第29話 泥濘の瞳
前方の男のエルフは大きく足を上げ乗り物を降りる。その手には杖が握られているが……いや杖と呼ぶには些か太過ぎるし妙に金属質な外観だ。分からない。
「そもそも、相互不干渉協定なんて何時の……」
「それ以上近付いたら駄目です!」
エルフが此方に向かおうと足を出そうとした間際に、黙っていたエリオルベルが声を荒げた。動きが一瞬止まる。
「ダメデス〜だってよ」
「可愛いねぇ。でも死ぬんだよテメェらは! 顔が分かんねぇくらいボコボコにされるか干涸びて砂になるか選ぶんだよ!」
いくらか会話を交わして理解した。これは話を長引かせる程頭に血を上らせて暴力的な行いに頼りかねないと。
癪だし腹も立つが、従う他は無い。
「分かった、荷物は置いていく! だから乱暴な真似は止めろ」
そう言ってゆっくりと背負った物を下ろし、俺は片腕で放り投げた。
目の前のエルフは何やら目を細めて嫌悪感を露わにする。
「よく見たら気持ち悪りぃ体してんな。本当に人種かよお前」
「込み入った事情があるんだよ」
込み入りすぎているが。
「あんたのブツもキラキラ輝いてるのかい? 気になるねぇ、脱いで見せな!」
「断る」
「テメェの汚ねぇもん見せんじゃねぇ!! 脱ぐな! ぶち殺すぞ!」
「脱がねぇって言ってんだろ!!」
横からの茶々があまりにも雑音。俺はつい苛立って同じ土俵に立ち上がってしまった。
「テメェの身の上なんて知るかよ。でも、これは有り難く頂いておくぜ」
目の前の男エルフがそう言って薄ら笑い、足の一歩を前に出した。
すると「ギュポ」と到底人の口にする言葉じゃないある種の鳴き声のような発声を残して、そのエルフの男は突然膝から崩れ落ちる。
急になんだ、病気か?。全員の目線がその倒れた男に集まって、周りの空気が張り詰めた。
「お、おい。エンリケ。どうしたんだ……?」
そして少しの間を置いて、周囲の中の1人が口にした。
うつ伏せのまま小さく痙攣し、生きてはいるようだがその声に対する返事は無い。
「私、近付いたら駄目だって、言いましたよね……」
「エリオルベル……?」
俯き加減のエリオルベルが手を離し、そして倒れたエルフの方へ向かうと、俺の放った荷物を持って引き摺りながらそのままエルフの前に立つ。
「話をちゃんと聞けない人はキライですよ。ねぇ、エルフさん……」
後ろからしか見えないが、エリオルベルはエルフの頭上辺りでしゃがみ、そうねっとりと口を付いた。
怒っている……ようには見えないのだが。寧ろ真逆に丁寧で、粘つくような、そんなゆっくりと脳を侵食する口調。
内にある自己を無理矢理塗り替えられる恐れ、洗脳的恐怖とでも言える何かを俺は感じた。
普段とは違う独特な言葉の使い方に、その雰囲気に、俺は掛ける言葉が見つからずに硬直する。
「エルフさん。貴方はこんな悪い事をする人じゃないです。本当は良い子……良い子なんですよ。よく笑って、ご飯をいっぱい食べて、スヤスヤと眠りに着くそんな子に早く戻って下さい」
言葉の内容と比べればあまりにも影が差している。その成長は間違いであると言いたげに、善も悪も含めて積み上げた経験を否定している。
有無を言わさない絶対的な存在感。それが自分が自分である事を否定し、エリオルベルの言う『良い子』というナニカの型に嵌められる。
こじんまりとした魔法の才に溢れただけの娘なのに、自我を塗り変えられまいとして生まれる恐怖は止めどが無い。
「や、やばい……。コイツ、何かヤバいよ!」
「逃げるぞ!!」
同じく察したのか、意気揚々と喋り散らかしていた他の追い剥ぎ達も冷や汗を纏わせた。
そのまま乗り物が爆音を鳴り響かせると、彼等は高速にこの場を後にしようとする。
エリオルベルはゆっくりと立ち上がって……振り返った。
「……友達を置いていく悪い子も嫌いです。でも貴方達も本当は良い子。皆んな元に、赤ちゃんに還りましょう」
俺の知らないエリオルベルの顔がそこにあった。
黒い泥を思わせる飲み込まれそうな瞳。一度合わせれば絡め取って、抜け出せず全身に入り込み息の根を奪う。
草花が虫を誘うように小さく微笑んで、そのトラップに掛かるであろう者を誘う。
「うああああああぁぁぁぁぁ!!!」
近くでエリオルベルの目と合った1人がそう叫んで一目散に逃げて行った。皮切りにして他の追い剥ぎ達も後を追い、砂埃を一面に撒き散らせる。
落ち着いた頃に残ったものは、倒れたままのエルフの1人と俺達だけだった。
エリオルベルはフッと軽く瞬きをすると、またいつもの表情に戻った。最初に会った頃と同じ子供のような顔付きに。
内心の恐ろしさに耐えながら、俺はエルフと下へと歩く。
彼は痙攣は治って微動だにしない。だ、大丈夫なのかこれ……。殺されそうになった相手だから同情するのもどうかと思うけど、でも、ほんの少しだけ哀れさがある。
「生きてるよな、これ」
「お仕置きです。暫くしたら目を覚まします」
「そ、そうか……」
普段と変わらないエリオルベルの言葉と口調に、ホッと胸を撫で下ろした。
「どうぞ」
エリオルベルは回収した荷物を差し出した。
「ありがとう。……どうするかな、これ」
それを背負い直して、目の前に残る車輪の付いた乗り物とエルフの二つを俯瞰し、俺は結晶の手で頭を掻く。鉱物の硬い質感が程良く、少しだけ悔しさを感じたのだった。
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