6.一歩前進?

 深夜、十一時五十二分。

 もうすぐ日付が変わってしまう時間帯。明日も平日だから当然学校がある――だというのに、私の脳は覚醒しきっている。


 今日の出来事を反芻はんすうしては、ベッドにゴロゴロと転がることをかれこれ二時間近く繰り返している。


 蔭森と登校して、放課後は部室に遊びに行って。一緒に先生に怒られて、帰り道で連絡先を交換して。


 そして百合漫画を通して、私の知らなかった世界を知ることができた。


 楽しかったな、すごく。


「……寝れん」


 それはそれとして一向に眠気がやって来ない。もう夏休み直前で実質消化試合のような期間でも、堂々と授業中に居眠りする訳にはいかない。


 ひとまず、外の空気でも吸おう。



 *



「あれ、思ったより暑くない」


 二階のベランダに出てみると、昼間とは打って変わって涼しい風が吹いていた。熱帯夜の季節にしては珍しい。

 近くにあった椅子に腰掛け、ぼんやりと虫の声に耳を傾ける。


 ふふ……なんか私、凄い風情あることしてる。


 そのまま数分、何をするともなく風に当たって過ごす。

 うん、いい感じ。このまま眠気が来るまでここに居よう。



 ――しかし人間何も考えずに過ごすというのは難しいもので、ふと気づくと脳裏に蔭森のことを思い浮かべてしまう。

 もう寝てる時間かなとか、そもそもいつも何時に寝るんだろうとか、一度考えると決壊したダムのように思考が止まらなくなる。


 これじゃ本末転倒だ。


 スマホで時間を確認すると、十一時五十九分。

 さてどうしたものか……何気なく画面ロックを解除すると、ふとLIMEのアイコンに目が吸い寄せられる。


 蔭森のアイコン、どんなだったっけな。

 無性に何でもないことが気になり始めて、思わずアプリを開いてしまった。


 トーク欄の一番上、『蔭森』と表記されたユーザーをタップする。


 そのアイコンは、実にシンプルなものだった。机の上に無造作に置かれた、黒い丸眼鏡。


 蔭森らしいというか、なんというか。背景画像の恐らく旅行に行ったときに撮ったであろう綺麗な花畑の写真とのギャップが凄い。


 トークルームへ飛ぶと、夕方送られてきた確認用スタンプが一つだけ。


 どうしよう、何か送っちゃおうかな。常識的に深夜にいきなり連絡しちゃうのはどうなんだろう。

 気心の知れた仲ならとにかく、蔭森と私は今日連絡先を交換したばっかりだし。


 なんてことを考えている内に、指はタッチパネルを呼び出している。


 いいかな、ちょっとした質問くらいなら。別に今すぐ答えなくてもいい、それこそ朝起きて片手間に返信出来るくらいのを軽く送るくらいなら。


『話しそびれちゃったけど、美女と美獣で一番好きなセリフおしえて』


 送信欄に文字が羅列される。少し雑だな。


『蔭森さん、遅くにごめんね。話しそびれちゃったんだけど、美女と美獣で一番好きなセリフ聞いてもいい?』


 これならどうだろう。ちょっとは印象変わるかな。


「……よし」


 と意を決して送信する直前。理性が私の指に待ったをかける。が、同時にここで送らなければ私の中で収まりがつかない事も理解していた。


「やっぱり失礼だよなぁ……。どうしよ、いやでもなぁ……」


 考えて、考えて、考えて、数分後――。


「えい」


 ついに送信ボタンを押してしまった。

 流石にまだ、既読はつかない。


 こういうのは往々にして後から冷静になって来るもので、じわりと冷ややかな感覚が脳裏によぎる。


 迷惑、だったかな。やっぱり。


 思わずスマホの画面を下に向けて天を仰ぐ。モヤモヤしだした思考は、涼しい夜風が吹いても晴れてはくれない。


 目につく前に送信を取り消そう。そう思った矢先だった。


 ポコンっと軽快な送信音が独りでにスマホから奏られる。


 慌てて画面を確認すると、蔭森側から伸びた吹き出しが一つ増えている。

 ……いや、増えているどころの話じゃない。


『なんと言っても、やっぱりお互いの好意を伝えあう時のヒロインの台詞が完璧ですね。「あァそうだよ!私は馬鹿だから分かんなかったけど、お前はハナっから私の好意に気づいてたんだろ」なんて素敵すぎません?不良に少し負い目を感じているのも分かるし、ここで主人公が最初からヒロインの好意をなんとなく察していて、だからこそああいう言動を作中取っていたんだなと改めて発覚するの、胸キュンだし鳥肌モノだし凄すぎませんか??』


 ほんの一分足らずで、台本でも用意されていたかのような文章が送られてきた。

 しかも、ちゃんと私の質問に的確に答えている。新手のAIか何か……?


『分かる〜!!急にしおらしくなるのもホント反則だった』


 急いで感想を送り返すと、即刻既読の表示が出る。そしてたった数秒で再び通知音が鳴った。


『ですよね!!台詞じゃないけどその時の絶妙な表情もまた格別で、背景の描き込みと相まってもはや幻想的な絵画ですよ、あんなの。場面構成がまさしく神がかってますよね』


「ふふっ、打つの早いよ。そんなに慌てなくてもいいのに」


 画面の向こうで文字を打ち込む蔭森を想像したら、凄く愛らしく思えてくる。

 

 それに、普段は自分の発言に自信なさげで静かな蔭森が、饒舌に思いを伝えてくれている。純粋にそれが嬉しかった。

 面と向かっては緊張しがちでも、文面だときっと気後れせず話せるんだ。


『描き込み繊細だったね〜!!というか、蔭森さん寝るとこだった?』


 さりげなく会話の内容を移行させる。


 しかし、既読はつけど先ほどのような即返信はなく、しばらくの間があって通知が鳴った。


『全然起きてました。話せるのが嬉しくてたくさん送っちゃってすみません おやすみなさい』


 きゅっと胸の辺りが締め上がる。なんだ、この感情は。なんだこの可愛い文章は。

 

 自分の履歴を改めて見返して恥ずかしくなったのだろうか。それにしても、話せるのが嬉しいって。こっちまで気恥ずかしくなって鼓動が高鳴る。


「……余計眠れなくなったじゃん、もう」


『こっちこそ急にごめん!私も嬉しかったから、また話そ!』


 送ってみるが、以降既読が付く気配なし。


 時刻は十二時三十分。今夜は眠れそうになかった。

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