36 治療士
「こんにちは。あなたがレナさんね」
アルフに紹介されて挨拶をした女性は、老年の方ではなく、背筋の綺麗な、美しい女性だった。
城へ入るわけではないのに、貴族地区に行くには門を潜らなければならなかった。
許可証がいるわけではないが、通る時に門兵がおり、どんな用で入るのか、誰の家に行くのか、いちいち問われるらしく、そこで一度足止めを食らった。
「どこの屋敷に行くって?」
「ハロウズ様のお屋敷です」
このやりとりは何回目だろうか。門の前で、兵士がにやにやしながら、貴族地区に入るのを邪魔してくる。
何がしたいのか、よくわからない。
「ハロウズ様のお屋敷に参ります!」
アルフは苛立ちを隠せないか、声の大きさを上げる。しかしそれが気に食わなかったのか、兵士は何か文句があるのかと、手に持っていた槍を握りしめて、それを地面に打ち付けた。
「村のやつが、貴族地区に行くだと? 盗みでもしに行く気か?」
歪んだ顔をアルフに近付けて鼻で笑うと、唾をアルフに飛ばし掛ける。
その様を見て玲那が一歩踏み出すのを、アルフが腕を出して止めた。
「なんだ。文句でもあるってのか!? 外民が。うろうろしやがって。汚らしいったらありゃしない」
貴族地区の門兵がどれほど偉いのか知らないが、さすがに腹立たしい態度だ。アルフが我慢しているので後ろで黙っているが、門兵のレベルが低すぎる。門兵はいつまで続けるのか、文句を言ったり、誰の屋敷だと繰り返したり、ずっと同じことを言い続けている。頭が悪すぎではなかろうか。
「ハロウズ家に行きます!!」
「ああ? あの没落寸前の家か。まだあったとは知らなかったな。お前らのようなやつらが、行くにふさわしいか。ははは!」
アルフは掛けられた唾をぬぐわずに黙っていると、門兵は一人で笑い、二人でそれを待っていれば、舌打ちして、結局通るように言った。
「大丈夫ですか? なんです、あれ」
「たまに当たるんだ。気にしないで。別の人の時はすんなり通してくれるんだけれど」
少し遠のいてから玲那が話しかけると、アルフは大きなため息をついた。
貴族地区は言葉の通り貴族が住む地区で、身分が高い者たちの中には、町や村に住む者たちを毛嫌いしている者がいるそうだ。特に村人は外民とし、汚れ物と同等の扱いをしてくる。
「あの兵士は俺が職人だって知っているんだけれど、村人ってことが気に食わないんだ。村人が貴族地区に入ってくると、臭くてたまらないとか言ってね、ああやって、壁を越えることを邪魔するんだ。結局、通すことにはなるんだけど」
「しょうもない感じでしたもんね。通してはくれるのは、職人さんだからですか?」
「あの兵士より身分の高い方から名指しされて俺は物を作っているから、通さないわけにはいかないんだよ。ああやって馬鹿にしていても、ハロウズ家から注意されれば、あの男は生きていけないからね」
それは明確な序列があるようだ。文句は言っても、身分の高低差が激しいのだろう。
しかし、文句を言う程度であれば、そこまで問題になっていない。
「ハロウズ家というのは?」
「前の領主様が聖女に入れ込んだっていう話は、知っている?」
出た、聖女。冷や汗をかきそうになるが、異世界人だと気付かれているわけではない。聞いたことはあると、軽く頷く。
「ハロウズ家は、元領主の聖女狂いを止めた、唯一の人なんだよ。でも、元領主の怒りに触れて、領主の臣下から罷免されたんだ。ハロウズ様はとても素晴らしい人で、代々領主の側近だった家柄なんだ。そんな人が、狂った領主に役目を下されたことで、他の貴族たちから見放された。自分たちだって、元領主には困っていたのに」
現在、元領主は死亡して、息子が新しい領主となっているが、その前にハロウズ家の当主が病に倒れてしまっているため、その役目を下ろされたまま過去の人とされてしまったのだ。元領主が許しを与えれば良いのだろうが、周りの反対もあって、それはなされずにいる。
「どうして、反対なんて?」
「せっかく正義感のある側近を陥れられたのに、また元に戻そうなんて、他の貴族たちは考えないんだよ。その地位は、領主様の次に高いものだからね」
なんとも醜い話だが、この領土ではそんな話ばかりらしい。一部の貴族が莫大な金を持ち、領主の意見を抑えては、自分たちの良いように動かしていく。聖女に狂った父親を倒しながら、その助けを得た貴族たちに尻に引かれているのが、現在の領主だそうだ。
それを聞いていると、実力もないのに持ち上げられて、父親を射ってしまったようにしか聞こえない。
貴族たちでは領主を直接殺すことができなかったため、息子に任せ、その後息子を領主の座に着かせながら、裏で政権を牛耳っている。なんとも、悪が考えそうな話ではないか。
そして、正しい行いをしたはずのハロウズ家は、その蚊帳の外に追いやられたまま。門兵のようなちんけな男に馬鹿にされているのだ。
思ったより、ここの土地はどうしようもないのではなかろうか。
使徒の顔を思い出すと、恨み言を言いたくなる。まったくもって、平和ではない。
「コルセットを作ってほしいのは、そのハロウズ様の奥様なんだ。体調を崩されたハロウズ様に、長年寄り添っていらっしゃる方なんだけれど、疲れがたまって痛がるんだよ。俺は靴を直したりすることがあるんだけれど、できるだけ踵の低い靴を依頼されるほどなんだ」
アルフはなんとかしてあげたいという思いがあっても、医者でもなければ治療士でもないため、歯痒い思いをしているようだ。
何とかしてあげられれば良いとは思うが、たかがコルセット。治療になるわけではない。気休め程度だと思うのだが、アルフはそれでもいいのだろう。
貴族地区に入ると、町の様子が一変した。地面は石畳だがきれいに舗装されている。その道を歩く人たちはほとんどおらず、馬車が通っていた。広場は噴水があり、水が溢れている。建物はぬりかべのような直線のものではなくなり、石造りの壁に彫刻がなされ、ただの柱でも動物のようなものを模した飾りなどがついている。
建物は石造りばかりになった。町の入り口にある家のような木で作られた建物がない。店などあるが、入り口は広く、銀行のように階高があり、窓にガラスが使われていた。そこまで華やかさはないが、重厚な作りで、町の建物がずいぶん粗末に思えてくる。
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