14.天使の下着姿は魅惑的


 その目はいつものように鋭く、だけどほのかに期待の光が宿っていた。


 ……なるほど、叢雨むらさめくんはこういうのが好みなのか。

 それになんとなくだけど感情が分かるようになってきて、こんな時に感じられても、嬉しいような悲しいような。


 だけどまあ、うん、しょうがない、着てやるとするかあ。

 買ってくれた恩もあるし、こんな事で喜んでくれるなら、と、そんな気持ちが湧いている。


「じゃあ着替えるから、外で待ってて」


 立ち上がりながらそう言うも、叢雨くんは動かなかった。


「気にするな」


 いや叢雨くんの目が気になるんだけど。……って、そうだ、こういうやつだった。

 下着を着替えるって事はさあ、裸になるって事なんだけど?

 まあ、裸は何度も見られてるけどそういう問題でも無い。恥じらいというものはあるのだし。


 ちらりと叢雨くんを見ると、一見するといつもの鋭い眼差しと無表情。

 でも何故かうきうきと楽しみにしてるような、そんな感情が透けて見えた、そんな気がした。


 諦めの大きなため息をつき、大きく息を吸い込んで覚悟を決めた。

 まずは手早く下着姿になる。

 叢雨くんは目を逸らさず、しっかりと見ていた。

 ……ジロジロと、ったく。俺でなければ大騒ぎだぞ。


 下着を脱ぐ前に、まずガーターを着ける。

 床に座り、長さが太ももまでの透明な白タイツを履こうとすると物言いが入った。


「椅子に座って履くんだ」


 なんだそりゃ、なんの拘りだ。

 と思ったけど、イメージしてみると、なるほどそういう事か。

 乗りかかった船だ、それくらいサービスしてやろう。と、椅子に腰掛けてタイツに足を通したのだった。


「ほぅ……」


 思わずため息が漏れる、とはこの事か、叢雨くんは俺がタイツを履く姿にすっかり魅入っているようで、そんな声、というより音が漏れ出た。

 そこまで良いなら俺も見たい。自分以外の美人の姿を。


 太ももまであるタイツにそれぞれ足を通し、立ち上がるとそこでまた叢雨くんが言う。


「下着はガーターの上に履くんだ」


 ……んん?

 えーと、順番はショーツを脱ぐ、ショーツを履く、ガーターを上に留める、じゃなくて?

 ……つまり、ショーツを脱いでガーターでタイツを留め、その上にショーツを履く、そういう事?

 え、ええぇ……。


 サッと脱いでサッと履こうと思っていたのに、そんなの猛獣の前に餌をぶら下げて挑発するようなものじゃないか。

 約束してあるとはいえ、大丈夫か?


「分かってるとは思うけど――」


「大丈夫」


 間髪入れずに返事が。

 分かってるなら良い、良いけど……。


 ショーツに手を掛け、ちらりと叢雨くんを見た。

 めっちゃ見てる。凝視ぎょうしってやつだ。

 そこはさぁ、恥ずかしがって目を逸らすところじゃん?

 ……そんなやつじゃないのは知ってたけど。


 ショーツの端に指を引っ掛け、タイツに引っかからないように、ゆっくりと足を抜いていく。


 叢雨くんに下半身を晒している。

 これまで何度も晒しているけど、自分から脱ぐのも相まって、今までで一番に恥ずかしい。

 それもただ恥ずかしいだけじゃなく、なんというか、こう、恥ずかしさと共に熱い何かが湧いてくるような、そんな感じだ。

 心臓の鼓動が早くなり、身体が火照っていくような、何か別の感情が生まれている。


 早くショーツを履かなければ、とガーターでタイツを留める。

 そしてその上から、新しい白いシルクのすけすけのショーツを手に取り、足を通す。


「――綺麗だ」


 叢雨くんがぽつりと呟くのが聞こえた。

 心臓が強く跳ねる。

 聞こえてる! 聞こえてるから! そういう事を言うな!!

 そんな言い方のほうが強く心が揺さぶられるなんて、今の今まで知らなかった。

 それは、抑えきれない心から漏れた本音だと、すぐに分かったからだ。


 そしてそんな言葉を聞いた俺は、恥ずかしさよりも良く分からない熱い感情のほうが強くなり、さらに頬を赤くして、心臓が早鐘を打ち、ドクンドクンという心音が、強く、大きく頭に響くのだった。


◇◆◇


 その後、ブラも付け替えて下着の着替えは終わった。

 もうずっと、頭の中は真っ白で、心音がずっと響いていて、多分ゆでダコのようになっていると思う。


 叢雨くんはというと、ずうっと綺麗だ最高だと俺を褒め続け、ある意味俺の心をおもちゃのように弄んだ。

 多分そんな気はなく本心で言ってるだけだと思うけど、良いようにチヤホヤされたと思うのは仕方のない事だ。


 今の俺の格好はまな板の上の鯉、いつ叢雨くんがその気になっても不思議じゃない、たとえ約束をしていてもだ。

 それに……もし今そうなったら、口だけの抵抗、いや、それすらもせず、多分無言のまま受け入れてしまうだろう……。

 だから一応、半々の気持ちで聞いてみる。何が半々かは聞かないで欲しい。


「それで、お願い通り着替えたけど、どうするつもり?」


「安心しろ、節度は守る」


 ――節度とは。


 行き過ぎない丁度よい程度。だよね?

 人前でこんな格好に着替えさせる人のセリフじゃないと思う。


 急速に冷めてきた。うん、今なら抵抗くらいは出来そうだ。

 まあでも、そういう事ならとっとと服を着させて貰おう、下着姿のままなんて恥ずかしいし。


 そして、上着を着ようと服に手を掛けるとこんな事を言うのだ。


「部屋にいる間はそのままで」


 ――節度とは。


 いやいや、この格好、色々と透けて見えてるんですけど?

 叢雨くんがムラムラ来て結局襲われるかも知れないし、お母さんが来たらどうするんだ。

 流石にそれは無理だ、とその言葉を無視して上着を着ようとすると、叢雨くんに腕を掴まれた。


「頼む。今のハルは最高に綺麗だ。ずっと見ていたい」


 頼む態度じゃないし、褒めても何もでませんよ?


 やれやれ……まあでも……そこまで言うなら。

 ……ったく。

 いやまあ、……これくらいで喜んでくれるなら、って、甘いなあ、俺。


 でも、だからといって、すぐに良いよと言うと調子に乗ってくるかも知れない。


「……じゃあ、今回だけ、部屋の中でだけだぞ」


 だから念押しした。

 それを聞くと、叢雨くんは嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう」


 ――その笑顔は反則だ。卑怯だろ。

 普段とのギャップも相まって、魅力的に映るから。


◇◆◇


 そして、下着姿のままで衣類の整理整頓が再開された。


 最初は恥ずかしさが強かったけど、徐々に慣れてきて、違和感は薄れていった。

 といっても、男の時のようにあぐらをかく事は流石に出来なくて、正座だったり、色々と気を使う動作にはなっているけど。


 慣れてきたとはいえ、叢雨くんの視線が気にならないかと言えば、それは嘘だけど。


「手、止まってるよ。見すぎだから!」


 時々注意しないとずっと俺を見て手が止まっている、いやこれは俺に魅入られてるのかな?

 いやいや、勘違いするな俺。男なんて女のエッチな下着姿を見りゃ誰相手だってそうなるものだ。


 片付けていると、下着の他にも何点か選んだ覚えの無い服が紛れていた。

 聞くとやはり叢雨くんが選んだ服らしく、楽しみにしてる、との返事が返ってきた。

 一応仕方がなくという反応をして、そのうち気が向いたらね、と返したのだった。


 今度出掛ける時にでも来てやるとするか。


◇◆◇


「よし、これで最後だ」


 服をタンスに収め、しまう。

 結局タンスやクローゼットに衣類を全部収めて片付けが終わるまで、叢雨くんは何も手出ししてこなかった。

 いや別に、それがなんだか寂しいとか、そんな事を言うつもりはないけれども、ないんだけども、なんというか、まあ、拍子抜けという言葉が正しい感情なのだろうか。そんな気分だ。


 叢雨くんを見ると、ワンピースを抱え、俺が振り向くのを待っていた。


「目の保養になった、ありがとう」


 そう言ってワンピースを渡してくれた。

 それを受け取り、頭からワンピースをすっぽりと被り、ようやく、やっと、上着を着ることが出来たのだった。


「じゃあ、今日は帰る」


「あ、うん。そうだね……。ありがと」 


 そうか、もう帰っちゃうのか、もう少しゆっくりして行けば良いのに。

 そんな事を思いながら、一緒に部屋を出て玄関まで送る。


「また明日」


「うん、またね」


「あら、もうお帰り?もっとゆっくりしていっても良かったのに」


 お母さんが現れた。


「いえ、今日はこれで。お世話になりました」


「ううん、いつでも来て良いからね」


 そうやって、母子二人で叢雨くんを送り出したのだった。

 玄関で手を振る。叢雨くんは一度手を上げた後、力強い足並みで帰っていった。


 そうやって叢雨くんに送った後、お母さんは俺の姿をジロジロと見て。


「ところで~。なんで服が変わってるのかな~?」


「え!? いやこれは! 昨日買った服と古い服の入れ替えをしてて……そのまま着替えただけだから!」


 なんだこの無理な言い訳、なんで服の入れ替えで着替える事になるんだ。


「へ~、わざわざそんな格好に着替えるんだ、ほ~」


「何にもしてないって!」


「良いのよ~、もう二人はそういう仲だって知ってるんだから隠さなくても。それよりお昼前はごめんね、タイミング悪くて」


 お昼前……?

 あ!! キスしてるところを見られたやつか!

 

「まさか1週間でそこまで進んでるなんて思わなかった。やるなあ叢雨くん。それにハルちゃんも、もうすっかり女の子なのね」


 お母さんが俺を抱き締めてきた。

 以前なら、男の時ならこんな事はしなかったけど、女の子になった事でお母さんとの距離が縮まったような気がする。


「まだまだ男のつもりなんだけどね……」


 確かに、今日だけで随分と叢雨くんに対する認識というか、気持ちに変化があった気がする。

 一つだけ言える事は、俺は意外と流されやすいという事だ。普段ならそこまで無いはずなのに、気分が盛り上がってくると、男の意識より女の意識が強くなる、そんな気がした。


◇◆◇


 シャワーを浴びつつさっきのお母さんの言葉を思い出す。

 その日の晩ご飯を食べた後、お母さんとこんな会話があった。


「ねえハルちゃん、叢雨くんって、名前は霧矢きりやなのよね?中学の時にお友達だった霧矢くんじゃないの?」


「名字が違うから別人だよ。叢雨と暮雲くれくもだし。それに見た目も性格も、声も違うと思うんだけど」


「そう?確かに色々と違うけど、叢雨くんは少し髪が長くて顔も細いから雰囲気も違うけど、それでも似てるような気もするし、話していると暮雲くんを思い出すのよねえ、同じ人だと思うけどなあ」


「それは無いって、もしそうなら言うと思うし、親友のキリはあんなやつじゃないし、全然違う。」


「あんなやつ、って……ダメよ、彼氏をあんなやつ呼びしちゃ。その内に本気で嫌な人だと思うようになっちゃうから」


「……はいはい」


「はいは1回」


 と、そんなやりとりだ。


 全くお母さんは突拍子もない事を言う。

 叢雨くんがキリのはずが無いじゃないか、そもそも名字も違うし、顔だって違う……と思う。

 それに性格が全然違う、キリはもっと明るくて、優しくて、良いやつだ。なんたって俺の親友だ。

 声だって、叢雨くんは少し低い声で言葉少ないし、キリははっきりと喋るやつだった。

 やっぱり全然違う。


 それに、それにだ。キリなら俺を襲ったりしない。だって親友なんだぞ。

 オレのモノだ、なんて言うわけもないし。

 そもそもキリだったら、同じクラスになった時に声を掛けてくれるはずだ。

 うん、やっぱり叢雨くんは親友のキリじゃない。


 キリは親友だ。


 それで、叢雨くんは……。


 ――まあ、うん。

 認めなければいけない。

 彼に、叢雨くんに惹かれ始めている事に。

 今思えば出会いは最悪だった、助けてくれた事には感謝だけど、その後がいけない。

 まさか、無理矢理襲われてしまうなんて、思っても見なかった。


 今思えば、まだまだ俺の女としても認識がぼんやりしていたからこそ、それが大事おおごとだと思わなかった。

 ――いや、そもそもアレがなければまだまだ女という認識が弱かったと思うけども。


 まあそれはさておき、あんな始まりだったけど、その後も色々と強引だったけど、結局は俺の事を思っての行動が多かったと思う。おかげで学校も楽しく過ごせているし。

 いや、まあ、叢雨くんの欲望に任せた行動も無いわけじゃないし、今日の下着姿の強要みたいなのもあるけど。それも今なら許容範囲だ。


 多分思うんだけど、俺の身体の女の部分が、肉体だけじゃなくて、精神にも影響を及ぼしているような気がする。

 叢雨くんに抱かれた事で、女を意識させる事で、叢雨くんに対してだけはそんなふうに変わっていっている。そう思いたい。


 他の男に対しては、想像するだけでも嫌悪感が強く出る。

 それがのぞむくんでもだ。

 つまり俺の身体は、叢雨くんは特別だと、そう感じているんだ。


 困ったな、このままだと本当に叢雨くんのモノになりそうじゃないか。

 まだ早いよ、そこまで俺の気持ちは固まってないし、うん。

 いや~、困ったな、困った。


 あ、そうだ。

 明日からお母さんにハンバーグの作り方を教えて貰わないとな。



 そんな、勝手に一人で舞い上がり、布団でゴロゴロしている俺だった。

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