第5話 蛮勇を抱いて死地に


 その大柄の魔物はキョロキョロと辺りを見回した。

 瞳孔の開き切った瞳からは攻撃の対象を探しつつ、何か警戒心の様なものも孕んでいると感じた。

 苛立ちを表すかの様に歯を浮き出し、荒い呼吸から涎も口端から漏らす。

 あれは確か〈ソードベグル〉って言ったっけな。雪原地帯に生息する獰猛な魔物で目に入った生き物には何にでも襲い掛かる怖いもの知らず。自慢の爪で獲物を狩るのに固執している個体が多いとかなんとか。

 上級クラスの冒険者でも難儀するかなりの強敵。俺の魔力銃では鎧の如く密度の高い密集した毛に阻まれて歯が立たないだろうな。


 この手の魔物は目が悪いのだが、その分かなり鼻が効く。ついさっきブルーラバットを捌いたのでその血の匂いを嗅ぎ取る事は造作もないだろう。

 やばいな……下手するとテントの方まで向かって来かねない。

 地帯からの逸れ魔物が現れるとは知っていても、まさかいきなりこんなレベル違いが現れるとは。

 前途多難という言葉が脳裏に浮かんだ。

 射程距離に入って先手必勝の精神で仕掛ければ多少のダメージは与えられるだろうが……どうするか。

 無闇矢鱈に狙っても効果は薄い。可能性があるのだとしたら既に出来上がった傷口を起点に突破口が開けるのかも。

 

 思案していると不意にソードベグルが上空を見上げた。

 そしてまた一つ空気を振るわせる獣の絶叫を高らかに放つと、雪原地帯の岩壁に飛び掛かりその爪を突き刺した。

 右、左。右、左。と交互に引っ掛けては登って行く。

 ……あれの狙いはこの平安平野には無い、という事で良いのだろうか。ソードベグルは何を見たんだ?。

 俺は疑問に思って視線を高らかに上げると、そこには一つの影が差していた。


 あれも……ソードベグルか?。

 薄らと見えたその姿は落ちた魔物と遜色がない姿形であった。しかし唯一違う点がある。

 灰色の体色の一部が黄色……いや、金色か? 通常の個体とは掛け離れた部分が見受けられた。

「まさかユニークモンスターか?」

 特殊な産まれまたは特異な環境や生育により変化した魔物をユニークモンスターと呼称する。

 今回の場合あれとの縄張り争いの最中運悪く落下した感じか。野生のユニークは概ね通常個体よりも強力な場合が多々あるのでこいつもそうなのだろう。中々見る機会にはありつけないので相当にレアな体験だ。

 その競争相手は何食わぬ顔で、もう興味もないと言いたげに姿を消していくのだった。


 しかし迷った魔物は元の地帯に戻ると言ったってかなり強引に行くもんなんだな。直接自力で戻るのはかなりのパワープレイだと思わざるを得ない。

 悠々と帰っていくソードベグルに弾の一つでも当てられたら良いのだが、生憎近付いてくれないとそもそものダメージは見込めないか。

 俺の心は安堵に包まれていた。アレの矛先がこちらに向かないで本当に助かったと……。

 同じくして一つの湧き上がる疑問。本当にこのままで良いのかと、この考えは正しいのだろうかと。

 強敵を前にして縮こまり、敵の意識外にいる事に安心する有様は冒険者の在り方として正しいのか?。


 俺が何故周囲の反対や嘲笑に抗ってまで飛び出して来たのか。それは「お前には無理だ」とした者達を自分のやり方で見返したかったからではないのか。

 勝てない者に勝てないとする自己評価は正しい。しかしそれに対して挑みもせずしょうがないのだと諦めて胸を撫で下ろすのは違うんじゃないか。

 その精神性を叩き直さない限り結局ダンジョンに挑んだ所で養分となるのがオチだろう。価値がないからと他に人は居らず、しかし難易度の高さから難攻不落と称された此処に挑むと決めたのはその心を払拭したいが為じゃないのか。

 「直ぐ逃げ帰るに10レック」去り際に俺で賭け事を始めた戦士の言葉が体を動かした。


 テントから離れて巻き込まれない位置からソードベグルに駆け寄る。駄目だ、足はもう止まらない。

 若干の後悔を感じながら、何かある種の解放感のようなものも同時に心にはあった。

 1……50mくらいか? 145、140……。

 距離の目算を立てながら有効打を与えられる距離までをひたすらに走る。

 銃撃に関しては買ってから鍛えて来たものの、それでもまだ足りていない。

 癖に理解が及ばないとでも言うのか、狙った方向に弾が飛ばない事がままある。

 そこを加味するのなら100mギリギリでは駄目だ。せめて90m位まで近付かなければ話にならない。弾だっていくらか使ってしまったんだから。


 未だ岩壁に張り付いているソードベグルは俺の存在に気付いていない。かなり音を立ててしまったのだが、無視出来るほどあのユニークに腹を据えかねているようだ。

 110…………。100……。

 大台に乗った所でソードベグルの頭部がぐるりと下を向き俺と目が合った。

 途端に押さえ付けられるように俺の体が硬直。踏み出す足が前に行かない。

 〈威圧のスキル〉か……! 気象の荒い魔物が備える行動阻害の技!。力量差がある分その効果は絶大に作用する。

 

 あと10mが途轍もない長い道のり。たったこれっぽっちの距離が果てしなく遠い。

 登っていたソードベグルは岩壁に足を押し込んでその爪を引き抜いた。自由落下で俺の目と鼻の先に着地する。

 流石に感情のまま動きすぎたか。そりゃ勘付かれるよな。……いや、それにしたってあの反応の速さは……俺が向かっていると知っていた?。

 大地を揺らす鈍重な足音と共に、ソードベグルは感慨などなく俺という障害を排除するのに遠慮が無さそうだ。

「あー、くっそ。……死ぬかもなぁこれ」

 嵌められた。人間どころか魔物にまで手玉に取られるのかと、不甲斐無さから来る憤りを感じていた。

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