2.知らない世界がそこにある

 7月1日。干上がるくらい暑い。それと同じくらい、私の頭の中も熱く沸騰している。……昨日のあの時からずっと。


「おっは〜瑠花。なんか顔色悪くない?」


「おは……寝不足だわ」


 結局、蔭森と別れてからずっとぼんやりしていて、心の整理もままならなかった。悶々と消化できない蟠りわだかまが巣食ったまま、今学校に居る。


「マジか、瑠花にしては珍し……ひょっとして寝落ち通話??」


「違うわ!まぁその……考え事してたら眠れなかった」


「え、まさか好きな人ができたとか」


「なんでも色恋沙汰に繋げんなっての!も〜、そういうんじゃないから」


 この恋愛脳め、と内心若干恨めしく思いながら、私は無意識に教室の出入口を目で追っていた。朝の予鈴が鳴る数分前、即ち蔭森が登校してくる時間帯。


 とりあえず、昨日の事を謝りたい。彼女の秘密を知ってしまった訳だし、同じクラスにいる以上これからも顔を合わせることになる。気まずくならない為にも一度蔭森と話しておきたかった。


「……あ、来た」


 そして予想通り、ガラガラと前方の扉を空け、昨日以上に猫背の蔭森が右端の後方の席に座った。

 声を掛けよう。軽くお詫びして、それで後腐れなく終わり、それで良い。……だと思っていたのに。


「よし、お前ら席に着け〜」


 ――私のささやかな決意は、想定より早く来てしまった担任によって遮られた。


 *


「はぁ……上手く行かないもんだね」


 気づけばもう昼休み。休み時間の度に蔭森に話しかけようとはしたものの、頻繁に友人達が話しにやってきたり、気付いたら蔭森が教室から居なくなっていたりで全くチャンスが掴めない。属するグループが違うと話すことさえままならないんだなぁ、と痛感する。


 切り札だった昼休みも、始まって間もなく蔭森が姿を消してしまったから打つ手ナシ。

 

 どうしたもんかな〜とぼんやり考えながら、気分転換に購買に向かって歩いていた。所々できた人溜まりや、廊下を歩いている生徒を早足で抜いてスルスルと進んでいく。


 購買があるのは一階。私のクラスは二階なもので、面倒だが階段を下らなければならない。

 手薄になった廊下の突き当たり、階下に続く階段を降りる、その瞬間――


「……あれ?」


 階段手前の教室の中に、信じられない人を見た。……蔭森だ、蔭森が居る。

 慌てて教室のプレートを確認すると、薄汚れた文字で『理科準備室』と刻まれている。何の用でここに?


 ともかく、これはチャンスだ。意を決して扉をコンコンと軽くノックした。


「ぅぇっ………!?!?」


 素っ頓狂な声を上げ、椅子から勢いよく立ち上がった蔭森は、扉の小窓越しに私の姿を確認した後一瞬目を丸くする。

 そしておずおずと気まずそうに扉に近づき、ゆっくりと開けた。


「ぁ……蔭森、さん。ごめんね急に」


「いっ、いえ。えっと……な、何かご用でしょうか……?」


 消え入るような弱々しい声で、絶妙に目線を下に向ける蔭森。なんだか小動物みたいで、急に邪魔してしまったことに罪悪感を覚えてしまう。

 

 ――いや、自分を見失ってはいけない。当初の目的を果たすんだ。


「昨日のことなんだけどさ、改めて謝りたくって……ごめんね、表紙見ちゃって」


「い、いいんですいいんです!!私が転んだのが悪いしっ!」


 大袈裟に首を振る蔭森にますます小動物みを感じる。許してくれたことに安心した……と同時に、自分でも思ってもみない言葉が知らぬ間に口をついた。


「ふふっ、ありがとう。読んでるんだね、蔭森さんって」


 それが自分の口から出た発言だと信じられなかった。一言詫びてそれで終わりだったハズなのに。


「かわいい……っ、ですか??て、てっきり変な物読んでるとか思われているのかと……」


「ぁっ……まさか!そんなことないよ」


 自分でも自分の発言を飲み込めなかった。それでも、蔭森に自分の好きな物を卑下して欲しくはない。咄嗟に彼女の発言を遮って、言葉を続ける。


「蔭森さんが何読んでても変だとは思わないし。それに、ちょっと……私も面白そうだなって思ったし」


 蔭森をフォローする勢いで、昨日から私の中で生まれていた正体不明の感情が、面白そうという言葉として喉から躍り出た。

 途端に噴き出す「言ってしまった」という冷や汗。同時に、喉元を過ぎて言葉となって外に出た感情にどこか安堵と高揚を覚える自分が居た。それこそ、思わず口角が上がってしまうような、謎の高揚。


「……面白そう??」


 鳩が豆鉄砲を食らったようなまん丸な目で硬直した蔭森は、数秒後にぱぁっと表情を綻ばせてわたわたと慌て始める。まるで、感情の処理が出来ていないかのように。


 そして意を決したように、私に向き直った彼女が言い放った。


「お、おお、大神さんっ……もし、もしご興味がお有りでしたら……!!み、みみみ……見ますかっ!?」


「見る??……って、あの百合漫画を?」


 心拍数が一段と跳ね上がる。私が、百合漫画を、見る。

 不思議な高揚感はさらに熱を帯びて、思わずごくりと生唾を飲み込んでいた。


「……見せて」


 上気した顔で頷いた蔭森は、教室の中へと私を招く。当初の目的はとっくに果たしているのに、私は迷うことなく足を踏み入れて行った。


 準備室なだけあってメインの教室では無いため、少し小さめでダンボールや備品が所狭しと並んでいる。そんな教室の中心の長机、蔭森が用意してくれたパイプ椅子に座る。

 

「ねぇ、蔭森さんはここで何してたの?」


「わっ、私……文芸部なんです。実は。部員は私しか居ないから、じきに廃部になっちゃいそうですけど」


 文芸部なんてあったんだ。ウチの高校は「自由な校風」とやらをモットーにしている関係上、やたら部活が多い。入学当初の説明会だけでは把握するのは難しいだろう。


「この理科準備室、文芸部の部室になってて……理科の授業以外で使われることないし、人気の無い場所だから、居心地がいいんです……そっ、それでその、漫画とか小説を、ここで読んでて……」


「なるほど、安息地ってワケだね」


 確かに、多少の埃っぽさに目を瞑れば、人も殆ど来ることはないし他の教室と離れていて静かだし、立地が良い。


「そうなんです、私、人が沢山いるとこ苦手だからちょうど良くて……って、すみません、長々と喋っちゃって……!」


 いそいそと机の端にあった紙袋の中から、一冊の本を取り出す蔭森。……私はその表紙に、強烈な見覚えがあった。


「あっ、その本」


「昨日、大神さんが拾ってくださった本のひとつですね……貴族のご令嬢が、お付きのメイドさんと、その……恋愛をするというものでして……」


 自然と指が表紙を捲りに掛かる。知りたい。もっと先が見たい。歯止めが段々と効かなくなっていた。


「絵……すっごい綺麗だね、キャラもみんな可愛い」


「そうなんです、この作者さんは描き込みが繊細で丁寧で……是非、お好きに見てください」


 促され、コマに目を落とし、私は漫画の世界へと入り込んでいった。


 ――――


 時は中世。身分制度が当たり前の様に存在する中で、身分の高い令嬢の主人公は人を見下しながら生きてきた。

 そんな彼女は、散々な扱いを受けながらも懸命に働く一人のメイドに興味を抱き、交流を通じてやがて価値観が変わっていき、二人の間には確かな絆が生まれていく。


『お嬢様、どうか斯様な無礼を、今だけはどうかお許しください……今宵を過ぎれば私の身はどうなっても構いません。ですから――』


『それ以上は言わないで。貴女の身には何もさせないし、誰にも渡さない。今は……私を愛でる事だけ考えなさい』


 ――――


 ……二人が遂に一線を超える所で、一巻は幕を閉じた。


「すっ……ご。なにこれ、なに」


 目を離すことが出来なかった。瞬きするのも惜しいくらい、一コマ一コマに洗練されたタッチで人々が生きていた。そして、そんな緻密な世界の中で、身分というしがらみを乗り越えて麗しき令嬢と健気なメイドは、性別を乗り越え結ばれた。……なんて、綺麗なんだろう。


 身体の芯が熱くて仕方がない。口の中もカラカラに渇ききっていた。横に居る蔭森の事も忘れて、食い入るように見てしまった。


「……っ、ごめん蔭森さんっ、私夢中になっちゃって!」


「いえ……大丈夫です。私、今すごく嬉しいです」


 にこやかな笑顔の蔭森は、そのまま愛おしそうに本の表紙を一撫でする。


「私が好きな物に誰かが夢中になってくれるのって、こんなに幸せな事……なんですね」


 今まで関わらないと思っていた、何もかもが違う彼女が見せた満面の笑みに、私は――「可愛い」と、そう思ってしまった。


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うるふがーる×らぶぱにっく カラスウリ @Karasu_

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