許可証のようなネックレスももらっている。しかし、貴族地区の門兵のことを考えると、不安になる。


 オレードからもらったネックレスは首にかけてあるが、使わないことを祈っておこう。


「こちらですよ」

 貴族地区は壁に囲まれた家が多いようで、壁沿いを歩いてばかりだ。石で積まれた壁に間に門があるので、個人宅なのだろう。そんな家がいくつもあり、道なりに木々も多く、貴族地区は道や建物などの土地にゆとりがあった。それでも華やかさがないように思えるのは、ほとんど灰色かベージュ色の石で作られているからだ。あまり色が使われていない。木々の緑が鮮明で、その色に助けられているような色合いである。


 町にあった青色の石は使われていない。町にあって貴族地区にないということは、あまり高価な石ではないのだろう。もしくはもろいのかもしれない。やはりチョーク代わりになりそうな気がする。

 地味とは言わないが、貴族の家と言われても、ただ重厚であるだけのように見えた。色のある鉱石はあまり採れないのかもしれない。


 アルフは大通りを抜けて、木々の多い場所へ歩き始めた。貴族地区はそこまで広いわけではないようだが、思ったより歩く。

 生理が終わっていて良かった。この距離をずっと歩くのは、少々心許ない。

 紙が足りないので、今後のためにできるだけ作り続けておいた方がいい。急に起きて焦っては、またパニックになってしまう。


 もう、あんなどうしようもないことで泣いたりしないぞと誓いながら、歩き続けて、やっと辿り着いたのは、長い壁に囲まれた道だった。

 周囲の道も木々が多く、緑豊かな場所だが、人通りがまったくない。先ほどまで馬車が行き来していたのに。

 立派な門柱だがツタ草が絡まっている。カゴにできるツタ草で、ちょっと欲しくなる。

 アルフは鍵を取り出して、門を開けた。勝手に入って良いようだ。


「わー。広い」

「昔は綺麗な庭だったらしいよ。今は、手入れをする人がいないから、草だらけだけど」

 壁の周囲は大木だらけで壁の上から道にはみ出していたが、中に入ると低木で、花なのか雑草なのか、草木が地面を覆っていた。手入れが行き届いていないようだ。かろうじて玄関前の道だけ綺麗にしている。手入れするにもたくさんの人が必要だろう。門扉から家の玄関が遠い。遠いと言うより、玄関がどこにあるかわからない。


「すごいおうちですね」

「由緒ある家だからね。本当だったら、俺なんかが勝手に入れる家じゃないんだよ」


 アルフはどこか悔しさを滲ませる。たしかに広い庭で屋敷も広いようだが、ここまで人がいないとなると、誰も手入れなどできない状態なのだ。それだけ雇う余裕もないのか。

 屋敷は玄関だけでも観光で行くような神殿のように大きく、まるで美術館の入り口のようだ。そちらからは入らずに、アルフは裏口へ回って、小さな扉をノックした。


「やあ、アルフ。おや、その子が、職人の?」

 職人ではないのだが。アルフが大きく頷いた。相手の男は、白髪混じりの黒髪の、細身の六十代くらいの男性で、黒のパンツに白のシャツ、上に黒のチョッキを着ていた。きっちりした格好だ。


 こちらの人は、緩やかな服を着ていて、シャツや上着をベルトでしめていることが多い。村人や町の人々はほとんどそのような格好だった。貴族で見たことがあるのは、フェルナンやオレードだが、彼らも上着を着てベルトをしめていたので、シャツにチョッキを見るのは初めてだ。

 だからだろうか、室内で働いていそうな、事務的な制服にも見えた。

 法律事務所とかにいそうなおじいさんみたいだ。ただの偏見であるが。


 ここに来る前に、アルフから注意を受けた。相手の方への態度と言葉遣いについてだ。特に悪いところはないため問題ないだろうという前置きはもらったが、失礼は絶対にしないようにと口を酸っぱくするまで言われている。

 身分が違う。それを念頭において、玲那は屋敷に足を踏み入れた。


「どうぞ、こちらへ」

 男性に促されて、屋敷の中を案内される。

 細い廊下の使用人が住むような建物から、日差しがたくさん入る大きな窓が並ぶ廊下へ進んでいく。貴人が住んでいるとわかるのは、廊下に花が生けられていたり、ガラス窓が綺麗に拭かれていたりするからだ。最初に入った建物のガラスは、黄色く濁っていたのに。


 人がいなくなっていても、貴人のための住処だけは手入れをしているようだ。

 アルフが言うように、ここの主人は悪い人ではなく、親しまれている人なのだろう。

 男がノックをして扉を開けると、入るように促してくる。アルフが入る後を追うように玲那も部屋へ歩んだ。

 落ち着いた部屋。調度品などが深い茶色に揃えられ、本棚に本が並ぶ書庫のような部屋に、一人の女性が立っていた。


「こんにちは。あなたがレナさんね」

「は、はい。初めまして。レナと申します」


 名前を呼ばれて、一瞬呆けていたことに気付く。

 年齢は三十代前後だろうか。年を召している人ではないことはわかる。まとめられた黒髪は首筋を見せて、細い肢体が艶かしい。長い手、指先まで長く見えるほど優雅に動き、歩めば体の線に沿った赤ワイン色のドレスが床をなでる。

 長いまつ毛に通った鼻。口角が上がり、柔らかに笑まれて、頬が熱くなる気がした。

 ただ、少し顔色が悪く、頬がこけているように見える。目の下にクマもあり、疲労があるようだった。


「ごめんなさいね。急に来ていただいて。この通り、頼める方がいないからと、アルフが気を利かせてくれたのよ」

「いえ、私も時間がありましたので」


 話すのに緊張するのは、なぜなのか。

 高貴な人という言葉がよく似合う女性だからだろうか。微笑まれるだけで、ドキリとする。

 アルフも顔を赤らめていた。彼女の役に立ちたいという理由がわかってくる。

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