第8話 顔のない夢

◇◇◇◇




 昔からよく見る夢があった。

 なんて事はない。ただ砂漠を歩き、砂浜を歩き、森を歩き、雪道を歩く。砂利道もあったっけ。視線は下ばかり見ていたから景色は分からない。

 その道程で魔物が現れれば、針の様に細い剣を奮って襲い掛かるそれ等をしばき倒している。きっと昔孤児院で聴かされたお伽話の記憶が、せめて夢の中でならと幻想を作り上げたのだろうと俺はそう納得していた。

 でも、毎回決まって夢の最後。同じ光景で目を覚ますのは不可解だとも思った。

 外と思しき場所から丁寧に張られたタイル張りの、恐らく何処かの一室に場所は移る。

 それで下ばかり見ていた視線が上がって行き、全身の装いを白にのみ染め上げる、潔癖の気でもあるのかと感じる1人の人物を見据える。


 人である事は確かなのだけど顔が分からなかった。その部分だけ墨で塗りつぶした様に黒く隠されているから。

 奇妙なのが俺の心はそんな相手に対して、緊張感なのか何なのか心臓の音が煩わしいと思わせる程に高鳴る。

 黙っていると相手は一言「勝っても負けてもどっちでもいいよ。だって私、頑張ってる貴方が好きなんだから」と、声を荒げた事など一度も無いのだろうと分かる清廉な言葉を言い放って夢はぷつりと途絶えるのだ。

 悪夢とは呼べず、吉夢という訳でもない。別に見たからって人生が思うように進んだ覚えもない。

 ただそれでも、何度見てもこの夢だけは、俺の頭の中に忘れる事は許さないと言いたげに張り付いた。その感覚が嫌に気持ち悪かった。


 俺は意識が覚める最中、唐突にケツに奔る痺れた痛みと弾ける様な衝撃音に思わず飛び起きた。

 そして勢いのまま真後ろを見ると、仁王に立つあまりにも太り肥えた中年の女性と向き合った。その手には短めのハタキが握られている。

「宿泊一日。終わりの時間だよ。これ以上寝たいならもう一日分払いな」

 嫌味な言い方だった。夢で聴かされた声の方が何倍もマシだ。比べるのも烏滸がましいか。

 俺は尻を摩りながら渋々首を横に振ると、鼻息を一つ残してその女性は去って行く。一応常連なんだから手加減してくれよ……。


 ここは金の無い冒険者に人気な宿屋である。途轍もなく安い値段で寝泊まり出来るものの、環境はやはり良いものではない。

 目に映るこの広い長屋の中では敷物が所狭しと並び、そこに寝転がる者達がまるで物の如く押し詰められている。使い古され汚れ穴の空いた、生地と呼ぶには到底憚られるそれを頼りにして。

 先程の女性はこの宿屋の主人だ。無愛想で口数が少なく直ぐに手が出る。

 背に腹をかえられない者達の足下を見て横暴を働いているのだ。全く。いつか絶対こんな所抜け出て大成してやるからな。

 目覚めは最悪も良い所だった。さっさと出て行かないとまた叩かれそうなので、とっとと荷物を纏めて俺はこの貧民窟を後にする。


 扉を開けて外に出ると目の前の街道は人々の群れでごった返していた。人種問わず亜人だろうと人間だろうと話せるのなら扱いは変わらない。そのおかげかいろんな方面から人がやってくる。

 俺は暑苦しさを感じつつもその人々の喧騒の中へ紛れ込む。

 前の人の歩幅に合わせ、道すがらの端にずらっと並ぶ露天へ目が泳いだ。

 民芸品やら食物やら武器や防具。恋人向けのアクセサリーなんかは人気なようで、男女の組み合わせで妙に色気付いた空気がそこに充満していたりする。多種多様だ。

 時刻で考えたらまだ昼前だろう。それでこの熱気は国としての力がとても強いのだと思わざるを得ない。


 ここはプレコニール商業国の中心街。海と隣接した巨大な港湾が特に有名で、立ち並ぶ大型船は数え切れず日々各地へと行き交っている。

 下ろされた世界各国の品々が市場に舞い込む様は一日中眺めていても飽きない位だ。観光スポットにも名を挙げられている。

 様々な人種が受け入れられているのもその交易の関係で出入りが多く慣れている事が大きい。国としても利益重視の方向に舵を切っているので、この在り方は当分変わらないだろう。

 経済第一とは人によって見え方が変わってしまうものの、俺の考えとしては懐が深く頭の良いやり方だと見ていた。

 労働者であり益を生み出す限りこの国は誰もを受け入れ見離す事がない。生まれも血縁も何もかもが無為に帰し、凪の如く平坦な海原を作り上げている。


 身一つで良いのだ。もし泳いで溺れるのであればそれは当人の問題だろうな。絶対にそうならないよう努力し続けて行かなきゃならない。

 ずり落ちてきたバッグの位置を直し、大通りを外れる形で見慣れた横道に入ると、ここもまあまあ人の往来はあった。

 違いと言えば顔付きに慣れが滲み出ている所か。

 道すがらの者は俺と同じ様に荷物を背負っていたり、軽装に腰に剣を携えていたり、長いローブにハットで顔を隠し、重厚な鎧に全身を包まれていたりもする。

 まぁ俺が向かう先を考えればそういった冒険者が多いのも当然だ。


 淡々と歩く道中、枯れ木の様に身体の肉を失った者が地面に腰を据えていた。

 それとすれ違った際、小さく声が聞こえる。

「1レックでも良いので……お恵みを……」

 俺は居ない物としてそのまま通り過ぎる。

 彼と似た薄汚れた身なりの人々は多く、同じく通り掛かりに声を掛ける様子はあるが、皆無視をして目線すら動かさない。

 俺の言い方で例えるなら溺れた者達という訳だ。

 彼ら冒険者は実入りが良いので何とかそのおこぼれにあやかれないかと淡々と声だけを掛け続ける。

 反応を示せば途端に囲まれて要求に止め処が無くなる。恐ろしいものだ。

 曰く亡者の道と呼ばれている。それを見て冒険者は絶対にこうはならないと心を引き締めるのだ。

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