第107話 城の外

「人型の精霊を使って、街に出ていたのですか」


 サラディカは一人、ルヴィアーレに呼ばれ、フィルリーネの話を耳にして愕然とした。

 にわかには信じられない話だ。ルヴィアーレは特に表情を変えるでもなく、サラディカにのみ、その話をした。


「全く、その様には……」

 フィルリーネの異質に気付いていたのは、ルヴィアーレだけだ。

 他の者たちは、頭の悪い我が儘な王女という印象でしかない。しかし、ルヴィアーレはここしばらく、フィルリーネの動向を調べるように、自分たちに命じていた。


「お前だけには話しておく。王女が何を考えて性格を偽ってきたのか、全てが分かっていない今、不用意に話す必要はない」

 イアーナなどに伝えては、本人を目の前に顔に出して訝しがるだろう。それが、想像つく。

 ルヴィアーレは胸元から紙片を取り出すと、メロニオルを使うように言った。


「昼食後、鐘が鳴る時に、この場所にいるようにせよ」

「承知致しました」


 渡された地図は、街の一部を記しただけで、細かい物ではなかった。

 メロニオルは、それとは別の地図をよこし、城から出るための手はずを整えてくれた。メロニオルがフィルリーネの手の者だとは到底信じられなかったが、フィルリーネからの依頼だと言えば、何を問うでもなく頷いて、準備をした。


「お前を選んだのはアシュタルだと聞いていたが、アシュタルもそうなるのか」

 フィルリーネの名を出さずにそう呟くと、メロニオルは言質を取られないようにか、無言で先へ進む。

 ルヴィアーレはメロニオルを重宝していた。フィルリーネの周囲の者たちを見ていれば、メロニオルのようなまともな者もいるのだと、安堵したくらいだ。しかし、それがその王女からの手だと思うと、心境は複雑である。


「彼の方と、直接お話ししたことはありません。ですが、彼の方は周囲に危険が及ぶ場合、必ず手を打とうとする方だと知り得ました。ただ、それだけです」

 ルヴィアーレも言っていた、危険を何でもないこととして伝える癖。

 メロニオルも同じことを言うとなると、なぜそれに気付けなかったのか、自分の力量のなさが悔やまれる。

 それを言うと、メロニオルは、直属の上司を助けていただいたので、と小さな声で言った。


 渡された騎士のマントを羽織るように言われ、服の隠し場所も指定された。城の中でも特に人の少ない場所で、倉庫のようなその部屋で、マントを変える。眼鏡を外すように言われて、それを袖に隠すと、メロニオルは城の外へ出るための道を進んだ。


 城は高層だ。階下に行くと、地面からの熱で、じりじりと焼ける気がする。建物の日陰に入るとひんやりとしたが、近くに水路があるのに気付いた。細い水路は、建物の下を潜り、街まで流れているらしい。ずい道は仄かな灯火があったが全体的に薄暗く、少し進むと野原のような場所に出て、その先に小さな門が見えた。


「メロニオルさん。お出掛けですか?」

「いや、俺じゃない。こちらの方だ。本日中に戻られるから、よろしく頼む」

 声を掛けてきた門兵はこちらを見遣ったが、すぐに頷いて、扉のような門を開く。


「このまま真っ直ぐに行くと、街の裏道に出ます。お気を付けください」

 メロニオルはここまでだと、自分を見送った。

 一人しかいない兵は、メロニオルを随分と信用しているようだ。マントを羽織っているだけで簡単に外に出られるとは、拍子抜けする。


 メロニオルが追記したフィルリーネの地図を見て、目的地へと進んだ。街から城を見るのは初めてで、見上げた城の規模と大きさに、圧倒されそうになる。自分たちは、あの城の、ほんの一部しか移動していない。


「広いな……」

 ラータニアとは全く違う。街の規模も、当然のようにラータニアとは比べものにならない広大さのようだった。

 記された通りに、東部地区へと向かう。そちらに向かうだけでも、かなりの距離があるようだ。空には見慣れない小型艇が飛んでいるのが見えた。

 街は大国の首都だけあって、人の通りが多く、賑やかさが目立った。イアーナがいれば、何にでも声を上げるのが目に浮かぶ。


 やっと辿り着いた東部地区。フィルリーネの地図の場所へ向かう。東部地区は少しばかり寂れているところもあるか、住宅や歩く者たちの生活水準が低いように思えた。

 こんな場所で、王女ともあろう者が、一体何をしていると言うのか。

 部屋に籠もり、何をしているのかと思えば、街や外にいることもあると言う。そこで、一体何をするのか、簡単には想像し難い。


 辿り着いた地図の目的地には、誰もいない。何かの扉があったが鎖がかけられており、鍵が錆びて出入りできる扉ではなかった。ここから来るわけではなさそうだ。

 遠くで鐘が鳴る音がする。城の鐘が鳴り響くと、街の鐘が続いて鳴り響いた。


「その服では、目立ちすぎるわよ」

 ふいに届いた声にぎくりとして、サラディカは振り向いた。行き止まりの道に、誰の気配もなかったはずが、扉の前でフードを被った一人の少女が、佇んでいたのだ。


「その格好ではダメよ。そこで待っていらっしゃい。服を買ってくる」

 少女は自分を通り越して、人気のある道へと向かおうとする。フードの中の金髪が誰のものなのか分かっていても、普段と違う雰囲気に、面食らった。


「あ、いえ、」

「そこで待ってなさい」

「……はい」

 ぴしゃりと言われ、追い駆けようとした足をすぐに止めた。


 フィルリーネの服装は、街の民に合わせた物で、いつもの足元を隠すほどのドレスではなく、膝下のスカートにタイツと靴を履き、淡い灰黄色のフードを被っていた。

 いつもよりずっと幼く見えるのは、格好のせいだろうか。コートから金の髪が揺れていたが、後ろで結んでいるのだろう。尻尾のように首元から垂れていて、歩むとその金の髪がふわりと揺れた。


「はい、これ着て。あっちで」

 少しして、すぐ戻ってきたフィルリーネから渡された服は、街の人間が着るもので、焦げ茶色のズボンと白のチュニックだった。

 あっちで着替えろと言われて指差された方向を見たが、ただの行き止まりの路地だ。もう一度フィルリーネを見ると、後ろを向いて、角を曲がるところだった。有無を言わさぬ姿勢である。


 しかし、変装をしたフィルリーネ王女と共に歩くのに、騎士のマントを被っているわけにもいかない。言われた通り、すぐに通りで着替えるが、こんなこと、初めての体験だ。野営で水浴びをするわけではなく、街の道である。その道で着替えるとは、思わなかった。

 しかも、脱いだ服は布をふんだんに使っているので、折りたたんでも量がある。


「終わった? これに入れて、持って」

 袋まで用意していたらしい、フィルリーネは肩にかけられる麻袋を渡してくる。汚れないように別の布に包むよう言われて、何だか肩の力が抜ける。汚れを気にして、従者に気を遣う王女など、想像がつかない。


「私の名前は、フィリィね」

「……承知しました」

「くだけた話し方をしなさい。あとは黙っといて。余計なことを話さないように」


 フィルリーネは言うだけ言って、路地裏から出て行く。人混みをすり抜けて、街並みを眺めるようにしながら、しかし、迷うことなく進んだ。


「街って、来たことあった?」

「いえ、来るのは初めてです。城から出ることはありませんから」

「その話し方やめて。敬語いらない」


 人に注意をしながら、王女とも思えない話し方をしてくる。あの高飛車なフィルリーネ王女が、あっち行くよ。と指差しながら、人を先導した。街にいるのが当たり前のように、市場へと進んでいく。


「サラ、でいいわよね?」

「は……?」

 言われて、自分の名前を呼ばれたと気付き、すぐに頷く。

 フィルリーネはもう一度、余計なことを話さないでよ。と同じことを口にして、果物を売る女性に話しかけた。


「こんにちはー。今日、何あります?」

「いらっしゃい、フィリィちゃん。今日はねえ、あんまりいい果物がなくてね」

「商品、減ってるんですか? 今まだ、果物が採れないわけじゃないのに」

「少しずつ減ってきているよ。やっぱり、女王様がそろそろって話は、本当なのかねえ」


 女性の心配げな声に、フィルリーネは唸りながら商品を見る。種類は少なく、あまり鮮度が良くないように思える。フィルリーネはいくつかを取っておいてほしいと言って、店から離れた。


「あのようなところで、果物を買われるのですか?」

「言葉遣い」

 間髪入れず言われて、口籠もりそうになる。王女相手に敬語なしは、意識していても難しい。


「女王様の体調が良くないからだろうけど、野菜や果物があまり良く採れないみたいなんだよね。森で魔獣が増えていたこともあるし。前より増えてるかもなあ。討伐の話あるか聞いて。あ、あっちだよ」


 フィルリーネは他の店の商品を眺めながら、渋い顔をする。売っている物を確認し、街の商品の状況を見ているのだ。そうして市場から、別の路地へと進み、日陰で妙な匂いのする、汚らしい場所へ足を進めた。


 どこへ行くのか。間違っても、王女が入り込む道ではなかった。

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