アナスタシアとバーグ

エリールがフィンと話している頃、敵組織の一員として潜入していたアナスタシアは、落ち着かない気分でいた。


アナスタシアはオペラ座での潜入後は、前々から接触を図っていた幹部の男と恋人となり、敵アジト潜入に成功していた。


「ジュリー、今夜の取引が終わったら旅行でも行こうぜ」

「いいわね。私、南の島でゆっくりしたい。何にも縛られないで過ごしたいわ」

「済まねえな。オレがこんな仕事をしているばっかりに、お前を引きずりこんじまって」

「もう、そんなの関係ないって言ってるでしょ」


恋人関係になった男ことバーグは、シルバーの短髪にアイスブルーの瞳を持つ大男で、腕っぷしの強さと指示に忠実に従うことから幹部にまで上り詰めた男だった。


バーグは意外にもやさしさを持つ男で、アナスタシアは大事にされていた。ただ、このやさしさは恋人だけに限定されたもので、ほかの者には狂暴だったが。


彼との恋人になるキッカケになったのは、バーグが手下の失敗の制裁をしている時にアナスタシアが止めたことだった。


その日、バーグの行きつけのバーで店員として潜入して働いていたアナスタシアは、バーの裏でバーグが1人の男を殴っていたことに気付いた。外は雨が降っていて誰も止める者はいない。見かねたアナスタシアは思い切って声をかけた。


「......そんなに殴ったらあなたの手が傷つくじゃない」

「オレの心配をするのか?殴られているコイツじゃなくて。......あっち行ってろよ。後でバーに顔出すから」


アナスタシアは“ジュリー”と名乗っており、バーグとは挨拶をするぐらいの関係を築いていた。


その後、バーに顔を出したバーグの濡れた身体をアナスタシアは拭いてやり、殴って傷ついた手も手当してやると、アナスタシアとバーグの距離は一気に縮まった。アナスタシアも巧みにバーグの気を惹いたので、うまく敵対組織のアジトに恋人として連れて来られたのだ。


バーグはジュリーの美しさや世話好きな点をとても気に入っていたので、時折、自ら将来のことなんかを話に出していた。


「ジュリー、オレはちょっと今夜の準備に行ってくる。ここで待っててくれ」


アナスタシアをやさしく抱き寄せてキスするとバーグは出て行った。出かけて行くバーグを扉のところから見送ったアナスタシアは、周りを素早く見回すと手を空に掲げる。


すると、タイミングを見図ったかのように1羽のハトが飛んできて腕に止まった。アナスタシアが胸元から細い筒を取り出してハトの足に付けられたケースに筒を入れると、すぐにハトは飛び立つ。


筒を入れると同時に餌をやっていたので、周りからは餌をやっているようにしか見えないはずだ。それにもともとこの辺りのハトは、毎日餌を求めてやって来ていたので餌をやる人も多い。餌をやっても別段、怪しまれることはなかった。


バーグが準備に出て40分も経つと辺りが騒がしくなり、作戦が開始されたことが分かった。手下の家族らも家から顔を出し、何事かと様子を伺っている。


すると突然、家の扉がバン!と乱暴に開き、緊迫した表情のバーグが飛び込んで来た。


「ジュリー!逃げるぞ!警備隊のヤツらが乗り込んで来やがった!」


バーグの声にジュリーが振り向くと、バーグは金目のものを大急ぎで袋に詰め込み始める。アナスタシアは密かにペンダントを首に掛け、服の中へと垂らした。


バーグは金目の物を袋に詰め終わると、ジュリーの手を掴んで急いで騒ぎになっている川岸よりも下流の川岸へとジュリーを引っ張って行く。


「バーグ!どこに行くの?」

「お前と逃げる!」

「ボスは...ボスはどうするの?」

「ボスは大丈夫だ。あの人なら捕まらねぇ。......まずは国に戻って体制を立て直す」


走りながらジュリーの質問に答えるバーグは、途中、前に立ちはだかった警備隊を蹴散らしながら下流の川岸へとたどり着いた。


バーグは川の茂みに隠してあったボートを引っ張り出すと、川の中央の方へとボートを押し出しボートに片足を乗せた。アナスタシアにボートに乗り込むように言う。


だが、アナスタシアはボートには乗らずにバーグに近寄ると熱いキスをした。


「な、何してるんだ!? こんな時にしてることじゃねぇだろ」


一刻も早く逃げなければならない時に口づけされてバーグは戸惑う。アナスタシアはその隙をついて思いっきりバーグをボートに突き飛ばした。突き飛ばした反動でバーグを乗せたボートは岸から離れて行く。


「おい!何やってんだ! 岸からボートが離れてく!お前も早く乗るんだ!」

「バーグ、ここからは1人で行くのよ」

「何を言ってる!お前も来るんだ!」

「2人じゃ重くて追いつかれるわ」

「バカ言ってんじゃねえ!お前は絶対に連れてく!」


バーグはアナスタシアが自分だけを逃がそうとしているのを知ると非常に慌てた。アナスタシアは今にもボートを降りて来ようとするバーグを見て、仕方なく服の中からペンダントを取り出して掲げた。


ペンダントヘッドには警備隊所属を示す認識票がついていた。


ペンダントヘッドを見たバーグは目を見開き固まる。


「お前は……誰なんだ……」


驚いたバーグはボートに乗ったまま茫然としてそのまま川の流れにのって流されていく。もはや川の本流にのったボートは岸に戻ることは不可能だった。バーグは遠ざかるアナスタシアを見つめ続けていた。


「バーグ、無事でいて......さよなら」


流されて小さくなったバーグを見送ったアナスタシアは、仲間と合流しようと後ろを振り返った。すると、アーバンが立っていたので驚いた。


「何が“無事でいて”だよ」

「アンタ、見てたの?」

「アナスタシアが連れ去られると思って急いで来たら、まさかのロマンチックなお別れかよ」

「のぞき見なんて悪趣味」

「逃がしちゃっていいわけ?アイツ幹部だよ」

「アンタだって......前に関係者の女を逃がしたわよね?」

「それは秘密! 自分に惚れてくれた人を逃がしてやりたくなっちゃうのは分かるけどさ、アイツは大物で......」

「じゃ、何も言わないで。こういう任務ってセンチメンタルになっちゃうトコあるわよね」

「......まぁ分かるよ。オレらも人間だし」


“さあ行こうか”とアーバンに背中を押されて、アナスタシアは無理やり気持ちを切り替えたのだった。

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