第間話 別離の後に

◇◇◇◇




 夜半に静まり返るギルドの室内は人が少なく、月に雲の帷を掛けるように一時の陰りが広がっている。

 火の魔石を内部に秘めたランタンは煌々と照らしてはいるものの、それは人々の心の中で渦巻く様々な不和をかき消すに至らず。

 席に座る者、立つ者、眠る者。皆一様に何処か悲しげな雰囲気を纏って存在している。

 音が少ないのもきっと、その何かしらの自罰的な感情がそうさせるのだろう。受付にいるギルドの事務員も逆らわず、懺悔室とも似た空気を壊す事はなかった。

 時々調理場から響く、鉄火に惑う食材の悲鳴があったが、これは静かな場所には良いアクセントとなるかもしれない。


 そんな怪しくも居心地の良さを兼ね備えた中で、一つのテーブルを3人で囲んでいる者達が顔を落としている。会話は途切れているのか、ただ黙っている。

 そこへ紫色のドレスを着飾り靡かせる、妖艶な笑みを浮かべた女性が近付いた。

「荷役君まだ戻って来ないのね」

「失せろ」

 全身を強固な鎧で包む1人が、低い敵意を込めた声を放つ。

 浴びせられた女は口元を隠しこそこそと笑う。

「こわーいこわーい。……でも、ちょっと心配だわね」

 茶化す言葉だけを残してまた、このドレスの女は去って行く。


 鎧の主は鼻息を吐いて、2人へ顔を動かした。

「今日で日数は」

「20日と3日。到達出来ていれば、もうベルギリオンに挑んでいる頃かと」

 鎧の言葉に、魔法使い然とした装いの者が口を開いた。力の抜けた声色には生気が無い。

 その会話を皮切りにして、軽装に身を纏う盗賊風が。背の低いもう1人も顔を上げた。

「うーん……。多分、きっと、熱帯苦林のルートから行ったよね……? なら辿り着けてはいると思うよ」

「クレイドは冒険者という肩書き、作られた理想を羨望していた。なら他のルートを選択する動機はある筈だ」


 魔法使いは被るハットを取り、手入れを怠っていると見える、毛の艶の途絶えた荒い髪に手櫛を入れる。そしてその腕で肘を立て片目を覆った。

「海は船が必須なので除外。闇盲も特注の装備がいるのでこれも外します。砂漠、雪原、生草、熱帯。これ等に絞られますね」

「クレイドは銃でしょ? 生草は魔物いっぱいだし、これも抜いて良いんじゃないかな」

「砂漠、雪原、熱帯。3つか」

 去ってしまったパーティメンバーに対する未練。それは日を跨いだとてこの者らは払拭出来ず、へばり付くような執着心と見紛う感情を発露させる。

 全員は息を合わせるかの如く溜息が重なった。照明が一瞬、点滅を見せる。


「私、クレイドが強くなくっても良かったんだよ。お友達だから、ずっとずっと面倒見てあげるつもりだったの。……何でなのかな」

 盗賊の1人が、心細さを丸め込んだ言葉を放つ。


「冒険者となると決めた時、人は大なり小なり覚悟をして身を投じます。死の隣へ歩き出すのですからね。だから私は無下にされたと思われない為に強く当たりました。それは間違いだったのでしょうか」

 続けた魔法使いの1人は、潰れたナイフの刃を思わせる。


「話をするべきだったのかもな。今こうして机を囲む事自体記憶には少ない。冒険以外となると関わりは薄かった」

 そして鎧の、戦士の1人は、くぐもった硝子の様な言葉を放った。何度拭こうが滲み出し、キリのない不毛さがそこにある。


 3人はまた、溜息を重ねた。

「行きずり……その言葉は確かに、否定出来ませんよね」

「はぁ。次の人見つかるかなぁ」

 2人は会話になっていない言葉を返し、戦士はテーブルを壊しかねない勢いで立ち上がる。

 突然の騒音に視線を集め、数秒そのままでいるとまた周囲は静けさを取り戻す。

「クレイドは義理を果たした。だから、もう切り替えろ。別れは冒険者の常だ」

 そして口惜しさの感情を孕む一言を放った。

 諦念と後悔だけがその一空間に、あまりにも強い感情として依然として残り続ける。


 各々が立ち上がり、その場を後にする為動き出すと——。

「あーら諦めちゃうのね。なら私が貰ってもいい?」

 隣の席から高らかに届く、妖艶な女の声とビアジョッキを片手にテーブルへ腰を落とす姿。3人が振り向くと一口傾ける。

「今、何と言った」

「クレイド君いっぱい頑張ってくれるからずっと欲しかったの。1人ソロでいるのも飽きてきちゃったから……侍らせるのに丁度良いわね」

 鎧の戦士は怒気を隠さず、発せられたそのままに勢い良く女の胸ぐらを掴む。ビアジョッキの中身が跳ねた。


「殺されたいのなら、殺されたいと、直接言葉にしたらどうだ」

「貴女は出来なかったものね。こ、と、ば、に」

 挑発的な女の言動。戦士は背中に座す大剣の柄に手を掛ける。

「ちょおおお! ストップストップ! 仲間割れは止めましょうや!」

 引き抜かれるその間際、割って入る背の低い男が慌てつつも宥めた。

 金色の短髪に小麦色の肌をしている。目を覆う為のゴーグルが特に主張し、両肩を下げるベルトはズボンと繋がっている。その様相は周りと比べかなり異質である。

「貴様はなんだ。いや、2人か……」


 その金髪の男の隣に、もう1人姿があった。此方の男は黒髪に鋭い目付きが特徴的だった。

 右半身に掛かる茶けたローブは足下まで及び、恐らくではあるものの、暗器の類を隠し持っていると推察出来る。

 見える左半身の腰元には円柱状の何かしらの道具を引っ提げている。

「俺達はチーム心眼鏡クリアセンスです。2人だけですけども」

「この人の依頼を受けたのさ。人探しに行くんだろう?」

 鋭い目つきの男が指し示した指の先は女に向かっている。戦士は目線を戻した。


「お前……何のつもりだ。零弦の魔女ムールタニア

 震え上がりそうな圧力に対し、目前のムールタニアは何処吹く風と、またジョッキを傾ける。

「私は雪原。2人には砂漠。貴女達は熱帯に行きなさい。しょうがないから手伝ってあげる。報酬はちゃんと貰うけどね」

 先程までの挑発的な言葉が嘘の様に、優しさを孕んだ言葉は戦士の手元を引き戻させる。

 力無く垂れ下がるが、その目線は未だムールタニアに向いている。

「…………」

 戦士の口は閉ざされた。


 それを見ていたムールタニアは瞳を落とし、一瞬物鬱げな表情を垣間見せると口角を上げる。

「またダンマリ? だからあの子にも誤解されるんじゃないの。背中を押してあげるって言ってるのよ。昔のよしみでね」

 一連を目撃していた盗賊が一歩前に出る。ワナワナと体を小刻みに震えさせて。

「私、行くよ! やっぱりこのままお別れなんて嫌。ちゃんと謝って、ちゃんとまたお友達に戻りたい!」

 強く意志の籠った言葉である。

 横目で見ていて魔法使いも悲しげだった瞳に火を灯し、同じく一歩前へ。


「アガス。私も……クレイドに会いたい。強くなくとも優しさはあった筈なのに、私が、私達がそれを奪ってしまった。教えていた勉強だってまだ途中です」

「2人はそう言ってるわよ? どうするの? アン」

 戦士は押し黙りつつも、重厚な仮面の奥から漏れ出る逡巡、迷いが発せられる。そして全員の視線が注がれる中で、戦士アガストロダインの鎧が唐突と鳴った。

「…………行く。行こう」

 ムールタニアは笑顔を浮かべ、ジョッキをテーブルに残し出口へ向かう。


「おーけい。なら早速準備しなくちゃね」

 彼女を先頭として後を追う、3人とチームクリアセンス。バラバラなそれ等のパーティは今ここに、一つの目的を主として団結する。

 合同クエスト、クレイド・タールロックの捜索。その発令はこの時をもって、言葉と思慮の足らぬ自戒をも内在させる。

 1人は冒険者としての矜持を無碍に、1人は冒険者としての力を足蹴に、1人は仲間内の関係性を軽んじ続けた。

 やり直そうと進み出す3人の足は軽さがあった。

 重荷が吹っ切れた者の纏う夜風は、何処か清涼でこの場の空気を掻き回すものである。

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