18.天使の気遣いと綺麗さの再確認


 朝日が差し込み眩しさで目を覚ました。

 身体を起こして外を見ると雲一つない晴れ模様だった。


 今日は叢雨むらさめくんとの初デートの予定だ。

 初デート、そう、初デートだ。

 昨日の買い物デートはちょっと違うし、家デートとやらはノーカンとしたい。


 昨日の夜はまるで遠足前日の小学生のように期待と楽しみで中々寝付けなかったというのに、寝不足を感じる事は無く、むしろ身体が軽い気さえするくらいだ。


 さて、今日は露出は控えめで行こう。

 その代わり可愛さを前面に押し出して、もっと好きになってほしい。


 とはいえもう5月も後半に差し掛かり、暑くなってきているので長袖やロングスカートは避けたい……という事で。

 髪はいつものストレート。白い半袖シャツに膝上丈の空色のワンピースを合わせて、色合いも相まって爽やかなイメージだ。

 谷間も肩も、太ももだって殆ど見えないし、清楚風のつもりだ。


 支度を整え、おかしなところは無いか鏡を見ながら念入りにチェックする。

 どうせ叢雨くんに聞いても「良い」としか言わなくて全く参考にならないだろうし。


 うん。男としての意識で見ても、俺は可愛いぞ。

 黙って大人しくしていれば何処のお嬢様?と見紛うくらいだ。多分。


 という事で準備は万端だ。


 ちなみに何処へ連れて行ってくれるのか聞いてみたけど教えてくれなかった。

 でもまあ、何処へだろうと楽しめる事は間違いない。

 だって叢雨くんが一緒なのだから。


◇◆◇


「おはよう!」


 元気良く玄関の扉を開けて叢雨くんと対面する。


「おはよう」


「どう?」


 くるりと一回転、ふわりとスカートがなびき、黒く長い髪が遅れて揺れる。


「――最高だ」


 えっへっへっへ~、知ってた!!

 だけど、知っていても嬉しいものだ。

 実際に褒めてくれる事は想像していたより遥かに破壊力がある。

 それが例えたった一言でも心が籠っていればそれで十分だ。


「ありがとう!」


 そう言って、叢雨くんに向かって、ぴょんと跳ねるようにして首元に抱き着いた。

 今までの経験でここで微笑むと抱き着かれるのは分かっている。

 なのでいっそ自分から抱き着いてやろうと決めていた。


「おっと」


 叢雨くんは俺を受け止め、そのまま抱き締め返され、暫く抱擁を交わしていた。


 その後は恋人繋ぎで手を繋いで駅まで歩いた。

 駅で叢雨くんが切符を買い、行き先を覗き見る。

 行き先は……なるほど、確かここは……。と思案する。


 おおむね行き先は分かった、多分最近出来た水族館だ。だけどそれをわざわざ言うのも野暮なので気付かないフリをした。

 叢雨くんが言い出したら始めて知ったようによそおおう。

 そうする事で叢雨くんに出来るだけ喋って貰おうという目論見だ。


 電車は混んでいるとまではないけど、それなりに人がいた。

 ふと気付くと、結構な数の視線をちらちらと感じる。


 俺には男の視線が、叢雨くんには女の視線が飛んでいるような気がする。


 俺に関してはまあ分かる。

 叢雨くんが褒めてくれる程度には可愛いし、何より胸が大きい。

 これだけで男の視線を集めるには十分というものだ。

 顔と胸に視線が行ったり来たり。そういうもんだと知ってるし、何かをされるわけでも無いなら別になんとも思わない。気持ちも分かるしね。


 叢雨くんは――。


 あらためて叢雨くんを意識して見ると、やっぱり格好良い。

 特段おしゃれをしている風でもない、シンプルなシャツとパンツの組み合わせだというのに。

 190cm近い身長とスラリと長い足、そして俺を軽々とお姫様抱っこ出来るくらいの筋肉があるせいか、身体に厚みがあって、なんというか、高校生とは思えない、長身のアスリートみたいだ。

 例えるならバレーの選手とか、そんなイメージだろうか。

 長めの髪も特徴的で。と言っても女性のような長い髪ではなく、男子としては長めの髪、という程度だけど。


 153cmしかない今の俺とはかなりの身長差だ。頭1個分は余裕に違う。

 まあ男の時でも170cmそこそこだったのでやっぱりかなりの身長差なんだけど。


 でも、外見はあんなに格好良いのに、中身は口数が少なくて、強引で、無愛想で、目つきは鋭くて怖いし、女性の扱いは悪いし、人をモノ扱いするし、俺を襲って来るようなとんでもないやつなんだ。

 …………だけど、でも、悪いところばっかりじゃなくて、俺には優しくて、気を使ってくれて、大事にしてくれて、元男なのになんでも無いように受け入れてくれて。

 ――多分俺の事が、何より好きで。


 最近は無表情から感情が見えるようになってきて、それに口数も増えてきてるような気がするし、あんまり強引って事もなくなって、お姫様抱っこされる事も減っていた。

 それだって、今なら受け入れられる。


 はぁ~あ、まいったな。

 なんで叢雨くんの事が好きって再確認して、一人で顔を赤らめているんだ。


 まあとにかく。

 叢雨くんは俺以外の女から見ても格好良く、俺たち二人は、まあ……。自分で言うのもなんだけど、美男美女のカップルで、比較的人目を引きやすいという事だ。


 だから注目を浴びるのも仕方がないのかも知れない。


◇◆◇


 よし。

 ここは一つ、叢雨くんは俺のものだという事を回りの女に見せつけてやらないとな。


「ねえ、今日は何処行くの? 俺、凄く楽しみであんまり眠れてないんだよね」


 と腕に絡みながら言った。

 ふふん、どうだ。叢雨くんは俺のだからな!


 と、回りを見ると、ギョッと驚いていたり、え?と戸惑うような反応が見られた。

 ん?何か変な事言ったかな?と思っていると。


「――俺? あのお姉ちゃん男の人なの?」


 と近くに居た小さい子が母親らしき人に言ったのが聞こえた。


 えっ!?


 「秘密だ」と言う叢雨くんの返事が聞こえたけど、それどころじゃなかった。

 それほどの衝撃を俺は受けていた。


 女になってからもずっと、今この瞬間まで自分の事を”俺”と言う事に疑問を持たなかった。

 だって元々は男だし、女になってからも最近まで男と付き合うなんて考えてもいなかったからだ。

 ”私”なんて言うのは嫌だったし、なんというか……男に戻れない俺のささやかな抵抗だったと思う。


 だけど今は違う。

 自分で言うのもなんだけど、何処からどう見ても今の俺は可愛い女の子で、そばには格好良い男がいて、二人は恋人同士に見えて……。


 いかにもボーイッシュな格好だとか、”俺”と言っても違和感の無さそうな格好ならそこまで違和感は無い、けどこんな、いかにも清楚風な可愛い格好している女の子が”俺”なんて言ったら俺だって驚くし聞き間違いを疑うだろう。


 だからこの子の指摘はもっともだ。

 俺よりも、一緒にいる叢雨くんが要らぬ誤解を招くかもしれないし、そんなくだらない事で変な目立ち方はしたくはない。


 ……そうか、俺はただ叢雨くんが好みそうな格好をするばかりじゃなくて、周りの目にも気をつけないといけないのか……。


 なあに、別にたいした事じゃない、一人称を”俺”から”私”に変えるだけだ。

 それだけで違和感は消えるし、むしろもっと可愛いく見えるかもしれない。

 そうだ、そうだよ。そんなの簡単だ。


「秘密かあ……それじゃ楽しみにしてるからね、私!」


 少しわざとらしいくらい”私”を強調して言う。


 俺は叢雨くんの”女”なんだ。

 俺が変な目で見られるというのはつまり、叢雨くんもそういう目で見られるという事なんだ。

 うん、だから、これで良い。


「任せとけ」


 そんな俺の心を知ってか知らずか。

 叢雨くんは周りにも分かるように笑顔を見せ、肩に手を回し、俺を抱き寄せた。


◇◆◇


 電車を下り、目的地へと向かう。

 ここまで来れば誰でも分かる。目の前には大きな水族館が見えていた。

 大量の人の流れの殆どがそこへ向かい真っ直ぐに歩いている。


「お……私、水族館って初めてだよ。楽しみだな~」


 油断すると思わず”俺”と言いそうになる。

 慣れるまでもう少し時間がかかりそうだ。


「無理はしなくて良い」


 どうやら叢雨くんも俺の一人称が変わった事に気付いたようだ。

 それに気を使って言ってくれたのだろう、だけど良いんだ。これで。


「大丈夫、無理してないから。それに……私の方が可愛いでしょ?」


「そういうもんか?」


 む、どうやら叢雨くんにはまだこの可愛さが伝わってないみたいだ。

 というか、叢雨くんにとってはどっちでも良いんだろう、”俺”だろうと”私”だろうと。

 まあそれはそれで嬉しいけど、そういうわけにもいかない。


◇◆◇


「すっごく……綺麗だね」


 初めての水族館は、幻想的で、まるで別世界みたいで、碧い世界に引き込まれた。

 叢雨くんと一緒にその世界を眺め、叢雨くんを引っ張り回し、思った事を述べ、驚き、見惚れる。それだけで最高に幸せな時間だった。

 イルカやシャチ、アシカのショーなんかも見て、はしゃぎ、楽しかった。


 叢雨くんは事ある毎に俺の方ばかり見ていて、もっと水族館の魚たちを見て欲しかったなあ。

 あんなに綺麗な世界、そうそう無いのに。


 それにしても、好きな人と一緒に楽しむって、デートって良いなあ。ただそう思った。

 親友と一緒でも楽しいけど、その楽しいとは何だか意味が違う。

 上手く言えないけど、親友とはワクワクするけど、叢雨くんとはウキウキする。そんな感じだ。


 お昼過ぎに水族館を出て、遅いお昼ご飯を食べて、地元に帰って来た。

 時間としては夕方と呼ぶには少し早い、そんな時間だ。


 その頃には”私”と言う事にもすっかり慣れて、違和感は無くなってきていた。


 目の前にはいつもの分かれ道。

 ここで真っ直ぐなら俺の家、曲がれば叢雨くんの住むマンション。


 叢雨くんは無言で、繋いだ手を引くように自分の住むマンションへと足を向けた。

 俺も、躊躇う事無く、隣に並ぶようについていったのだった。


 今日は元よりそのつもりなのだから。

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