29−3 ロビー

「ロビーの赤ちゃん、見ていく?」

「見たいです! 見たいです!」

「ちょうどねえ、昨夜生まれて。かわいいのよ」


 毛刈りが終わって、休憩していると、アンナが畜舎を案内してくれた。羊の畜舎がどうなっているか知らないが、個体ごとに区切られた建物ではなく、広い場所に全て入れるようで特に仕切りがない。水やり場なのか、桶がいくつか置いてあるくらいだ。赤ちゃんはそこにはおらず、赤ちゃんだけの区切られた場所に入れられていた。


「うわ。ちっちゃ、かわいいっ!」

「昨夜生まれた子がこの子ね。そっちの子は少し前に生まれた子たちだから、もう大きいのよ」


 生まれたばかりの赤ちゃんは、犬の子犬のように丸っこく、ちまちま短い足で近付いてくる。きゅうきゅう鳴いて、ミルクをほしがった。色は茶色で、きな粉餅のような色をしていて、とても愛らしい。


 生まれて数日経っている子たちは、もう大人のロビーと変わりがない姿をしている。少しだけ毛が茶色だろうか。すでに毛が刈られた後で、細い体が寒そうだ。見ていると尻尾を振って近付いてくる。その姿は犬っぽいが、やはり餌を求めているだけだった。人のスカートを餌と思って噛みつこうとしてくる。やめてほしい。


 毛刈りが終わったら畜舎の掃除だ。ロビーたちが外に出ている間、フンなどを片付ける。その手伝いもする。もちろん、する。毛刈り程度で報酬はもらえない。


 畜舎のお掃除は、グラウンドなどを整備するトンボのような道具を使って、フンなどを集める。捨て場は庭の外に捨てるようで、運んで柵の外に捨てていた。自分の土地ではなくとも、庭近くならば使っているという感じだ。玲那も森を使っているので、似たようなものである。田舎ならではだろう。

 畜舎の穴は、板で塞がれていた。塞ぐと言っても隙間がある。畜舎自体、適当な作りなので、あちこちボロが出てきているようだ。ロビーが角を擦り付けていれば、すぐに穴が空いてしまうのだろう。


 畜舎にぶつけないように、トンボでフンをかき集める。靴がべちょべちょになってしまったが、今日は木の靴を履いているので、あとで洗えばいい。しかし、こんな作業ならば長靴が欲しいところだ。

 長靴であれば、ゴム。植物辞典にゴムの木に似た草木はあるだろうか。


「あっても、加工がなあ」

 ゴムの木から天然ゴムの素材が取れたとして、加工の方法なんて、まったく知らない。想像もできない。


 ゴムの木に傷を付けて、ゴムの液体を集めているところまでは何かで見たことがあるが、その後、何をしたら作れるのやら。

 長靴を作るとしても、ゴムで作るのは無理だ。だとしたら、せめて皮だろうか。ラッカの皮を、長靴にできるだろうか。


「うーん。靴底を木にしたら、結局足痛いしな」

 ぶつぶつ言いながらもなんとか掃除を終えると、女性が杖を付きながらやってきた。腰を曲げて、歩きにくそうに歩んでくる。


「もう終わったの? あら、あなたが手伝ってくれた子ね」

「初めまして。玲那と申します」

「ありがとう。助かったわ。嫁もお腹が張ってきて、あまり動けないからね」


 やはりアンナは妊娠しているようだ。それはそれは、おめでたい。まだお腹は目立っていないので、特に気を付けなければならない時期だろう。


「私は腰をやってしまったし、夫は足を悪くしているから、困っていてね。助かりましたよ」

「いえ、こちらこそ。これくらいのお手伝いで、お土産もいただけると聞いて参った次第ですので。微力ですがお役に立ててよかったです」

「しっかりした娘さんねえ。一人で住んでいるんだって? 苦労があるでしょうに」

 女性はのんびりと話しながらも、何度か腰を叩いた。立っているのもつらそうだ。


「コルセットとか、巻いてるんですか?」

「コルセット? そんなもの巻きませんよ。ドレスなんて着ないからね」

 コルセットは通じた。しかし、ドレスに使うコルセットの話ではない。こちらは腰痛にコルセットを使わないのだろうか。


「腰痛用に、腰を固定するコルセットを巻くと、痛みが和らぐらしいですよ」

 ぎっくり腰だろうか。それなら動けないか。ヘルニアならどうだろう。いや、腰のことなどわからないのだから、変なことなど言わない方がよいか。

 しかし、口にしてしまったので、女性はなにが良いのか聞いてくる。


「あの、お医者さんは、なんて?」

「やだよ。医者なんて、ここらにいないからね」

「いないんですか?」

「小さな領地だからね。貴族たちを診る治療士ならいるけれど、医者なんていないよ」

「治療士?」

「治療士を知らないの? まあわたしたちも、拝んだことはありませんよ」


 こちらでは、治療士という魔法を使う人が治療をするそうだ。しかし、支払う金額が高額なため、病や怪我があっても自分たちで凌ぐしかない。医者という存在はいるが、治療士より治療費が安くともあまり人数がいないらしく、この領地ではいるのかいないのかもわからないそうだ。病気や怪我をしてもかかる医者がいないとは。

 そのせいか、やたらコルセットに食い付いてくる。


「腰を補助するもので、腰に負担をかけないように、固い布のような物をあてるんです。それで、少しは楽になるって聞いたことがあるので」

 説明してもよくわからないか。そんなことでどうして楽になるのか、理解できないと首を傾げてくる。


「あの、その、エプロン、いいですか?」

 玲那は女性の巻いていたエプロンを手に取った。ただ長い布を三重にして、女性の腰に巻いただけだ。お腹の辺りでぐっと引っ張り、腰を伸ばすように押した。これで悪くなったらどうしようと思いながら。


「こうやって、腰を押さえるんですけれど、痛くないですか?」

「痛くないよ。なんだか、そうね。楽になるような気がする」

「もっときつく締めると、少しは違うかもしれないです。んー、板か。今度ちょっと、作ってきますよ。試しに。その前に治ればいいんですけど」

「いやねえ、何度もなるのよ。ずっと前のめりに作業しているとね。後ろが痛くて」


 ヘルニアやギックリ腰でなければ、問題ないだろうか。

 お世話になったし、少しでも楽になれるようなら、コルセットを作ってもいいかもしれない。

 草で編んで、内側に木の皮を入れてみればどうだろうか。紐を三本くらい結ぶことになるかもしれないが。


「今度、作ってきます」

「まあ、ありがとう。作業はもう終わったんでしょう? チーズとミルクを持って帰りなさいな。そうね、ロビーの肉もどう?」

「いえ、そこまでは。あ、でも、あの、ロビーのフンをもらっていいですか?」

「ふん!?」


 肥料に使いたいのだが。

 そう思っていただけなのに、女性はひどく怪訝な顔をして、頭は大丈夫なのかと真剣に心配してきた。なぜだ。








 フン問題。解決した。


 こちらでは肥料というものの存在がなかったのだ。

 祈祷師がおり、魔法でお祈りをお願いし、作物の育ちが良くなるようにしてもらう。

 お祈りと笑うなかれ。魔法である。祈祷師の祈りにより、魔法が土にかかり、そこに植える食物が育つのだ。


「そうだとて、肥料をやるという概念がないとか、どうなってんの?」

 しかも、毎年三回ほど祈祷師に依頼をし、お金を払い、食物促進を願っているそうで、その金額がまた高額だとか。祈祷師の魔法のレベルもあり、そのレベルに準じて金額も変わる。良い祈祷師であれば高額で、そうでもない祈祷師は安価なわけだが、それでも高いものは高い。


「このお庭もお願いしてたのかなー。でもさあ、それ言っちゃったら、森とか元気に育ってるの、なんなの? っていう。森にもお祈りしてんのかな?」


 そこは聞かなかった。さすがに失礼かと思い。肥料と同じ概念ならば、祈祷しなくても育つは育つのかもしれないし。

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