第121話 黄色の土地
『あの男、ほっといていいわけ?』
強い日差しを受ける中、エレディナが人の頭の中に問い掛けた。
雨が長く降っていないか、大地は乾燥し、風で砂が舞い上がる。フィルリーネは首に巻いていたショールを口元に上げた。口を開けただけで、砂が入ってくる。
「放っておいても、平気でしょう。人が多いから、そこまで動けない。せいぜい部下が繋ぎをつけられるくらいだし、問題ないわよ」
『まだ、あの男が何をするか、分からないじゃない』
「それは、まあね」
しかし、ルヴィアーレの部下が城の中をうろついても、婚姻までに王と戦えるほどの仲間は作れないだろう。王の資質を得られたと皆が知り、王がまだ存命する中で迂闊にルヴィアーレに近寄ったところで、ルヴィアーレが確実にそれらを信用しないからだ。
王に繋がるとも限らない者たちを、迂闊に引き入れることはできない。ルヴィアーレは慎重に動く必要がある。できて、王に反する者たちを抜粋する程度。引き連れるには、時間が掛かる。そして、フィルリーネの配下は、ルヴィアーレの仲間にはなり得ない。その状態で、簡単に仲間など作れない。
だとしたら、グングナルドの現状報告を含め、ラータニアへの繋ぎをつけるだけだ。ルヴィアーレはラータニアの情報を得たいだろうし、ラータニアもまた、ルヴィアーレの情報を得る必要がある。
そこで、どんな情報のやり取りを行うだろうか。
「久し振りに来たけど、今日、暑いなあ」
『嫌になるわ。この暑さ』
グングナルド国の南南東に位置する土地、ラザデナ。元々雨の少ない乾地で、春から夏にかけてはほとんど雨が降らなかった。黄色の土ばかりが続く、不毛の土地だ。
フィルリーネは、フィリィの格好をして、町にやって来た。ルヴィアーレは今頃、武道大会に行っている。最近部屋に来過ぎだったので、丁度良いと、ラザデナにやって来たのだ。
ラザデナの町は、王都ダリュンベリと違って、建物は低く作られており、町を囲む土壁だけが高く聳えていた。風が強い日は砂が荒地より飛んでくるので、砂避けである。人も目元以外を布で隠して歩いているので、一見どんな人物が行き交っているのか、分かり辛い。
昔は、魔鉱石の取れる岩場があったが、取り尽くしてしまい、今ではその名残の山が、穴だらけのままになっているだけ。魔鉱石が採れなくなって、数年。砦もあった大きな町だったが、魔獣のうろつく、危険区域となった。
魔鉱石を採っていた者たちの多くは、今では魔獣狩りで生計を立てている。魔獣の部位が売れるのだ。角や牙は加工品。皮は毛皮や鎧の素材。肉は油やろうそくになった。
とはいえ、生鮮食品は手に入りにくい。魔獣が多く、動物も少ないため、食料は他の土地から得ることが多かった。とりわけ、海に面した、隣国グロウベルからの輸入品が良く見られた。
町には道に並ぶ出店があるが、賑わいがあるわけでもない。ダリュンベリよりずっと人通りの少ない道の出店の一つに近付くと、フィリィは口元のショールを、少しだけ下げた。
「こんにちは」
魔獣の角や牙を並べる店の番をしていた男は、足元の荷物に商品を入れながら、ゆっくりとフィリィを見上げる。
「久し振りだ。フィリィさん」
のそりと立ち上がった男は、とても筋肉質で、薄黒く焼けた肌に黒髪を短めにし、気持ち程度に被せたフードから、顔を覗かせていた。皆がくるまるように肌を隠しているのに男はノースリーブで、腰に短剣を挿している。
「姉さんなら、いつものところにいるよ。今日は客が来ているんだ」
丁度、店を片付けている途中だったようだ。今行くところだったと、商品を入れた荷物を持ち上げる。案内をしてくれるようだ。
「ありがとうございます、ミゾルバさん。お客さんって、この暑い中、狩りですか」
ミゾルバと、その姉リンカーネは、魔獣を狩る傍ら、狩りをしにくる客を案内する仕事も行なっている。春から夏にかけては、暑さの関係で好んで狩りに出る人は少ないのだが、今日は客がいるらしい。
ミゾルバは頷いて出店の並ぶ道から離れると、ほとんど人の姿が見えない小道へと入った。黄色の土壁の他には何もない小道で、歩くと靴が黄色の砂にまぶされていく。この靴のまま城へ戻れば、どこへ行っていたか一発で分かる色だ。グングナルドの土地で、黄色の砂を持つのは、この町だけだった。
帰る前に、全てを払わなければならない。そう考えながら、小道を過ぎて、ミゾルバの後についていく。
リンカーネは、いつも小道の奥にある広場の建物にいる。そこから裏道を通り抜けると、獣を狩るために乗る小型艇が停まっていた。その小型艇に客を乗せて、狩りの場所まで行くのだ。
「おや、珍しい人が来たね」
小型艇への道を行こうとしていたか、身長の高い女性と、フードを被った二人の客らしき者たちがいた。
「こんにちは、リンカーネさん。お久し振りです」
「丁度良かったよ。これから狩りに行くところだったんだ。良かったら来るかい? どうせ、様子を見に来たんだろ?」
「いいですか? お邪魔させてもらって」
身長の高い女性、リンカーネは、背中に太めの短い剣を携えている。弟のミゾルバより若干長い剣だが、剣身は短い。リンカーネはミゾルバのように黒の短い髪で、肌は焼けて浅黒かったが、瞳だけが金色をしている。その瞳が猛禽類のようで、鋭さが残った。
二人とも元兵士で、魔鉱石の採掘が終わり、魔獣が増える町を見て、狩人に転身した。そのため腕もあり、小型艇を動かす能力もある。二人の腕を見込んで、狩りに行く客は多い。腕がいいため、強力な魔獣がいても、最悪二人が対処してくれるからだ。
そのため、腕に自信のない者でも、狩りの帯同を望む者が多かった。客の二人も、その手合いだろうか。
二人は男性だろうが、一人は細身で色白の男だ。金色の長い髪をまとめていないのか、首元からうねった髪が伸びている。整った顔の若そうな男で、いっても三十歳手前くらいに見えた。
その男と目が合うと、にこりと笑んできた。薄い水色の瞳には日光が眩しそうで、細目にすると、柔らかい雰囲気を感じる。のんびりとした気配を持つ、世間知らずのような、身なりも良さそうな男だ。
対して、後ろにいる身長の高い男は、顔色の悪い黒髪の軍人風で、黒の細い瞳がこちらを捉える。年は三十を過ぎているだろうか。体格は良く、がっちりとしており、マントの下に長い剣を帯びているのが分かった。
どこかの貴族か、あまり関わらない方がいいだろうか。ダリュンベリの貴族がわざわざこんな田舎町まで狩りには来ないので、貴族でも自分の顔を知る身分ではないだろう。
お金のある貴族が、この暑い中狩りをするのも珍しかった。どこかの豪商の坊っちゃまなのかもしれない。
「お嬢さんは、一人で狩りですか?」
坊っちゃま風の男が、明るめの声で問うてきた。フィリィは軽く頷く。
「彼女は絵師だから、あまり狩りには加わらないよ」
リンカーネが補足のように付け足した。リンカーネも若い男を剣の腕のない坊ちゃんだと考えているか、フィリィが戦力にならないことを匂わす。
前に客と一緒に狩りに出た時、子供一人で狩りに来るほど腕があるのかと勘違いした客がいたのだ。どんな腕なのか確かめるために、魔獣をけしかけてきたことがあったので、念のため牽制したのだろう。リンカーネはフィリィが弱くないことを知っているが、間違ってフィリィを盾にされても困ると考えたようだ。
坊っちゃま風の男は納得したか、大きく頷いた。
「お若い女性なのに、魔獣を描かれるんですね。その年では、珍しいんじゃないですか?」
嫌味のない問いかけだったが、やはりどこか浮世離れした雰囲気を感じた。のんびりしているような、とぼけているような。
「ああ、僕の名前はシェラ。こちらがモストフです」
「……フィリィです」
フィリィが警戒したと思ったか、シェラと名乗った男は自己紹介をした。丁寧な物言いで、にこりと人好きのする笑みを見せる。
「客同士の詮索は、規定違反だよ。三人とも、おとなしく乗ってくれ」
リンカーネは会話に入り込むと、裏道を歩きはじめた。客が多い時期だと、乗り合いで狩りに行くことがある。しかし、大抵娯楽なので、身分を口にしたくない者も多いのだ。この土地は珍しい魔獣も多いので、その傾向が強い。そのため、身分を聞かないのが暗黙の了解だった。
シェラは知らないのだろう。リンカーネの後ろ姿を見送って、そうなの? とモストフに聞いている。
裏道を過ぎて、先程より広い場所に出ると、小型艇が停まっていた。六人乗りの古い機体だが、ミゾルバが改造を行っているため、見た目より性能がいい。大抵の貴族は、この機体を見て不安げにするものだが、シェラとモストフは気にならないようだ。
シェラは、むしろ興味津々と、小型艇を見回した。白い機体は砂で薄黄色くなり、獣に傷つけられたか傷も多い。魚のように頭部が丸く、尾びれが付いたような形をしていた。
ダリュンベリの機体は虫の羽のようなものが付くのが主流だが、このラザデナの町は空を飛ぶ魔獣が多いので、折れやすい羽が付いていない機体が主流だ。
それが物珍しいのだろう。シェラは滑らかに曲線を描く機体を珍しげに撫でて、リンカーネにさっさと乗れと急かされた。
中はあまり広くなく、後部に向かって狭いので、フィリィは後部の奥へ座った。操縦席にミゾルバ、助手席にリンカーネが座るが、後部の座席は対面式だ。フィリィの隣に座ればいいものを、シェラとモストフはフィリィに対面して座った。しかも、モストフが後部の奥に座るので、モストフは天井に頭をぶつけないように、小さくなっている。
シェラとモストフは主従関係だろう。モストフは狭い座席に座っても、シェラの側を離れる気がないようだ。
ラザデナの町は、隣国グロウベルに海を挟んで接している。グロウベルへ魔獣から採れる素材を輸出することが多いので、それを生業にしている豪商も多かった。シェラはその手の跡取りの可能性もあった。
小型艇は、音を立てて上昇する。町の付近は黄色の砂だけで、草もほとんど生えていない。
精霊の少ない、魔獣の多い町だ。
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