エリール、劇場で叩かれる
腰に手を回したキャプスは、3階に上がるまでの階段を丁寧にエスコートしてくれる。
エリールはかかとの高いヒールを履いているのでキャプスが支えてくれると安定して歩きやすいが、彼に体重をかけ過ぎないようにしなくてはと思うと、ぎこちなくなってしまっていた。
「もっと身体を預けてくれて大丈夫だ」
(逆に歩きにくかったかしら。お言葉に甘えてしまおう)
思い切って身体をキャプスに寄せると階段を上がりやすくなった。エリールが顔を上げるとキャプスの顔がすぐ上にあってとても近い。
フェスタとは違う男性に身体を預けるようにして歩くことがなかったので、仕事とはいえエリールはドキドキしてしまった。
(この人は、こういう時もクールなのね)
キャプスを見上げると、特に表情が変わらない。エリールが顔を見上げたらか、彼もエリールを見下ろして目が合う。
「どうかした?」
「う、ううん何も……」
エリールの答えを聞くと、キャプスは恋人らしい振る舞いをしつつも、いつもと変わらぬ調子で席までエリールをエスコートした。席に着くと時折、視線を方々から感じる。
“新タップ伯爵がどこかの令嬢を連れてきているぞ”そんな声が聞こえてくるようだ。キャプスは既に若き伯爵家当主として知られているから注目が集まりやすい。彼といるエリールはどうしても目立つことになる。
(この役、本当に私で良かったのかしら……)
エリールが席に腰を下ろすと、キャプスは上着を脱いでエリールの脚に乗せた。何だろうと思ってキャプスを見ると、彼が少し呆れたように言う。
「スリットから脚が丸見えだ」
「ああ……」
ほぼ空きっ腹に飲んだシャンパンのせいで、ほんのりと気分の良くなりつつあったエリールはスリットのことをすっかり忘れていた。
「そんなに丸見えだった?」
「ああ、大胆過ぎる。終わるまで上着をかけているといい」
「ありがとう」
突然、キャプスはエリールの肩に手を回して引き寄せた。まるで周りに見せつけるように……。
「学園でまとわりついて来る令嬢が来ている」
耳元でキャプスが囁いた。
(ああ、それで急に……)
「私も何かをした方がいい?」
「いや、こうして肩を抱いて囁き合っているだけで十分だろ」
そういうものなのか。フェスタだったらエリールの頬にキスくらいすぐしてきそうだと思って、ふと我に返った。
(フェスタだったらって何よ。もう関係ないのに)
「始まるぞ」
キャプスの言葉で舞台へと目をやると、オペラ歌手の歌声が会場に響き渡る。しばし素晴らしい芸術を楽しんだ。
前半の部が終わると休憩が設けられていたので、エリールはキャプスに断ってお手洗いに立つ。
用を足して手洗い場にいると、見たことがある令嬢から突然、声をかけられた。
「あなた、キャプス様となぜ来ているの?」
随分、端的な言葉だ。この令嬢はたしか隣のクラスの伯爵家令嬢だったはず。
「キャプス様からお誘い頂きましたので」
「あなた、フェスタ様にフラれたのでしょう?心優しいキャプス様は惨めたらしいあなたに恩情をかけて下さっているだけなのに、なに調子にのって一緒に来ているのよ。立場に違いがあるんだからお誘いを断りなさいよね!この恥知らず女が!」
エリールが格下の男爵令嬢だと思って居丈高な振る舞いをされるのは予想していたが、あまりにも高飛車な言い方にカチンときてエリールも言い返した。
「......そうですわね。でも、ドレスもアクセサリーも一式、キャプス様が
「何ですって!?何様よ!この女!」
令嬢とも思えない言葉を吐いたかと思うと、令嬢はイキナリ手に持っていた扇でエリールの頬をバシン!と叩いた。叩かれたエリールは痛みとあまりの凶暴さにビックリして、令嬢からすぐに距離をとって離れる。
「こんなことをする人をキャプス様が好きになるわけないじゃないの!!あなた、アホなの!?」
スッカリ頭にきたエリールもお上品とは言えない言葉を吐くと、急いでお手洗いから逃げ出して席に戻った。
「急いでどうした?……その頬の傷は?」
エリールの顔を見たキャプスの表情が険しくなった。
「お手洗いで私を妬んだ隣のクラスの令嬢に扇で叩かれたの。ビックリしたわ!文句言って逃げて来たわ」
「何だって?誰?」
「えーと、サーブ伯爵家の令嬢だと思うわ」
「ネリー令嬢か。ひどいことをするな......。安心してくれ、きちんとされたことは返しておく」
「返すって?」
叩かれて赤くなったエリールの頬にキャプスが優しく触れる。
「少し、擦り剝けてしまっているじゃないか。女性の顔に傷をつけるなんて許せないな。すぐに手が出るバカな女はキライだ」
「私が男爵令嬢だからよ。あなたと釣り合わないって」
「だからなんだ。オレが選んで君を連れて来たんだ」
怒って冷静さを欠いたのか、キャプスの1人称が “オレ”になっている。
「あなたが怒ってくれただけで十分よ」
「そんなことで済むか」
エリールの頬にできた傷にキャプスが顔を近づけるとそっと口づけた。少し離れたところで何かが床に落ちる音がしてそちらを見ると、扇を床に取り落とした例の令嬢が立っていた。
「君、覚悟しておいてくれよ?僕の愛しい人に傷をつけたのだからな」
令嬢は青くなると急いで去って行った。
エリールは突然、頬に口づけされたのと、叩いた令嬢にビシッと文句を言ってくれたキャプスの行動に少しパニックになっていた。
「ありがとう、注意してくれて」
「当たり前だ」
そんな風に言うキャプスはいつものクールな彼に戻っていたが、さすがボスを務めるだけあり“頼れる人”なのだなあと、エリールは感じたのだった。
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