9.天使の食べ残し
「またのお越しをお待ちしております♪」
店員さんに満面の笑みで送り出され店を出た。
思わず手を振ると、店員さんも振り返してくれて、本当に良い人だと思う。
「もう少しすると水着なんかも扱いだすから一緒にまた来ようね」
そう
夏服、そして水着か……。
ビキニなんか着たら
さて気を取り直して、お昼ご飯だ。
といっても我ら高校生にショッピングセンターのお食事処のお高い専門店に入る余裕なんかあるわけも無く、フードコートで席を確保し、各々が食べたいお店に並ぶのだけど。
さて何を食べるか……とフードコートを一回りする。
女の子になってしまってショックを受けた事の一つは、一度に食べられる量が減ってしまった事だ。
以前なら何杯でもおかわり出来ていたご飯も2杯が精一杯、3杯なんて入らないし気持ち悪くなってしまう。それはとても悲しい事だった。
男子高校生にとって大盛り無料は素晴らしいサービスで、必ず大盛りにしていたのに、今じゃそれも無理だろうと思う。
食欲があっても、食べたいと思っていても食べられないのがこんなにキツイとは思わなかった。
そして今、食べたいお店の前に立って、悩んでいる。
俺は刺し身とか海の幸のものが大好きで、そしてここは丼物のお店だ。
うに、いくら、イカ、マグロ、ハマチとなんとも豪華なネタが乗っている5色海鮮丼なるものが期間限定で出ているらしく、それに目を奪われている。
少々お値段は高いが食べてみたい。良いタイミングで来たものだ。
早速頼もうと列に並んだ。
――しかし、だ。
先に5色海鮮丼を注文した人がいて、お出しされたそれを見て別の問題が発生してしまった。
そう、話の流れから察すると思うが想像していたより量が多かったのだ。
男の頃なら余裕な量だと思うけど、今あの量は無理だ。とても食べ切れない。絶対に残す、それは人としてどうなのか、そう思ってしまう。
そんなわけで一度列から外れ、こうして悩んでいる。
悩ましい。
食べたい! でも絶対残す! じゃあ妥協するか!? だけど、5色海鮮丼は今だけの期間限定だ、今食べないと無くなるかも知れない。食べたいよぉ!! となっているわけだ。
5色海鮮丼を諦めきれず、かといって全部は食べられないのは明白で、だからといって別のにする事も出来ず、一人悩んで、腕を組んで立ち尽くしていた。
「いつまで悩むつもりだ」
頭上から声がした。
叢雨くんだ、いつの間に。
「いつからここに?」
「最初から」
え、気付かなかった。
「で、どうするんだ」
「いや、それが――」
なんで悩んでいるのか、その理由を叢雨くんに話した。
すると叢雨くんは簡単そうに言うのだった。
「じゃあ俺が買う。ハルが食べろ。残りを貰う」
叢雨くんが買うだって? そんなわけにはいかない。さっき服を買ってもらったばっかりだ。お昼ご飯くらいは自分で出したい。
「ダメ、お昼は自分で買う」
「――そうか、じゃあ残した分をくれ」
うーん……まあ……それなら?
いや、てか、他人の食べ残しとか嫌じゃないか?
「いや、食べ残しとか嫌でしょ? そんなわけにはいかないよ」
「何を言う、むしろ食べさせろ」
――え、軽く引くわ。
俺の食べ残しだぞ、誰が喜んで――って、そうだ叢雨くんだった。
落ち着いて考えれば、関節キスだとか何だとかで、好きな娘のなら喜んで食べる男子は沢山いるんだよな。彼もその一人だった。
まあ、間接キスどころか普通にキスもしてる間柄ではあるのだけど。
そう考えたら、気にならなくなった。
「――分かった。でも買うのは俺だからね」
「ああ、じゃあ俺もここで買う」
というわけで、俺は5色海鮮丼を食べる事に決まった。
叢雨くんは大盛りマグロ丼を頼んでいて、流石だなあと思ったのだけど。
呼び出しブザーを受け取り小春ちゃんたちのところへ戻ると、すでに2人はうどんとざるそばがお盆が乗っていて、俺たちを待っていた。
「遅いぞ! 麺が伸びるだろ〜」
「すまん、迷っててな」
「へ〜、珍しいな。いつもはすぐに決めるのに」
「そういう時もある」
そんなやりとり。俺が散々迷って遅くなった事など言わず、まるで自分のせいで遅くなったかのように振る舞う。
何で俺を庇うんだよ、と思うけど、それがなんでかは分かる、叢雨くんの今までの行動から分かってるはずだ。
俺に恥をかかせたくない――それだけじゃないのも分かってるけど。
だけど、それはダメだ。友達にはちゃんと伝えなければ、こんな事で嘘をつかせたくない。
「違うんだ。実は、俺がずっと迷ってて、叢雨くんはそれに付き合ってくれてたから遅くなったんだ、叢雨くんのせいじゃなくて、俺が悪かったんだ、ごめん」
そう言うと、小春ちゃんと
「そんな事だろうなとは思ったけどね、別に良いよ。怒ってないし。それに良いものを見せてもらったしな」
「だね、お互いを庇い合うのは美しいね〜、ご馳走様でした」
「ヤバいな、小春。この二人、俺たちより仲の良いカップルかも知れないぞ。うかうかしてられないぜ」
「まあまあ、私たちは私たちのペースで良いじゃない。慌てない慌てない」
なんて、遅くなった事など無かったかのように夫婦漫才が始まり、場は和やかになった。
この二人には色々と敵わないなあ、そう思うのだった。
◇◆◇
5色海鮮丼のお店から持たされたブザーが鳴った。
俺と叢雨くん、ほとんど同時だった。
「取ってくる」
叢雨くんは自分のと一緒に俺のブザーも掴み、立ち上がる。
「待って! 俺も行く!」
自分の分に加えて俺の分、しかも二人共大盛りサイズの丼物だ。
何かあったら困る、という感情より叢雨くんに持ってきて貰うのは申し訳無い、そう感じたから自分の分は自分で運びたい、そう思うのだった。
慌てて立ち上がり叢雨くんについて行く。
お店でお盆を受け取り、驚いた。
5色海鮮丼が想像以上に大きいのだ。いや、大きいのは分かっていたけど、まさか大盛りのマグロ丼と同じ丼のサイズだとは思わなかった。
……はは、叢雨くんに食べてもらうので正解だ。多分半分も食べられない。
と言うか、叢雨くんこそ、そのマグロ丼大盛りとこっちの残り、本当に大丈夫なのか?
「ねえ、本当に大丈夫? 多分半分くらい残すと思うけど、食べられる?」
「余裕だ」
平気そうに、余裕そうに応える。
でも本当に? かなりの量で、男の時の俺でも厳しいと思う。
これは俺が少しでも減らさないと。
小春ちゃんたちが待つ席に戻り、お盆を置くと、二人も驚いていた。
「ハルちゃんそんなに食べれるの? 大丈夫?」
「豪華だけど量がエグいな、ハルちゃんスゴい」
「はは……」
苦笑い。
まさか残す前提で、それを叢雨くんに食べて貰う予定だ。なんて言いにくい。
叢雨くんは特に何も言わず、席についてマグロ丼を食べ始めていた。
俺も席に座り、手を合わせた。
「いただきます!」
何はともあれ、待ちに待った5色海鮮丼だ。
マグロ、うに、いくら。この3つは特に楽しみだ。
叢雨くんには申し訳ないが、これだけは全部平らげちゃうかも知れない。
わさびを刺身醤油に溶かして海鮮丼にたらりとかける。あ〜美味しそう。
まずはいくらとご飯を箸で掬い取り、口に運ぶ。
うわあ、美味しいいいい。やっぱりいくらの食感は良い、口の中でぷちぷちと弾けるのが楽しい。
ほっぺたが落ちそうで、思わずほっぺたに手をやって支えた、そして味と食感を堪能する。
そうやって、ご飯と海鮮、バランス良く食べ進んだ。
うにはいまいちだったけど、いくらはめちゃくちゃ美味しかった。
ふと視線に気付く。
正面の二人、小春ちゃんと望くんはとっくに食べ終わっていて、何故か俺を微笑ましそうに眺めていた。
「どうかした?」
「あ、ううん。ハルちゃんは本当に美味しそうに食べるな〜と思って」
「そうそう、コロコロと表情が変わって眺めてて飽きないな。なんかこう、小動物が一生懸命にご飯食べてるような可愛さと言うか。なんか、食事を見てるだけで癒されると言うか」
昔から親には美味しそうに食べてくれて作り甲斐がある。なんて言われてたけど、まさか友達にまでそんな事を言われるなんて思わなくて、少し恥ずかしい。
と、う〜ん。そろそろお腹一杯になりそうな感じだ。ここから先は苦しくなる、そんな気配がした。
とはいえまだ半分以上も残っていて、想像以上に多い。
結構食べたつもりだったけど、一口が小さいから思ってるより消費されないんだよね。
隣を、叢雨くんをチラリと見ると、すでに大半を食べ終わっていて、学校でのお昼ご飯で知っていたけど、やっぱり食べるのが早い。
そしてペロリと平らげた。
「よし」
一言。
そして俺を見た。
それはいつもの鋭い視線――ではなく、まるで心配するかのような、具合を伺うような、そんな柔らかい視線だった。
まあそれも、俺と視線が交差するとすぐにいつも通りの鋭い視線に戻ったのだけど。
「叢雨くん……行けそう?」
「任せろ」
そう一言だけ。
お盆ごと交換し、5色海鮮丼。いくらだけ全部食べたから4色海鮮丼になってるけど。を食べ始めた。
「あー、そう言う事?」
「へ〜、妙に量が多いと思ったら。なるほどね。やるな霧矢」
小春ちゃんたちは即座に理解し、納得した。
「ちゃんとお金は俺が払ってるからね、勘違いしないように」
そこは勘違いして欲しくなくて、釘を刺すように言った。
「さっすがハルちゃん、そういうところだよね~」
「ハルちゃんの良いところが段々と見えて来るなあ。良い子だな、霧矢」
「望は今まで何見てたの? ハルちゃんはどこから見ても良い子だよ? こ〜んな可愛くて、美人で、可愛い娘なかなかいないよ〜?」
「ごめんごめん、そうだな。小春や霧矢が気に入ってるんだから、そりゃ良い子に決まってるよな。ごめんね」
何故か望くんが俺に謝罪した。
「え? 別に気にしてないから良いよ。謝らないで」
「そっか、ありがと」
そして叢雨くんはというと、4色海鮮丼が半分以上残ってたのにもかかわらず、それも余裕で平らげた。
身体に違わず一口が大きい、俺とは比べ物にならないようにさえ思う。
そしてペースが落ちず、淡々と食べ進む様子は頼もしいの一言だった。
「ふう、最高に美味かった」
水を一気に飲み干し、満足そうにそう言った。
「そりゃ霧矢にはそうだろうよ、なんせハルちゃんの食べ残しだからな」
「ああ、最高だった」
からかうつもりで言ったのだろう望くんの言葉を、叢雨くんは正面から受け止めた。
「ったく、霧矢はハルちゃんが絡むと随分と変わるな」
望くんはそうぼやいた。
「叢雨くん、ありがとう」
「これくらいなんでもない」
感謝の言葉を述べると、それが何事でも無かったように、それだけ返事してきた。
……相変わらず可愛くないやつだ。
と思うと同時に、これはこれで彼なりに気を使っているのかも知れない、そう思った。
◇◆◇
「霧矢はハルちゃんの作ったものならどんだけでも食べれそうだな」
「そうだねハルちゃん。何か作ってあげたら?」
そんな事を言ってくる。
無茶を言う。料理は食べる専で、作った事は一度もない。
「無理無理!! 料理とかやった事ないし!!」
「そうなんだ。なんとなく料理とかしてそうに見えたけどなー。まあ私も料理した事無いけど」
その言葉にちょっとだけホッとした。
流れで教えてあげるよ、となるのが嫌だったからだ。
というか。なんで俺が叢雨くんに料理を作ってあげる流れになっているのか。
そんな事、一言も言ってないのに。
「とにかく! そんな予定は無いし、これからもそのつもりもは無いから!」
と宣言した。
そんなこんなでフードコートでお昼ご飯を食べ終えて、少しおしゃべりして時間を潰した後、雑貨屋や小物のお店、本屋なんかを回って夕方前にお開き解散となった。
端的に言うと、ここからは恋人同士の時間だ。そういう事らしい。
いやこっちは違うんだけどね?
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