第2話 蠅が犯人を教える その2

「お、お役人さん。今すぐ……き、来てください」


男はせき込みながらなんとか声を絞り出した。

宋慈はその男に声をかけることはなく、ただ眺めているだけだった。

美月が宋慈に目線をやると、宋慈は何か言いたげにこちらに目線を投げ返した。

彼女はため息交じりに口を開く。


「どうされたんですか」


「事件です。人が殺されたんです」


胸に手を当て、ようやく息を調えた男の口から出た言葉は、美月の予想の斜め上だった。

思わず目を見開き、宋慈の顔を見る。

彼はわかっていたかのように顔色一つ変えない。

そして次の言葉を促すように口を開くこともない。


「ついさきほど、男の死体が見つかったんです」


沈黙が落ちることを嫌がった男が口を開いたが、新しい情報はあまり得られなかった。

死んだのは男性ということと、男の死体が発見されたのが先ほどということから、現在の時刻から考えて正午前ということになる。

顎に手を当て考えている美月を宋慈は満足げな顔で見ている。


「ここまで走ってきて、先ほど発見された死体の話をしたってことは、近くに死体があるってことだよね」


ここで、男に対して初めて宋慈が口を開いた。

男は大げさに首を縦に振る。


「それはいい。じゃあさっそく向かおう」


そう言って立ち上がると、宋慈は扉へとむかって歩き始めたが、扉の前で立ち止まって美月の方を振り返った。


「何してるんだい小月シャオユエ。君も行くんだよ」


不意を突かれた美月は思わず返事をして歩き出したが、よくよく考えればまだ一緒に働くと答えてはいないのにと思った。


「小月(月ちゃん)ってどういうことですか」


早歩きで宋慈に追いつき彼を見下ろしながら美月は不満を露わにした。


「深い意味はないさ。小月」


さわやかな笑顔を見せた宋慈だったが、美月にはとても憎たらしく映った。


事件を知らせに来た男の名前は延だということが道中わかった。

現場は町はずれの細い道沿いの背の高い木の根元だった。

地元の農民のみが使う道のため、人通りはほぼない。

40代後半の男がうつぶせに倒れている。

大量の血が周りに流れ、背の低い雑草が赤く染まっている。

衣服の感じから商人や役人ではない。

もちろん兵士ではない。

美月にとってそれだけは確実だった。

兵士特有の鍛えられた体つきではない。

とはいえ、商人や役人に多い私欲を肥やした体つきでもない。

適度にしまった体つき。

おそらく農民だろう。

衣服が激しく乱れ、ところどころ切り裂かれている。

切り裂かれた部分の周りには血が滲み、その下には切り裂かれた肉が見えていた。

いくつもの切り傷があることから、おそらくそれが死因であると考えられるが、凶器が何なのかまではわからなかった。

延の話しぶりでは発見してからすぐに知らせに来た様子であったが、気温の高さのせいかすでに蠅が飛び回り始めていた。

突然美月を強い吐き気が襲う。

腐敗が始まった死の匂いが美月の脳を刺した。

戦場で嗅ぎなれていたはずの匂いだが、その嗅ぎなれた匂いが彼女の忘れ去りたい記憶を呼び起こした。

我慢できず道端に崩れ落ち嫌な気持ちを吐き出すように胃の中身を吐き出した。


「さて小月、どう思う」


腕を組み、美月を見下ろしながら宋慈は言った。

美月は口元をぬぐい、腰にぶら下げた水筒の水をがぶがぶと飲んだ。

その後、四つん這いになったまま死体を見て感じたことを伝えた。

美月がしゃべっている間、宋慈は目を閉じ静かに頷きながら話を聞いていた。

話し終わると彼は目をゆっくりと開き死体を眺めた。


「いい推測だね。雇ったかいがあったよ。ただ、まだ足りないね」


そういうと宋慈は懐から手拭いをだし、腰の水筒の水を手拭いにかけ、しゃがみこんで傷口の一つを拭き始めた。

まだ完全に乾ききっていないぬめぬめとした血が少しずつ落ちていく。

ある程度傷口が見えたところで宋慈は手を止めて、傷口を指さして言った。


「見てごらん。傷口がきれいじゃない。切れ味がいい刃物じゃないのがわかる」


宋慈の言う通り、傷口は刃物で切られているのは確実だが、切れ味があまりいいものではないのがわかる。

突き刺した刃物を無理やり引っ張って切り裂いたように見える。


「そして、こんなに血だまりがあるってことは殺害現場はここで間違いないだろう」


宋慈はそういいながら雑草についた血を指でぬぐった。

ぬめっとした感触が美月にも見て取れた。

まだ固まり切っていない、傷口周りと同じ感じの血だ。

そこでようやく美月は立ち上がった。

宋慈はおもむろに死体の懐をまさぐりだした。

その様子を延と美月は黙ってみていた。

まもなくして、宋慈は布でできた袋を取り出した。

その袋を開け、中を覗き込む。


「強盗が人を殺す場合、理由は何だと思う」


宋慈は袋を見せながら美月の方を見た


「金銭です」


美月は最初に思いついた答えをそのまま口に出した。


「そう。だけど、この袋には金が残っているし、服もはがされていない。そして、ただ殺すにしては傷が多すぎる。どうやら相当恨まれていたらしいね。この男は」


宋慈は血まみれの両手を服でぬぐいながら立ち上がった。

彼の両脇は血だらけになってしまった。


「さて……、あとは犯人だね。急ごうか」


「犯人わかってるんですか」


「もちろんわからないよ。死体はそこまで雄弁じゃない」


希望に満ちた声で延が聞いたが、宋慈はあっけらかんとそう答えた。

あからさまに延が肩を落とす。


「わからないから聞きに行こう。小月も落ち着いたようだしさ」


「誰に聞きに行くんですか」


未だに残る吐き気を抑え込みながら美月が聞いた。


「犯人にさ。延、この近くに農民の集落があるだろう。そこへ案内してくれ」


延の返答を聞く前に宋慈は歩き始めた。

延は慌てて先導し始める。










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