第33話

「由莉?なんで泣いて…」

社長の声が優しく響いた。


そう言って涙を拭おうと伸ばした手を、私は振り払った。


社長の顔を見れなかった。


やっぱり言えない。


言えるわけない。


あなたの事を騙していたなんて。


好きにならなくていい、嫌われなかったらそれでいいから。


あと一ヶ月だけ、私のことを嫌わないでいて。


「すみません、急用を思い出したので、帰ります」

私は震える声で言った。


こんな顔、見られたくなかった。


困らせたくなかった。


そして、社長の呼び止める声も聞かずに家を飛び出した。


涙が止まらず、視界がぼやけていた。


足元がふらつき、何度も転びそうになりながらも、必死に前に進んだ。


「由莉…?」


この声は…


私は立ち止まり、涙でぼやけた視界の中で声の主を確認した。


「蓮…、」

私は泣きながら彼の名前を呼んだ。


驚きと共に、少しだけ安心感が広がった。


「お前なんで泣いて、」

蓮は心配そうに尋ねた。


彼の顔を見上げると、優しさと心配が入り混じった表情が見えた。


「何でもな、い、」

私は涙を拭いながら答えたが、声が震えていた。


手が震え、涙が止まらない。


「なんでもなくないだろう」

蓮は真剣な表情で言った。


「見なかったことに、」


蓮に心配をかけたくなかった。


「はぁ。出来るわけないだろ」

蓮はため息をついた。


どうして私に優しくするのよ。心の中でそう叫びたかった。


「また璦か?璦にやられたのか?」


「違う」

私は首を振った。


「じゃあなんで、」


社長を騙した罪悪感で胸が張り裂けそうなのに、それでもまだ、自分のことを好きになって欲しいと思っている自分に腹が立って。


この気持ちをどう説明したらいいか分からなかった。


「うぅ、」


涙が溢れて止まらなかった。


心が痛み、胸が締め付けられるようだった。


「ちょ、おい、ここで泣くなって」

蓮は困ったように言った。


歩いてる人が私たちのことをチラチラ見ている。


だけど、今はそんなこと気にしてられない。


「だってえぇ」

私はさらに声を上げて泣いた。


涙が止まらない。


自分ではどうすることも出来ない。


「あぁ、もう。分かったから」

蓮は言葉では雑に、だけど優しく抱きしめてくれた。


その温かさに、少しだけ心が落ち着いた。


「蓮、服汚れる、」


もう既に、私の涙で服が濡れていた。


「大丈夫だから」

蓮は優しく答えた。


「でも、」


「理由は聞かない。だから、黙って泣いとけ」

蓮は優しく言った。


その言葉に安心して、私は蓮の胸に顔を埋めて泣き続けた。


「ううぅぅ、」


涙が止まらず、蓮の腕の中で泣き続けた。





心の中の痛みが少しずつ和らいでいくのを感じた。



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