11.天使の誘惑
日曜の朝、よく晴れていてまさに晴天、つまり俺の日だ。
そしてヤツの企みも
いつヤツが来ても良いように身なりだけは整えておく。
洗面台の前で長い黒髪に入念に櫛を通し整えていると、お母さんに見られてニヤリとされた気がするけど、これはあなたを守るためにしている事だからね、勘違いしないように。
そして部屋に戻り戦闘服(ヤツが好みそうな大きく胸元が空いた服、そしてミニスカート)に着替えていると、玄関で呼び鈴が鳴る。
鏡でおかしなところが無いか確認し、階段を下りるとヤツはすでに玄関にいて、あろうことかお母さんとおしゃべりしていた。
「今あの子おめかししてるから、もう少しおばさんのお話に付き合ってね」
「そんな、おばさんはお綺麗ですよ、本当に、ハルが年を取ってもこんなに綺麗なんだろうな、なんて思います」
「あら!? 本当にお上手ね〜、でもダメよ、おばさん本気にしちゃうから」
「本気にしてもらっても大丈夫ですよ。本当にハルが羨ましい」
――やっぱりヤツとお母さんを2人にしちゃダメだ。
俺にはあんな事言わない癖に……いや、言ったっけ?いやいや俺のモノばっかのはずだ。あんな歯が浮くように褒められた事など無いはず、多分。
それに俺には見せた事もないような柔らかい表情をしていて、なぜだか腹が立ってきた。
いやそんな事はどうでもよくて!! それよりも!!
「おはよう叢雨くん!!お待たせ!!」
そう言って、間に割って入った。
◇◆◇
「おはようハル」
俺に向き直す叢雨くん。
その瞳はいつものように鋭く、さっきお母さんと話していた時のような柔らかさを感じない。
う、あらためてこの目は怖い、俺はヘビに睨まれたカエルのように一瞬だけど萎縮してしまった。
「聞いてハルちゃん。叢雨くんお母さんが綺麗だって褒めてくれるのよ」
「へ、へ〜、そうなの? 叢雨くん、私は?」
そう言って胸の前で両手を組んだ。まるでお願いしているような、媚びているような仕草だ。
うげ。普段なら絶対言わないし、やらない。
それに、これで綺麗だよと言われても嬉しくないし、そうじゃ無くてもなんだか少し寂しい、そんな気がする。
叢雨くんも普段の俺ならやらないような媚びる仕草に一瞬驚くような表情を見せ、少しだけ寂しそうな声で言った。
「ハルはハルだから良いんだ」
そうして俺の両手を包み込むように握った。
ほうそう来たか。まあここで拒絶なんか出来ないだろうしな。
「本当に? 嬉しいなあ」
おえ~。媚びてる自分が気持ち悪い。
誰だコイツは、俺は絶対こんな事言わない。いや今言ったんだけどさ。
「あらあら、若いって良いわね」
とお母さん、まずまずの反応だ。
「さて、いつまでもここじゃなんでしょ。そろそろ上がったら?」
両手を繋いだままの叢雨くんと俺を見て、お母さんに促される。
そうだ、まだここで終わりじゃない、本番はここからだった。
「分かった。それじゃあ上がって。叢雨くん」
「ああ」
「後で飲み物持ってくからね」
「いえ、お構いな――」
「ありがとうお母さん、お願いね」
ふふふ、お母さんには部屋に来てもらわないとね。
遠慮されると困るんだよ。
と、そんな事を考えながら叢雨くんを俺の部屋に招くのだった。
◇◆◇
叢雨くんを部屋に入れて扉を閉める。
さて、まずはこれだけは釘を刺しておかないと、暴走されたら困る。
「今日は絶対しないからね!禁止!!」
叢雨くんを指差し
無いとは思うけど、多分お母さんがいるこの家で無いとは思うけども、やっぱり不安だ。
どこでスイッチが入って襲われるか分からないからだ。
「……分かった」
叢雨くんも頷き、
よし、言質は取った。
まず部屋の中央にある丸テーブルの横にクッションを置き、そこに座るように伝える。
自分はいつもの癖で勉強机の椅子に座った。
「そっち座るのか」
同じテーブルに座らないのが気に入らないのだろうか。
しかしだ、約束をしているとはいえいつ襲われてもおかしくないし、距離を取るように警戒するのは当たり前と言うものだろう。
それにお母さんが上がって来るにはまだ早い。
叢雨くんは座りつつ、周りをキョロキョロと珍しそうに見回していた。
女の子の部屋が様子が気になるのだろうか、分かるけども。
確かに俺は今は女で、一応女の子の部屋だけども、だ。
「たった2週間前まで男だったんだから、ほとんど男の部屋だからね」
そういう事だ、下手すればこの部屋の匂いもまだ男の頃のままなんじゃないか?自分じゃ分からないけど。
「分かってる」
そう応えつつも、まだ周りを見ていた。
「まだ袋に入ったままか」
昨日の買い物袋は昨日置いて貰った場所にそのままにしてあった。
「今日の夜にでも仕舞おうかなと思って」
今ある服の片付けをして、そこから新しい服への入れ替えをするので結構な手間で、面倒だったから今日時間を作ってやろうと思っていたんだ。
今来ている服なんかの買い物袋から取り出して着ている物も一部あるけど。
叢雨くんはそのまま部屋の中を観察するようにまだ見ていた。
しかし、その視線はピタリと俺の方を向いて止まり、じっとそこを見ていた。
「座る時はもう少し気をつけろ」
その視線と言葉で気付いた。
椅子に座って叢雨くんを向いていて、そして今はミニスカートだった事を。
そして、自宅だからと気が緩んでいて足を開いていた事を。
慌てて足を閉じ、手で押さえた。
別に見られてもなんともない。そう思っていたはずなのに。視線が刺さり、それが見られる事を恥ずかしいと思うなんて。
落ち着け!! 俺の心は男で、下着なんか別に見られても平気なはずだろ。ほら、むしろ足を広げて見せつけてやれ!!俺の下着なんかを見て嬉しいのか!!と。
一体何を思っているのか、混乱していたのか。おかしな事を考えていた。
そしてだからといって、足を広げるような事は出来なかった。
――俺は結局、頬を染めながら椅子から降り、丸テーブルの横に正座で座った。
沈黙、叢雨くんは俺の顔をいつもの鋭い目で俺を見ていた。
やばい、沈黙に耐えられない。
というか、まだ頬が熱く、赤いかも知れない。
叢雨くんの顔が見られず、ただ俯き、熱が引いて行くのを待った。
少しして、ようやく落ち着いてきた。
大きく息を吸って吐き出し、ようやく顔を上げると、叢雨くんの顔が想像していたより距離が近い。
「ハル」
「な! ……何?」
それだけ言うのがやっとだった。
叢雨くんはさらに顔を近づけてきて、俺は身構えた。
「気をつけろよ」
耳元で囁き、また距離を取った。
「!? ……うん……」
思わせぶりだな!!
身構えていた俺は、安堵も落胆も、どちらの感情も沸いていた。
おかしい。
安堵は分かる。
だけど、だけどだ! なんで落胆してるんだ! なんでちょっとガッカリしてるんだ!!
おかしいだろ! 安堵一択のはずだろ!?
と言うか、今ならむしろ都合が良かったはずだ。
イチャイチャしてるところを見せつける予定なんだから、こっちから仕掛ける必要が無くて楽になったのに。
そう!! そういう意味で落胆したに違いない、そうだそう言う事にしよう。
◇◆◇
モヤモヤしている感情は一旦置いておいて、そろそろお母さんが来そうな頃合いだ。
よし!! やるぞ!!
と気合いを入れ直した。
「ねえ、叢雨くん……」
そう言いながら座ったまま、足を崩して横座りのような姿勢で、胡座をかいて座る叢雨くんに近付く。
叢雨くんは特に返事も無く、ただ俺をいつものように鋭い視線で見ていた。
そして接触するかどうか、という距離まで近づいた。
さてここからどうするか。
叢雨くんみたいにいきなり抱き締めたり、頬に手を添えて、なんて事は俺には出来ない。
だから。
「叢雨くんって、手が大きいよね」
そう言って、おもむろに叢雨くんの手を取った。
これくらいが精一杯だ。
でもほら、隣に密着するように座って相手の手や指をいじるのって、相当に仲が良くないと無理だよね?
これでも十分イチャイチャしてるように見えるよね?
と言うわけで、俺は叢雨くんと手の平を合わせて大きさを比べたりして、指同士が長さを図ったりして接触するようにした。
「ほらこんなに違う。男の時の俺の手より大きいかも、ね」
……しまった。思わず言ってしまった。
“男の時の俺“なんて言葉は叢雨くんが萎えてしまうかも知れない。男であった事をアピールする必要なんか無い。
しかも“俺“なんて、さっきはわざわざ“私”って言ったのに、台無しだ。
叢雨くんの顔色を伺うと、彼はいつものと変わらぬ表情で全く心が読めなかった。
効いてるのか、効いてないのか。分からない。
分からない以上は、効いてると思ってこのまま続けるしかない。
「叢雨くんの手って、あったかいね」
そう言って、お互いの指を絡ませたり、両手で包むように、暖をとるようにして、まるでお互いの指同士がイチャイチャと遊ぶようにした。
ただ、叢雨くんの手が暖かいのは本当だ。
玄関で両手で包まれた時も思ったけど、叢雨くんの手は大きく、暖かい。
その手で包まれる事は何だか、ホッとするような、安心するような感覚を受けるのだ。
そんな事をしている内に、いつしか身体は寄り掛かり、叢雨くんも俺の肩に腕を回していて、俺だけじゃなく、叢雨くんも俺の指に触り、掴み、這わせて、求めるようにして絡み合っていた。
意外と、そう、意外とこの時間は楽しかったし、なんだかこう……なんというか、うまく言えないけど、心が満たされていくような、それでいて物足りないような、そんな感覚になっていた。
――ふいに絡み合っていた指が離れた。
あ……。
と思ったのも束の間、顎をくいと掴まれ、叢雨くんに向かされた。
始める前の俺なら、よし!作戦成功!と思った事だろう。
だけど今の俺に、そんな思惑は頭から綺麗さっぱり消えていた。
感情が昂った今の俺は、目を閉じ、ソレを待った。
何をされるか分かっている、もう何度もしている、ソレを。
普段なら、いつもの俺ならそんな事はしない、だけど、昂った今の俺は、ソレを求めていた。
目を瞑っていても分かる、叢雨くんの顔が、唇が近付いている。
そのまま口付けをされて、少しの後、舌が侵入してきて、俺はそれを迎え入れた。
お母さんが階段を上がってくる音など、耳には入って来なかった。
それくらい、夢中になっていた。
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