第108話 城の外2
「あ、フィリィ姉ちゃん!」
「マットル。今日は、家の手伝い?」
「うん。バルノルジさんの手伝いは、明日。……誰?」
マットルと呼ばれた子供は、フィルリーネの腰に抱きつくと、顔を上げてこちらを見遣った。不審な人物を見る目に、少々気後れする。
その子供は、どう見ても貧民の服装だった。破れて煤けた服に、裸足で指が泥だらけだ。しかも、水に濡れているのか、髪の毛から水が滴っている。
フィルリーネはそれを気にせず、子供の頭を撫でた。驚いたのはその表情だった。愛おしい者でも見るように、穏やかで、緩やかな笑顔を向ける。
「今日は、別の先生」
「先生?」
不審者を見るような目が、急に尊敬の眼差しに変わった。
何だ、先生とは。
「ほら、サラ、こっち来て、子供たちに教えて。みんな、今日の玩具は新しいよー」
フィルリーネが、持っていた肩がけのカバンから、木の破片をいくつか出すと、子供たちが一斉に群がってくる。各々座り込んで、木札とフィルリーネの周りを囲んだ。
「地図だ」
「そうよ。マットル。前に話していた、新しい地図。みんなで街や村の名前を覚えましょう」
フィルリーネが出したのは、この王都の土地の地図らしく、木札を合わせると大きくなった。穴が開いたところに看板のような木片と、簡単に作られた、家の絵が描かれた木札が置かれた。
「この国の名前は、知ってるかなー」
「グングナルド!」
「じゃあ、グングナルドは、どうやって書くのかしら?」
フィルリーネが、文字の描かれた木札を、いくつも出す。子供たちはそれを選んで、綴りを探した。真剣に探しはじめる子供たちを、微笑ましいと見つめている。
子供たちはやいのやいのと揉めながら探した。マットルが何かを言いたそうにしたが、フィルリーネが口元に人差し指を当てて、片目を瞑った。言うなという仕草だ。
「さあ、どうかな。合ってるかな」
「こうだよ。こう。こう」
「ええ、こっちだよ」
「それじゃ、先生に答えをもらいましょ。サラ、正解を教えて」
いきなり声を掛けられて面食らったが、フィルリーネは首で間違いを指摘するように促してくる。綴りは一つだけ間違っており、別の木札をそこに置いた。
「サラ先生の正解は、こちらです」
「えー、違ったー」
「でも、途中まであってたね。偉いわ。グングナルドの綴りは難しいもの。こんなに覚えてるなんてすごいわよ。じゃあ、次に行きましょ。この王都は、この地図のここに位置します。さて、王都の名前はダリュンベリ。難しいわよー。この綴りは、どう書くの!?」
言った途端に、子供たちが木札へ手を伸ばす。まだ三歳にも満たないような子供も、率先して木札を選んだ。探している間にフィルリーネはマットルを呼ぶと、別の玩具のことを話しはじめる。
「フィリィ姉ちゃん、これ、ちょっと汚れちゃって。みんなで遊んでたから」
「いいのよ。ちゃんと遊べた?」
「うん。ただ水の中で遊ぶから、何かべとべとしちゃって」
マットルは、その水気を含みすぎてカビたような跡のある木札を、木箱から取り出す。泣きそうな顔をしていたが、フィルリーネはふんわりと笑いながら、頭を撫でてやった。
「こんなに遊んでくれて嬉しいわ。でも、水に濡れると、やっぱり汚くなっちゃうわねー。何か塗って、水を含まないようにしなきゃ、ダメね。ありがとう、マットル。これで改善点が見えたわ」
「平気?」
「平気よ。この玩具はどう? 面白かった?」
「面白かった! みんな楽しんでた!」
マットルの言葉に、フィルリーネは口元を綻ばせる。そうしながら子供たちに向いて、綴りを見遣ると、すぐにこちらへ視線を変えた。教えろということだ。来たからには手伝わせるつもりだったようだ。
毒気を抜かれて、フィルリーネの様子を伺っていると、ほとんど聖女のように見えてきた。その変貌ぶりは、呆気にとられるしかない。
フィルリーネはマットルと話しながらも、次の村に家を置いて、村の名前を言う。綴りは何かと問うて、それをいくつも行なった。
王都付近の地図で街や村を教えると、フィルリーネはそれを片付け、子供たちを連れて市場への道を進む。子供たちはフィルリーネにまとわりついて、楽しそうに話をしていた。
「はい。今日はこれを三つ。これを二つ買います。数字は読めるわね? さあ、いくらになるかしら」
子供たちが、再び元気よく数字を言いはじめる。それの答えを言うとお金を出して、お釣りを計算させた。
フィルリーネは教えることに慣れている。子供たちもその教えに慣れ、当たり前のように答えて、褒美の果物を手に入れていた。それが終了の合図なのだと、フィルリーネは子供たちに手を振って、別れを告げる。
「サラ、次行くわよ」
「は、」
子供たちと別れると、市場から離れて別の道へと入った。人通りが多く、遠くに城壁門が見える。それを背にして、フィルリーネは少しだけ服装が小綺麗な者たちの歩む区域へと進んだ。
「バルノルジさん、こんにちは」
「よう、久し振り……。珍しいな、連れか」
「ただの見学です。お気になさらず」
いかにも兵士上がりの男に、フィルリーネは敬語を使って、我が物顔で男の隣に座る。空いている席に自分に座るよう促して、気にせず話しはじめた。
「はいはい、見てください。新しいですよー」
「ああ、できたのか」
「魔獣の木札は、まだ作ってないです。単純なものですけど、子供たちは喜んでくれました」
「街に村か。城だけ分かるようにしていて、この屋根の違いで街と村か。考えたな。木なんかもあって、川。うん、これで王都か。これもパズルだから、何でも組み立てる感じだな」
バルノルジは玩具を端から端まで細かく確認し、フィルリーネが説明していく。
「第二都市では、カサダリアの地図が量産されてます。それには、魔獣入れられますよ」
「そっちは、ないのか?」
「今日は、子供たちに遊んでもらうために、王都のを急遽作ったんで。ございませぬ。ご購入していただきたいです」
「カサダリアはなあ」
「なので、これができたら、こっちで権利売りますから」
「本当か!?」
バルノルジは商人のようで、フィルリーネと商売の話をしはじめた。何の商品が王都では売れていて、何が伸び悩んできているのか、細かく意見を言ってくる。それを、フィルリーネは真面目な顔で頷きながら、詳細に問うたりしていた。
余程親しいのか、フィルリーネ王女の頭を撫でたことに、内心こちらが緊張した。商人ごときが撫でる頭でない。無礼さを気にもせず、フィルリーネは屈託無く笑い、指摘された部分を、持っていた携帯筆記具で紙に記す。
フィルリーネ王女とは思えない格好と、話し方。それが、今見ていると当たり前のようで、目の前にいる王女は、似た顔の別人とさえ思えてきた。
「カサダリアの貴族相手には色を付けますし、もっと分かりやすいですよ。これはちょっと時間なくて、適当に作ってるところはあります」
「こちらも、貴族を相手に考えたいな。模型としても、出来がよければ、飾りになる。小さいところがいいからな。もっと細かくしてほしいところだが、原価を考えれば、妥当なものだろう」
「細かいのは特注で作ってます。もう、大変」
「特注で、別の物を作ってるのか?」
「大口顧客ですよ。急いで作らないとなんですけど、時間がなくてー。早くしなきゃいけないから、頑張りますけどね!」
フィルリーネは机に突っ伏したかと思うと、ガバリと起き上がって、両拳を握りしめる。
これが、あの高飛車なフィルリーネ王女なのだろうか。驚きすぎて声も出ない。
「あと、別件で、ラータニアの話。まず、間違いないです」
急にフィルリーネが小声になった。バルノルジも内容が分かっているようで、フィルリーネへ耳をそば立てるように、背中をかがめた。
ラータニアの話を、なぜ商人とするのか。口を挟まず聞いていると、フィルリーネはラグアルガの谷の話を伝える。ラータニアに繋がる谷の話だ。
「詳しくは話せませんけど、洞窟内で用意をしているみたいです。今調べてもらってるんですけど、準備は着々ってとこですね。半年後の婚姻後、すぐに動くのだと思いますけど」
「物騒だな。こちらでも注視はする。隊長も気にされていた。今度、討伐に出られるそうだ。魔獣が増えているからな。俺たちも、また行うつもりだ」
「え、じゃあ、予定合えば、また行きますよ」
「そうしてくれると、ありがたい」
話を聞いていると、問いたくなることが幾つも出てくる。しかし、余計なことは言えない。
フィルリーネ王女が、城にいる自分の知っている王女ならば口を出したかもしれないが、この目の前にいるフィリィは、考えのある女性だった。倍以上の年であろうバルノルジが、王女の情報を聞き漏らさないように耳を傾けている。
それにしても、討伐の話をしていて、フィルリーネ王女が行くと言うのは、どういうことなのか。それについては問いたかった。騎士でも連れていくという意味なのか。
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