私に彼女がキスをする
小日向葵
私に彼女がキスをする
なんか暑い。体全体を覆うような不快感に、私の意識は覚醒を始めた。
寝る前に、エアコンのオフタイマーを二時間でかけた。午後十一時に照明を消してタイマーをかけたので、日付が変わった午前一時くらいにエアコンは止まったと思う。
それから何時間で部屋の温度は上がるんだろう?でも夜なんだから、そこまで暑くなるのは変な気もする。夢で泳いでいた海が温泉になったから、だから暑いのは仕方がないんだ。たぶん額に汗をかいている。仰向けに寝る右腕が重い。
あれっ?なにこれ?
一気に意識が現実に戻った。目を開ける。ナツメ球のぼうっとしたオレンジの灯りに部屋は満ちている。右側を見ると、呑気に寝息を立てている菜々美がいた。
こやつ、いつの間に!
夏休みだからお泊りで勉強会したい、来年は大学受験で忙しくなるからと何度も何度もおねだりをする菜々美に根負けして一泊のお泊り会は許したけれど、別々の布団で寝たはずだ。よく見たら、布団のスペース自体菜々美の方がよっぽど広く使っていて、私のスペースは縦四分の一程に削られてもいる。
でも菜々美も可愛いんだよな。日頃いつも私を誉めそやして引っ付いて来る菜々美の言動を思い出す。恵理可愛い、愛してる、ちゅーして。さすがに教室でキスをねだるのには閉口したけれど……一度折れてしまってからはもう日課のようになりつつある。
私は少し頭を起こして、菜々美が寝ていた布団のスペースに目をやる。弱々しいオレンジの光に照らされているそこは、ただの畳だ。
こやつ、布団片づけてる!
つまりこれはわざとだ。例えば、夜中にトイレに起きたけど寝ぼけて間違えちゃったーてへ☆彡みたいな、シチュエーションを利用した言い訳は完璧に捨てているということだ。偶然や事故ではなく、明確な意思の発現として菜々美はここに寝ているのだ。
菜々美がここまで私に執着するとは、正直思ってなかった。わりとカラっとした性格で、嫌な事でも笑い飛ばして蹴っ飛ばすような。豪放磊落で、それでも敵を作らない人気者。そんな菜々美に二人カラオケで衝撃の告白を受け、ついキスをして以来、私に関する菜々美の態度はもう一変した。
油断していると束縛を強めようとしてくる。男子と話をしていると、ごく自然に割り込んで来る。いや男子とだけじゃないな、女子との時もだ。ナチュラルに私の予定を知ろうとして来る。ボディタッチも増えたし、謎の保護者面もするようになった。以前は隠していた、なるべく一緒にいたいという欲望を全く隠さなくなった。だからもう、二人は半ば公認カップルみたいな扱いになっている。
菜々美は私に恋をしている。では私はどうなんだろう。
薄明りの下、すうすうと安らかな寝息を立てている端正な寝顔を眺めてみる。この子は私のことを明確にパートナーとして求めている。求められることは嬉しくて、胸の奥がむずむずする。菜々美の喜ぶ顔が見られるならと、彼女からの過激に思える要求……教室でのキスにも応じてきた。最初のうちは冷やかしの声や黄色い悲鳴も聞こえたけれど、最近ではもうクラスの誰も騒ぐことはない。
多分、私も菜々美のことが好きだ。菜々美の求めにはできるだけ応じてあげたいけれど、それがどういった感情に基づくものなのかを、私はまだうまく整理できていない。
静かに時間が流れていく。こちこちと、目覚まし時計の秒針が進む音が微かに聞こえる。
菜々美といるのは心地良い。それは疑いようのない事実だし、彼女に求められること、その求めに応じることはもう私の喜びになりつつある。勉強もスポーツも得意で、明るく可愛く人気者の菜々美。そんな彼女の愛を独占できるだけの何かを、この私は備えているんだろうか。
そこまで考えた時、菜々美がじっと私を見ていることに気付いた。オレンジ色の光は彼女をより幻想的な、魅惑的に見せる。
「ねえ恵理」
菜々美は甘く囁く。
「結婚しよ」
「結婚?」
「そう。あたし、恵理をお嫁さんにしたいし、恵理のお嫁さんになりたい」
「うふふ、二人でお嫁さんか」
私は、白いドレスを着た花嫁姿で並ぶ二人を夢想する。どう想像しても、私がいまいちパッとしない。
「あたしもう、恵理なしじゃ生きていけない。でも恵理がそこまであたしを必要としてないのも知ってる。ごめんね恵理、重い女で」
「私も菜々美のこと好きだよ」
私はできるだけ静かに言った。
「菜々美をお嫁さんにしたいとは思わないけど」
「ええー」
「菜々美のお嫁さんになら、なってあげてもいいかな、とはちょっと思うよ」
「恵理ー」
がば、と菜々美が覆い被さって来る。体の重みと熱が、ダイレクトに伝わってくる。
「それはだめ」
菜々美の手が私のパジャマの下に入って来ようという気配を感じたので、私は優しく窘める。少し躊躇してから、手はおずおずと引っ込む。
「生殺しだよー」
「だからお泊りには反対したのに。とりあえずどいて、暑い」
「やだ」
拗ねたように菜々美は言う、ああ可愛いなぁ、と私は思う。一昔前なら道ならぬ恋とでも言うんだろうか、綺麗な彼女にここまでさせる自分っていったい何者なんだろうなんて、答えの出なさそうなことまで考えてしまう。
「明日も朝から勉強しなきゃだよ」
「ううう」
不承不承と言った感じで菜々美は私の上からどいて、再び私の右腕にその身を絡みつかせるように丸くなった。吐息が脇をくすぐる。
「ふひひ、恵理の匂いがする」
「ちょっとやめてよ、寝汗かいてるから」
「いいのいいの、あたしこの匂い大好きだから」
「変態!菜々美が変態だった!」
「くんくんくんくんくんくん。ああ脳みそ蕩けそう」
「やーめーてー」
やめてと言いつつ、私は菜々美の頭を抱える。くすくすと笑う二人。しばらくして、菜々美は大きく息を吐いて、私はそれを合図に菜々美の頭を解放した。
「もう寝ましょ」
「うん」
私は目を閉じる。ひとしきり騒いだので、まだ心臓がどきどきしている。菜々美も何回か大きく深呼吸をしている。
……お嫁さん、か。
いつか誰かと結婚してこの家を出る。子供の頃に漠然と考えたことはあったけれど、その相手が女の子になるとは思わなかったな。
そこまで考えて私ははっとする。あれ、どうして菜々美と結婚する前提で考えてるの?菜々美との結婚を当前だと思い始めている自分に気付いて、私は内心慌てた。
ああ、たぶん恋してる。私は菜々美のものになってもいい、いやむしろなりたいと思っている。これって独占欲?依存心?やだもう私何考えてるの?
結局悶々として全然寝られなかった私は、勉強に集中できなくて菜々美に呆れられてしまった。眠くてもうダメ、という私に菜々美は優しくキスをしてくれた。
クーラーが効いているはずの部屋が、なんだか暑く感じた。
私に彼女がキスをする 小日向葵 @tsubasa-485
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