第7話 焼死体の検屍 その2

美月は検屍助手として宋慈に雇われたわけだが、検屍助手の仕事はこの1週間でみればそれほど忙しくなかった。

むしろ暇な部類だった。

宋慈曰く


「そうそう検屍に回ってくる死体なんてないよ。そんなに変死ばっかりされたらたまったもんじゃないよ。治安悪すぎるでしょ」


だった。


日頃の業務といえば、書類処理が主だった。

乱雑に運ばれてくる書類の仕分けだ。

しかもその書類も他部署のよくわからない書類ばかりだった。

元軍人で退役した後は大草原の中で寝転がる生活を送っていた美月にとって小さな机と椅子に座り書類作業をするのは正直苦痛だった。

思わずため息が漏れる。


「大丈夫ですか」


すかさず隣の席に座る静が声をかけた。


「すまない。なんともないんだ。ただ……、書類整理がなれなくて」


「私やります」


そう言ってすぐさま立ち上がろうとする静を手で制した。


「いや、私の仕事だ。静にだって自分の仕事があるだろう」


「大丈夫ですよこれくらい。美月さんが来て私の分半分に減りましたから」


満面の笑みを浮かべる静を見て美月は愕然とした。

この少女は自分の倍の量をこなしていたのかと。

それと同時にまわりの役人たちに腹が立った。

完全にうちの部署は雑用の押し付けの対象になっている。

それを容認させている宋慈に文句を言うべきだ。

そうこうしているうちに宋慈がやってきた。


「ちょっといいか」


入ってきた宋慈の前に美月が立ちふさがる。


「どうしたんだい。小月」


美月の威圧感に少し後ずさったように見える。


「宋慈。静が仕事を押し付けられているのを知っていたか」


「押し付けられてる。初めて聞くけど。そうなのかい。小静」


美月越しに覗き込まれた静は目線をそらす様に落とした。


「静、気にすることはない。正直に言うといい。明らかに一人でやる量ではなかったはずだ」


美月も静の方を向き直る。

しばらく無言の空気が流れた。

宋慈が静に歩み寄る。

小さな身体の静はさらに縮こまってしまった。


「小静。洪に言われているね」


洪という名が出たとき、ぴくりと静の体が反応した。

宋慈の顔が険しくなる。

美月は身の毛がよだつのを一瞬感じた。

その感覚を美月は長い間忘れていた。

戦場の中でも感じることはあまりなかった感覚。

恐怖だ。

こんな軟弱そうな男から恐怖を感じるなど何かの間違いだろうと思ったその時、後ろから男の声がした。


「私を呼んだか」


振り返るとそこには丸々と太った身なりのいい男がいた。

肥満により突っ張った肌は油でてかりが出ている。


「いや、呼んでないよ」


宋慈の顔にはにやけ面が戻っている。

まぁいいと言いながら洪は静の元まで歩み寄った。

そして油で照った顔を静に近づける。

静は小刻みに震えて見えた。


「健気に働く姿はとても美しいよ」


その様子を宋慈は冷たい表情で見下ろしていた。

一方の美月は、ちょうど我慢の限界を超えた瞬間だった。

洪に向かって足を踏み出そうとした瞬間、背後から右肩へ腕が伸びてくるのを感じた。

即座に反応し、伸びてきた手を殴りあげる。

鈍く響く音がなる。

振り向いむこうとした美月は大きく蹴り飛ばされた。

自分の机を粉砕し地面にたたきつけられる。

静が小さく悲鳴を上げた。

全身の痛みを気合で押し殺し、すぐさま立ち上がる。

パラパラと木くずが落ちた。

美月がにらみつけた先には甲冑を来た男が立っている。

彼女が殴ったところをさすっている。


「冗談だろ。女のくせになんて力してやがる。俺の鎧がへこんじまったじゃねぇか」


飛び出そうとする美月を宋慈が手で制した。


「なんだもやし男。せっかくいいところなんだから止めるなよ。それとも新しい女が壊されるのが怖いか。心配するな。お前を壊してからゆっくり楽しんでやるから。感想はあの世で聞いてくれ」


男は興奮して歯をむき出しにし、天井を見上げ、眼を血走らせて早口で叫んだ。


「おい、やめろ。お前の趣味に付き合うほど暇ではないのだ」


ため息交じりに洪がいう。


「おいおい、そりゃないぜ。興奮した体がおさまらねぇ。壊してもいい女を連れてこい」


洪はやれやれとかぶりを振った。


「いくぞ。俺が用事をしてる間に済ましてこいよ」


二人が出て行った後には異様な静けさが残った。


「なぜ止めた」


怒りで震える声で美月は聞いた。


「今あいつらを殴っても解決しないんだよ」


宋慈は苦虫をかみつぶしたように顔をゆがませて静かにそう言った。

その後は静をなだめるのに苦労した。

泣きじゃくりながら何度も何度も謝る彼女をなだめるのは大変だった。

宋慈と美月が小一時間ほどかけて何とか落ち着かせることに成功した。

しかし、問題はそれだけではなかった。

派手に吹っ飛ばされた時、汐に借りていたせいろが下敷きになって粉々になってしまっていたのだ。

その日の帰り、美月は汐に平謝りした。

幸い特におとがめなしだったが。

体の痛みを抱えながらその日は帰路についた。











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