31.オレの親友で、オレの女神で
試着室のカーテンを閉め、ここは
俺の反応は想定外だったのだろう、小春ちゃんは気まずそうに俺から手を離し、謝罪の言葉を述べた。
「ご、ごめんねハルちゃん。そんなに嫌だったなんて思わなくて……無理やりしちゃって、怒ってる?」
俺の反応を見て、嫌がってると思ったのだろう。
でも違うんだ。別に嫌だったわけでも、怒ってるわけでもない。
ただ、自分の気持ちが抑えられなくなってて、暴走しそうなだけだったんだ。
「ごめん、小春ちゃん。違うんだ。ちょっと嫌だったけど、別に怒ってない」
「そうなの? 良かった……。でも、だったらなんで?」
なんで?と言われても……。
「キリが……いや違う。俺が……いや、なんて言ったら良いか……」
なんて説明すれば良いのか自分でも要領を得ず、今俺の頭の中では感情が暴れてめちゃくちゃになっていて、整理されていない。
だからそのまま言葉が継げず、黙ってしまった。
◇◆◇
沈黙を破ったのは小春ちゃんだった。
「――ハルちゃんはさ、霧矢くんの事、どう思ってるの?」
「どう……って。……今は親友だと、思ってる……」
そう、親友だ。キリは親友なんだ。
それはブレないし、ブレさせたくない。
「今は。って事は前は違う?」
前。……うん。ちょっと前は親友じゃ無かった。
「うん。……前までは異性として好きな人で、その……恋人だった……と思う」
そう応えると、小春ちゃんは俺の背後でう〜ん、と考え込んだ。
「前は恋人で今は親友……? ――それって、別に
確かに一般的な男女の恋人から友達、つまり別れたとは違う。
「キリは俺の事を男の時の親友と知っていて、それに加えて女になった俺の事、異性として好きになったみたいなんだ。 だけど俺は親友のキリだって気付いてなくて、ただ普通に、女として叢雨くんの事を好きになった。だからその時の俺は普通の恋人同士だと思ってた」
そう、あの時までの俺は叢雨くんの事を普通に、女として、ただ好きだったんだ。
「なるほど、それでどこかで喧嘩したとか?」
「いや、喧嘩はしてない……と思う。ただ、ある時に親友のキリだって言われた時、俺の中で恋人関係は終わったと思った」
「え?なんで?」
「だって、恋人は親友にはなれないし、親友と恋人は別ものだと思うから。俺にとってキリは大事な、無くしたくない親友なんだ」
そう応えると小春ちゃんはまた考え込み、俺の背後から抱きついてきて耳元で囁いた。
「ハルちゃん、その考え方は違うと思うな。 うちの望も霧矢くんから言われて同じように答えたらしいんだけどさ。確かに、普通の男女なら恋人と親友にはならないし、親友から恋人になると親友じゃなくなると思う。だけど、ハルちゃんは元男で親友だから、霧矢くんとなら、親友のまま恋人になれる。両立出来る、私はそう思うな」
――元男で親友だから、親友のまま恋人になれる。
小春ちゃんは確かにそう言った。
相手がキリなら、俺とキリだからこそ、それが出来る、と。
普通の男女とは違う、俺とキリだけの、特別な関係。
その発想は無かった。
普通に男女の関係ばかり考えていて、俺たちが特別だという事に気付いていなかった。
キリとの親友関係は、恋人になったら無くなってしまう、そう思い込んでいた。
でも、そんな事が可能なんだろうか。と考え、すぐに気付いた。
今のキリはまさに俺に対して親友として、そして恋人のように振る舞っている。
それに俺だって、キリと手を繋いでいながら、親友として成立しているじゃないか。
手を繋ぐ高揚感は、繋がっている嬉しさは、まさに恋人のような感覚だった。
それはそれ、これはこれ。と考えていたけど、それこそがまさに両立じゃないか。
だったら、俺はこの感情を、気持ちを、抑えなくて良いんじゃないか?
もう胸を張って、キリの事が好きだって、言っても良いんじゃないか?
「ハルちゃんは霧矢くんの事、異性としても好きじゃないの? 親友で恋人に、なりたくないの?」
小春ちゃんはわざと、俺を焚き付けるようにそう言った。
さあ、覚悟を決めろ。と、そう言っているんだ。
「お、俺は――」
「ちょっと待って」
◇◆◇
覚悟を決め、応えようとした俺を制止して、小春ちゃんは試着室を出て行った。
え?と呆気に取られる間も無く、続け様にキリが試着室に押し込まれて入ってきた。
うそ、やられた。
小春ちゃんめ、やってくれた。
――だけど、うん、分かった。
覚悟を決めるってこういう事だよな。
「なんだ急に、って! すまん! まだ水着のままだったか、すぐ出てく」
そう言って試着室から出ようとするキリの腕を、俺は強く掴んだ。
「ま、待って」
「なんだ。いや、すまん、わざとじゃないんだ。
「いや、良い。ちょっと聞いてくれ」
「さっきはすまなかった。嫌がるハルに無理やり水着を着させて、本当にすまん」
「違う、そんな事はどうでも良いんだ!!」
思わず語尾が強くなる。
キリは出ていこうとするそぶりを止め、俺を正面から向き直った。
「さっき小春ちゃんと尋ねられたんだ。キリをどう思っているのか、って」
覚悟を決めたというのに、この後に及んでも俺はキリの顔は見れないでいた。
表情を伺って、俺の勘違いで、キリに嫌な顔でもされたらと思うと、キリの顔なんて見れない。
「それで俺の考えが間違っていた事に気付いたんだ。俺はキリが親友で、無くしたくない大事な関係だと思ってる。恋人になったら親友じゃ無くなる、それを無くすくらいなら、恋人になんかなりたくない、って思ってた」
キリは無言で、拳をギュッと強く握りしめ、話を聞いてくれている。表情は……分からない。
「でも、違うって分かった。それは普通の男女の話で、俺とキリは違うんだという事に。俺たちは特別だ、俺は元男で、俺たちは親友だ。だから今のまま、親友のまま恋人になれるって、そう言われて、俺も分かったんだ」
続けざまに
もし俺の思い違いでも、キリが拒否反応を示す前に、割り込む前に、全部言い切るつもりで。
「俺はずっと胸の内に想いを抑えてて、時々それが顔を出すんだ。キリへの友情ではない、その……別の感情が顔を出して、抑えられなくなるんだ。でも、もう、抑える必要はないって分かった。キリ。いや、
覚悟の全てを出し切った。
だけど、ここまで来てもなお、キリを見る事が出来なくて、俯いたままだ。
だってしょうがない、こんなの、キリの顔なんて見られるわけがない。
もしここで女として、 いや、女として好意を持って見れないなんて言われたら、もう消えて無くなりたい。
キリは強く握った拳を解き、口を開いた。大きなため息と共に。
「――まさか先に言われるなんて」
キリはそう言って俺の顎を持ち上げ、対面させた。
その顔は相変わらず鋭い目つきで、だけど優しい表情で。
「オレも同じ気持ちだ、
キリはそう言って、オレに口付けた。
久しぶりのキリとの口付けは、甘く、脳が痺れるような気がした。
そして軽い口付けの後、俺たちは抱き締めあった。
キリの大きな身体と熱に包まれていると、だんだんと実感が湧いてきて、現実感が増していく。
「ああ、俺の全部はキリのモノだ。だけどキリは全ては俺のモノだからな、忘れんなよ」
もう俺は、親友だからと気落ちを抑える必要がないんだ。
抱き締めあい、もう一度唇を重ねる。
今度は深く、お互いを求めあうような口付けだ。
キリの鼓動を感じ、熱を感じ、匂いを感じ、味わい、全てを感じて多幸感に包まれる。
この瞬間が永遠に続けば良いのに。
今俺たちは、世界で一番の関係だと胸を張って言える。
ああ、幸せだ。
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