第120話 手回し4

 ラータニアとの情報交換が難しくなっていることに気付きながら、繋ぎをつけることに邪魔をする気はない。

 むしろ、協力的だ。それも不思議な話だが、正直な所、助かる。


「そうだなあ。私、いつも隠れて行くから、まともに行ったことないのよね。ちょっと考える」

 フィルリーネは唸り続けて、目を左右に動かした。うーん、うーん、言い続ける。

「ああでも、私が行く必要ないものね。うーん。でもなあ。手伝える人。うーん」


 大勢がいる中で、フィルリーネが隠れて行けるのならば、自分でも可能かと思うが、フィルリーネは大きく首を振った。

「そんな目立つ人、置いとけないよ。すぐばれちゃうじゃん」


 一人で行っても目立ちすぎると、きつく言ってくる。ついでに部下たちを伴わなければ、行かせるわけにはいかないと断言した。フィルリーネはついてくるつもりがないようだ。


「ああ、そうだ。鍛練に行きなよ」

「鍛練?」

「いつも行ってる時間より、少しだけ遅く行って、長めに鍛練して待ってて」


 こちらがいつ鍛練に行っているかは承知している。フィルリーネは行けば分かると言って、それ以上を言わなかった。手筈を整える用意もいらないのか、明日にでも行きなと、気楽に口にして、再びロブレフィートを弾きはじめたのだ。




 裏で手を回すにしても、フィルリーネは手際がいい。それだけ仲間が大勢いると、解釈できるだろうか。


 翌日、フィルリーネに言われた通り、いつも鍛錬に行く時間より遅く鍛練所に行き、いつもより長めに鍛錬をしていると、何人かの兵士たちが、隣の鍛錬所に入っていった。

 前に、フィルリーネに付き合って鍛錬所に来た時には入らなかった部屋だが、同じ制服を着た者たちが集まってきているようだ。


「この時間は、警備騎士が入るようです」

 打ち込みの相手をするサラディカが木の剣を押さえるふりをし、小さく伝えてくる。警備騎士たちは人の顔を見て、頭を下げて端を通りながら別の部屋に入っていくが、特にこちらに近付いてくるわけではない。


 警備騎士には女性が多いのか、髪を結んで背中に流している者が、何度か目に入る。

 フィルリーネが何をしてくるのか。警備騎士の誰かがこちらに何かをしてくるのか。


「あら? ここじゃなかったか?」

 若い警備騎士たちが集まる中、ぼさついた黒髪をぼりぼりと掻いた男が、のんびりと入ってきた。


「ご婚約者様がいらっしゃるのか。時間、間違えたかな」

 男はとぼけた顔で言いながら、頭を掻いてこちらに近付いてくる。これがフィルリーネの手なのか、イアーナやレブロンが警戒した。


「ニュアオーマ様、こちらです!」

 男が近付く前に、隣の部屋から若い男が声を掛けた。ニュアオーマと呼ばれた男は、とぼけた声で返事をして、そちらに向く。


「時間、間違えたと思ったよ。集まってんの?」

「時間は過ぎてます。ロジェーニ隊長がお怒りですよ」

「ああ〜、ちょっと、それは……。ああ、腹が、腹が痛くなってきたな」


 ニュアオーマが言いながら、腹を抱えて、足を止めた。呼びに来た男が焦って声を掛けている。何をしているのか、うずくまるふりをして、今来た方向に戻ろうとした。


「ニュアオーマ様、ロジェーニ隊長は、もうお怒りですよっ」

「いや、だから、腹がね。腹が」

「ニュアオーマ様!どちらに行かれるのですか!?」


 ずるずると戻る道に進もうとした時、警備騎士で金髪の凛とした女性が、厳しい口調で呼び掛けた。途端、ニュアオーマの肩がびくりと上がる。


「や、いやあ。ちょっと、腹がねえ」

「先日も、腹に痛みを抱えていらっしゃいましたね。すぐにでも、医者にかかられた方が良いのではないでしょうか?わたくしが、医者を紹介いたしますが?」

「いやあ、専属医はいるから、ねえ?」

「では、専属医は変えた方がよろしいでしょう。同じ病が続くのですから」


 金髪の女性は、ニュアオーマを様付けしながら、脅すように言う。立場はニュアオーマの方が上なのだろうが、ニュアオーマはびくびくしながら後ずさっていた。

 女性が仁王立ちをして、ニュアオーマを睨みつける。


「既に皆集まり、ニュアオーマ様を待っていた所ですが、遅れる旨を言付けられないほどならば、今すぐにでも別の医師に診ていただいた方がよろしいでしょう。なんでしたら、局長の座も引かれたらいかがでしょうか」

 笑顔ながら、目が笑っていない。女性の脅すような口調に、ニュアオーマが引きつった顔をした。


「総括局長たるニュアオーマ様が急な病では、来週末の大会に支障が出かねません」

「いやいや、ほら、もう治ったから。時々差し込みがあるだけで、急病じゃないから。ロジェーニ、それより大会の話をしようや。みんな集まってんだろ? 急がないと。大会は街の人間が競技場に入るんだ。王族が来ないとは言え、何かあっちゃ困るからな」


 ニュアオーマの言葉に、ロジェーニと呼ばれた女性は眇めた目を向けた。冷たい視線に、ニュアオーマは体を丸めながら、ロジェーニを避けるように部屋に入ろうとする。身分が逆に見える。ニュアオーマの方が立場は上だろう。


「ご婚約者様もいるんだし、抑えて、抑えて」

 その言葉に、ロジェーニは眉を吊り上げた。ニュアオーマが、その迫力に背筋を伸ばす。


「警備騎士団第三部隊隊長のロジェーニと申します。鍛錬中失礼いたしました」

 自分たちの視線に気付いたロジェーニが、顔を上げると胸に片手をやって挨拶をしてくる。その姿を見ながら、ニュアオーマがそろりと逃げの態勢をとった。この二人のどちらかが、フィルリーネの手なのかどうか。


 サラディカとの打ち込みをやめて、ロジェーニに向き直す。

「いいえ。軽く鍛錬をしているだけですから」

「こんな時間に鍛錬なんて、ご婚約者様は偉いね」

 ロジェーニの後ろからの軽口に、ロジェーニがぎろりと睨みつける。こちらもサラディカが片眉を上げただろう。


 随分と適当そうな男だ。ニュアオーマを横目にして、ロジェーニが整った姿勢でこちらに向き直り、失礼な口調を詫びた。立場が逆だろうに。

「来週末に催しがあるため、警備騎士が集まっております。鍛錬中騒がしくして申し訳ありませんが、どうぞご容赦ください」


 きりりとした印象を持つロジェーニは、口調や颯爽とした風姿から生真面目さを感じる。後ろにいるニュアオーマが尚更引き立てていたが、印象が良い。そういった者たちは、概ねフィルリーネの配下なのだが、不真面目そうなニュアオーマが、再び口を挟んだ。


「来週末、競技場で剣技の大会があるんだが、ご婚約者様もいらっしゃったらどうですかね? 王女の相手も疲れるでしょう」

「ニュアオーマ様」

 肩を竦めて言うニュアオーマに、ロジェーニが険しく睨みつけた。ニュアオーマがその迫力に仰け反って、後退する。


「いやいや、あの姫さん、相手するの大変だろうって、そういうはな、しっ、って、ちょ、剣、剣抜くことないだろっ!?」

 ロジェーニが剣に手を乗せたのに驚いて、ニュアオーマが後ろ足で逃げた。先ほどニュアオーマを呼びにきた男も近くにいたが、その男を盾にする。


「たまには息抜きだって必要でしょうよ。競技場に、あの姫さんが来るわけない、って、やめて! 剣、抜かないで!!」

 ロジェーニが鞘から剣を抜こうとすると、ニュアオーマは男を盾にして、そのまま走り去った。ニュアオーマの誘いがフィルリーネからの命令なのか、微妙な所だ。ロジェーニがすぐに向き直り、詫びを口にする。


「申し訳ありません。失礼をお詫びいたします」

 謝るのがロジェーニだ。呆れて物が言えないと普段なら思うが、ロジェーニは剣から手を離して頭を下げる。そのまま踵を返しそうな雰囲気があった。


「何か、催しがあるのですか?」

 ここは食いつかねばならない気がする。フィルリーネの誘導は、いつもきっかけに過ぎない。


「来週末に、街の者たちを含めた武道大会がございます。王族の方々がいらっしゃるような催しではございませんが、腕に自信がある者たちが集まる大会のため、城の者たちも見学に来る催しになります」

 ルヴィアーレの問いに、ロジェーニは背筋を伸ばしたまま、はきはきと答えた。


「街の人間も多く見学に来る武道大会ですので、少々荒い雰囲気はございますが、褒賞の出る、賑やかな催しになります。その警備に、我々警備騎士団が参ります。ご興味がおありでしたら、どうぞお越しください。我々警備騎士団が、厳重な警備を行う所存です」

「そうですか。時間が合いましたら、ぜひ」

「お待ち申し上げます」


 ロジェーニはそう言うと頭を垂れ、踵を返した。

 随分と出来た女性だ。無駄のないきびきびとした動きに、イアーナが後ろで、まともそうな女性ー。と呟いた。レブロンの肘打ちが、即座に飛ぶ。


「街の人間も参加する武道大会と言うのも、珍しいですね」

 イアーナの呟きは無視して、サラディカが口にする。とりあえず、きっかけは得られた。お互い口にはせず、木の剣を持ち直す。


 フィルリーネは参加しないのだから、ある程度自由に見学ができるだろう。それは繋ぎの付け方も楽になる。フィルリーネはそれも計算しただろうか。王女が出れば、警備も厳重になる。自分だけであれば、然程になるとは思えない。


 フィルリーネは、今の所友好的だった。だが、それでも警戒を解くわけがない。こちらの情報を得たいと考えているはずだ。メロニオルがいるため、こちらの情報は筒抜けだが、全てではない。


 婚姻まで時間がない。フィルリーネもまた、同じことを考えているだろう。

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