26−2 獣
「細長い木を伐採して、物干し竿にしよう。雨の中、家干しするフックとかもいるよね」
こちらに来てから、まだ雨は降っていない。だが、本日、若干空は曇っている。薄曇りの空は、すぐに雨が降るような雰囲気ではなかったが、今は鉛色だ。雨が降るかもしれない。
「雨降ったら、傘、ないなあ。傘かあ。傘って作れる? 開いたり閉じたりするの作るって、至難の業じゃない? 江戸時代とかの傘作ってた人って、どうやって作ってたんだろ。紙だよね」
開閉する傘などは繊細な技術が必要で、作れる気はしない。できて、頭に乗せる傘だろうか。
「こっちの人、雨の時どうしてるんだろう。傘ってあるのかなあ。レインコートがあるとか? 防水加工ってなにで作るんだろう。水袋みたいに、臓器繋げるとか? そんなの着たくないな。革だと思えば同じ?」
疑問は尽きない。江戸時代などは、子泣き爺などが着ていた、藁のコートのようなものを雨の日に着ていた気がする。藁にコーティングでもしているのかもしれない。油か、柿渋か、その他のなにか。
「うーん。油かあ。そうだよね、油だよね。頭に乗せる傘作って、油で漬けてみようか。その油を、どこで手に入れるのかという。植物の種かな。時期的に、種のある時期はそろそろな感じだけど」
そんなことを呟いていると、少しずつ肌寒くなってきた。風が吹いてきたのだ。
先ほどより空も暗くなっている。湿った空気を運び、鉛色が濃くなっていた。周囲も暗くなっているのは、気のせいではない。
「いいかげん、雨降るかも。帰った方がよさそう。雷鳴るかな」
魚は小魚二匹と、中サイズの魚一匹。今日の夕食にはなる。それから、タニシのような貝の抜け殻を河原で拾った。石灰用である。少しずつでも集めていく予定だ。
竿を上げて片付けをして、ビクを上げた時だった。川面に黒い影が動いた。
とっさにビクを真横に投げた。蓋のないビクから魚が飛び出すと、それに黒い影が覆い被さった。
ひゅっと、息を呑んだ。水面から出てきたのは、鈍色の、川に沈む石のような、青暗い鼠色。転がった魚を丸呑みした口は、ワニのように大きく、鋭い歯がいくつも見える。地面を踏みつける足は野太く、長いしっぽを持っていたが、ワニのようにゴツゴツした肌ではなく、水に住むアシカ科のような毛並みをしていた。
「わ、わわっ」
魚を飲み込んだそれが、真っ黒の瞳でこちらを捉える。途端、短い足ながら、一目散に突撃してきた。噛み付かんと大口を開けて、足元目掛けて飛び付いた。
とっさに横に逃げても、うまく尻尾を動かしバランスを取って、急旋回してくる。
「きゃっ」
後ろ向きで避ければ、木の根に引っ掛かり、尻餅をついた。その隙を逃すまいと、それが大口を開け、再び突撃してきた。
生臭い匂いを感じるほど、それの飛沫が周囲に飛んで、開いた口の牙も、喉の奥も見えた気がした。
その瞬間、光がその喉の奥へ、突き刺さった。
飛び込んできた獣は、仰け反るようにひっくり返る。仰向けになると、ひくひくと短い足を動かしたが、すぐに動かなくなった。
「は。は、はあ」
玲那の右手が、ふるふると震える。一瞬で汗が流れてきた。何度も息を吐いて、心臓がうるさいほど早鐘を打っているのを聞いて、やっと落ち着いてから、その右手を下ろした。
目の前に転がっている獣は、頭部が破裂し、大量の血液を流していた。それが地面に染み込んでいたが、染み込むより早く水たまりのようになった。
「あ、ぶなかった」
飛び付かれた瞬間、咄嗟に右手をかざした。
通称、ビットバ。それが獣の頭を貫いたのだ。そうしなければ、顔をかじられていたかもしれない。
「これ、オレードさんが言ってた、獣?」
夕方になると現れる獣、ラッカと言っただろうか。暗くなれば、夕方でなくとも川から出てくるのか。
冷や汗を拭い、その全貌を見るが、これをこのまま放置するわけにはいかない。
なにせ、ラッカの頭をビットバが貫通している。あの状況で威力は抑えられたのか、破裂しているのは頭部だけだ。右手から飛んだ光は、川向こうの森の中へ消えた。木々は薙ぎ倒していないようで安心する。
大きさは一メートル近くある。爬虫類のようにも見えるが、毛並みはトドかアシカか。水に濡れてペタリとしているが、長い毛を持っていた。口から舌をだらしなく出して死んでいるが、口の中は鋭い歯が並んでいる。下の歯だけしか残っていないが、サメのように数が多い。
この死体をどうしようか。このまま放置はできなかった。なにせ頭がないのだ。放っておけば、オレードやフェルナンに見つかって、魔物騒ぎになるのが想像付いた。
そして、自分のメンタルが強くなってきている証拠か、皮が気になった。
「水に強い毛って、すごい気になる」
草をかき分ける棒を使い、持ち上げようとすれば、結構重い。このまま川に落として、流れていくものだろうか。
遠くで、ゴロゴロという音が聞こえてくる。雷が近付いていた。
「迷ってらんないや」
雷が落ちたら怖すぎる。森の中だ。落ちるに十分な木々があるのだから。家に早く戻った方がいい。
玲那はナタを取り出した。一度行えば、もう慣れる。
そうして、そのまま、ラッカの首元に、それを振り下ろした。
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