隣人愛

 中学校のときの大好きな社会科の先生から新約聖書を貰って読んだことがある。(中学の教員は必ず聖書が配られるらしいが本当なのだろうか)正直、字が細か過ぎて開いては5分で寝落ちしていたが多少内容は覚えている。。

 キリスト教の教えには「隣人愛」というものがある。diriges proximum tuum sicut te ipsum.汝隣人を汝自身の如く愛せよ、である。僕はクリスチャンではないから、この言葉を胸に刻んで行動している訳でないが、なんとなく忘れらない精神である。パズドラでイデアルが好きだった。だから博愛、博愛主義という言葉も好きになった。全てを等しく愛す、これは大変難しいことである。立場や能力その他の要因で無意識に対応に差をつけてしまうのが常である。その中で如何に人と接すれば良いのか、その答えが聖書のその言葉にある気がする。その人を自分のように愛せば良いのだ。分かりやすい基準であろう。

 僕は、何故だか優しい人間だと思われがちである。人に厳しく出来ないからなのだろうか。どんなときも怒らない、あるいは怒りを表現しないからだろうか。自分のこういうところは決して長所ではないと思う。なぜなら先述した通り、人への接し方が自分の甘やかし方の写鏡であるからだ。つまり、僕が他人に厳しくできないのは、自分を追い込むことすら出来ない腑抜けである証拠だ。自分の言動で人を叱咤激励することも、寄り添い続ける勇気がないことは、自分自身を独力で立ち上がらせることの出来ないことを意味するのだと思う。

 だから僕は、芯のある人に惹かれるのだろう。(芯のあるが良い使われ方をしないこともあるらしいが、ここでは自立していて、意見を言えるくらいのニュアンスで捉えて欲しい。)


隣人愛というタイトルとはかけ離れた結論に辿り着いてしまった、こんな駄文に付き合わせてしまって申し訳ない。

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