5.扉を開けば
「美女と美獣」。
百合漫画の新星と呼ばれる作者が手がけた、優等生と不良の恋愛を描いた作品。
私はその世界にのめり込んでいた。
品行方正な主人公の優等生は、まるでタイプの違う不良にひょんなことから絡まれ、最初は軽蔑する。
『……何か用でしょうか、あなたとお話しすることはありませんよ』
『お高く留まってから気に障んだよ。温室育ちが』
しかし何度も衝突を繰り返すうちにその背景と内心を理解し合い、少しづつ心が溶かされて行く。
『ンだよ。抜け出してえならさっさと素直になれっての。窮屈だったんだろ、今まで』
『そうだけど、もう少し言葉遣いに気をつけなさいと何度も言ったでしょう。……連れ出してくれてありがとう』
絵も、セリフ回しも、そして惹かれあっていく描写も全てが素敵で、終始心が揺さぶられ続けていた。
――そして、最後のページを捲り終える。
「……よかった」
無意識にポツリと言葉が漏れる。
胸の奥が熱い。口の中も水分が飛びきっている。視界はボヤけて、涙が滲んでいた。
「夢中でしたね大神さん。はい、よろしければ」
横から蔭森がハンカチを差し出してくれた。
無心で受け取って涙を拭いたところで、ハッと我に返る。
「あ、ありがとう蔭森さんっ、私、蔭森さんそっちのけで読んじゃってて。この前読ませてもらった時もそうだったし、ほんとにごめん」
慌てふためく私に蔭森は優しく笑みを浮かべ、返されたハンカチを丁寧に畳む。
「私のことはお気になさらず。大神さんが感動してくださったなら、私もとても嬉しいですし」
やんわりとした返答とその表情に、感動で緩くなっていた私の心は再び揺れ動いた。
意図しない欲求が溢れて、喉からこぼれ出る。
「あのさ、蔭森さん。どのシーンが一番好きだった?」
純粋に感動を蔭森と分かちあいたい。そんな思いが沸き上がる。
「私ですか?えっとですね、やっぱりお互いの心情を理解しあうここの描写がなんといっても素敵で……!!」
「あっ、分かる。私もグッと来たもん。その後のセリフも……」
ガランッ!!
「お前ら、最終下校時刻だぞ!いつまで残ってんだ!!」
「わぁぁぁ!!ご、ごめんなさいごめんなさい!!すぐ帰りますぅ!!」
「……すみませ~ん」
――どうやらとっくにタイムリミットを過ぎてしまっていたらしい。
*
「怒られちゃったね」
「ですね」
夕焼けに染まる街並みを、蔭森と並んで歩いていく。
最終下校時刻を過ぎたのは初めてだった。油断していた。
「ごめんなさい、私が気を配っていればよかったのに。つい新刊を読み始めてしまって、夢中に……」
「いいのいいの。蔭森さんは悪くないから。私も夢中になってたし」
いつもだったら不貞腐れてる、先生に怒られた帰り道。
でも不思議と今日は悪い気がしない。どうしてだろう。
一人で怒られた訳じゃないから?
それとも、蔭森が居たから?
「蔭森さん、荷物載せていいよ」
そんな疑問を払拭するように声を掛ける。
まだ答えは出せない。出していいかなんてわからない。
「あ、ありがとうございます!失礼します」
私の自転車カゴに二人分のバッグが入り、重さが増す。
……遠慮しがちな蔭森が、素直に私の提案を受け取ってくれた。
その事実を数秒経ってから理解して、顔に熱が集まっていく。嬉しい。分からないけど、それがすごく嬉しい。
「あのさ」
熱に浮かされた私の頭は、ここで言う予定じゃなかったはずの言葉を吐き出せと催促する。
「はい?」
「LIME、交換しよ」
連絡先の交換。他の友達とはあんなに簡単だったこの工程。
それが蔭森相手だと、なぜか二の足を踏んでしまっていた。タイミングなんていくらでもあったのに。
「わ、私でよければ……喜んで」
夕日が差してくれていて助かった。自分じゃどうしようもないくらい、顔が真っ赤になってるはずだから。
なんでかな……ほんとだったらもっと自然体に言い出せてる想定だったのに、全然思い通りに動けない。
「ありがと。じゃあ私がコード見せるから、登録お願い!」
ぎこちなく蔭森がスマホを取り出して、慣れない動作のまま必死に登録作業を進める。
「すみません、こう……であってますかね」
「確認にスタンプでも送ってみてよ」
ポコンっと軽快な音が鳴って、見覚えのある三白眼の女性がこちらに
「美女と美獣」の不良ヒロインだ。
「わっ!?間違えました!!よろしくって送ろうとしたのに……!」
「くっ、ふふ……っ、いいよそんなに慌てなくても。可愛いなぁもう」
……あ。
私、今言っちゃった。面と向かって可愛いって。完全に無意識だった。
バクバクと早鐘を打ち始めた心臓の音が鼓膜に響く。息を上手く吸い込めない。
「え、えっと、今のは」
「あっ、可愛いですよね、この子!」
画面のスタンプを指差して、蔭森は声を上げた。
この人、勘違いしてるな。
「うん、そうそう。めっちゃかわいい。素直になれない内面もいじらしくて素敵」
「大神さん……!わかってらっしゃる!」
――結局、その日は最後まで作品について語って解散した。
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