第104話 ヘライーヌ3

「中々お戻りにならなかったので、こちらで待たせていただきました」


 無表情でありながら、その美しい青銀の瞳は、フィルリーネとその後ろにいるエレディナを捉えていた。


 ごくりと喉が鳴った。結界は新しくした。罠をかけるように、魔法陣も変更した。扉を見れば間違いなく魔法陣は起動した後で、描かれた絵が仄かにその色で光っている。けれど、その魔法陣は起動しながらも、別の魔導で抑えられていた。


「珍しい者を、供にされているのですね」

 静かでいて、内耳に響く声音が、肌を粟立てた。


 入る者の足を、ほんの少しの時間、止める魔法陣だった。一瞬でも、足は止めたはずだ。

 その時に、侵入を知らせる魔法陣が起動するはずだったのに、それだけが封じられている。


 魔導の力の強さはどうしようもない。あまりに強い力を使い、自分の能力を気付かれたくない。だから、魔導は弱めにしてある。けれど、足を止める魔法陣に気を取られるように、隠して描いた魔法陣だ。簡単に気付かれないように描き、それを絵の中に隠した。


 それなのに。


「魔法陣を増やされるとは思いませんでした。魔導は弱いままですが、いくつかの魔法陣を重ねる腕は、素晴らしいですね」

 褒めているが、それを封じたのはこの男だ。

 ルヴィアーレは持っていた本をぱたりと閉じると、するりと立ち上がった。


「……わたくしに、何かご用かしら」


 部屋に入り込んだとしても、留まることは想定していなかった。

 入られたとしても、勝手に入って、勝手に出ればいいと思っていたからだ。

 部屋に散らばる物は、目に見えないように隠してある。調べても出ないようにはした。家探しでも勝手にすればいい。

 戻っても、自分の格好が王女のそれではない。着替えている暇までは作れないので、ただ侵入を知らせるだけの、警報でしかなかった。


 なのに、ルヴィアーレは留まり、わざわざフィルリーネが戻ってくるのを待っていた。直接話をしたがるとは思わなかった。


「こちらでは見ない、多くの精霊を従えていらっしゃったので、何事があったのかと」

 精霊たちが、周囲でぶおんばおん言ってきた時を見られていたか。それならば、何かと思うのは当然だ。この城であの多さの精霊を見ることはまずない。


「どちらで、何を?」

「あなたに、お話しする必要があって? ……着替えます。外に出ていらっしゃって」


 フィルリーネは持っていた布を、近くの机に置いた。さすがにこの部屋で攻撃はしてこないと思うが、手は空けておきたい。

 そう思った時だった。エレディナが何かに気付いて顔を上げた。何かの気配を感じたようだ。


「爆弾娘が、外で揉めてる」


 こんな時に、ヘライーヌがこちらの部屋に近付いている。洞窟の件で、結果を知ったら話すと言っていたが、ヘライーヌにはこちらから訪ねると言ってあった。それなのに、ヘライーヌはこの棟に来ているようだ。

 フィルリーネは舌打ちした。ルヴィアーレにヘライーヌなど、相手にしていられない。


「後ろを向け!」

 急な命令口調に、ルヴィアーレがピクリと片眉を上げる。そんなことどうでもいいと、服をまくり上げながら、フィルリーネはもう一度怒鳴った。


「さっさと向け! エレディナ、ヘライーヌを黙らせて」

「分かった」


 エレディナはすぐに姿を消す。ヘライーヌの頭に直接語りかけるためだ。ルヴィアーレはエレディナの姿が消えると、横目で見ながら扉の方へ向いた。フィルリーネはすぐに服を脱ぎ捨てると、王女の服に着替え直す。


 まったく、最悪だ。ルヴィアーレはともかく、ヘライーヌがこの部屋に来るのは問題外だった。関わりに疑念を持たれたら、どうするつもりなのか。

 ばん、と大仰な音を立てて扉を開いて、フィルリーネはルヴィアーレを睨みつける。


「さっさと、お出になって」

 ルヴィアーレは一度目を眇めて見せたが、そのままフィルリーネが押さえた扉を出て行く。その後を追うように、すぐに扉を閉めて、ルヴィアーレが抑えた魔法陣を消した。それを無言で見ているが、ルヴィアーレの対応は後だ。


「どなたか、いらっしゃいましたか」

「今日は、厄日ですわ」


 さっきまでるんるんだった、私のこの気持ちをどうしてくれる。台無しだわ。

 いっそ言いたかったが、フィルリーネが部屋から出て廊下に出ると、ルヴィアーレと一緒に出てきたフィルリーネに驚きながら、怯えを見せたレミアが寄ってくるのを見た。


「フィルリーネ様、魔導院研究員の、子供のような顔をした方が、フィルリーネ様の面会を求め…」

「ああ、姫さん。いたいた」


 レミアが言う前に、ヘライーヌが警備騎士に囲まれながら廊下を歩いてくる。警備騎士たちは何をしているのか。魔導院研究員とはいえ、王女の棟に入り込む者を、なぜ捕えないのか。ここまで使えない警備とは、片腹痛い。


「何かご用?」

「いいこと、いいこと」


 悪びれもないヘライーヌが、にやりと笑った。また相変わらず、顔色が悪い。あの後、ちゃんと眠ったのか。ヘライーヌは嬉しそうに口端を上げたまま、ルヴィアーレに視線を変える。


「王子さんも来る?」

「いりません」

「あらら、じゃあ、行こ、行こ」


 ヘライーヌは誘っていてもどうでもいいようだ。すぐに踵を返して歩もうとしたが、ルヴィアーレが、すぐに返答する。

「お供致します」


 そこで笑顔を向けるこの男に、殺意を持っていいだろうか。サラディカたちも既にルヴィアーレについていて、何事かと付いてくる気満々だ。


「だってさ、姫さん」

「ヘライーヌ」

 これ以上面倒をされては困る。フィルリーネの細めた眼力に、ヘライーヌは肩を軽く竦めた。

「はいはい、分かってるってば。わたしの研究所ね」


 言って、とろとろと歩きはじめた。フィルリーネがその後をついたが、当たり前のようにルヴィアーレも付いてくる。ここで揉めて。ヘライーヌが面倒を言っても困る。内心舌打ちしながら、その後を付いた。


 ヘライーヌはとろとろ歩きのまま、魔導院へと進む。研究所に行くまでに、魔導院の者たちがこちらを驚くように見ていた。そこにイムレスもいる。ニーガラッツはいない。それでも後で耳に入るだろう。何か考えなければならない。


「はいはい。ほら、誰もいない」

 扉を開いたヘライーヌの研究所に、誰もいないといいながら、植物研究員のオゼが大きな口を開けて悲鳴を上げた。どこに誰もいないと言うのか、頭が痛い。


「ひ、フィルリーネ姫!? ぼ、ぼぼぼ、僕はこれで」

 フィルリーネを見た途端、オゼは飛び跳ねるように身体を仰け反らせると、壁にすり寄って部屋を出て行こうとする。そのオゼの着た白衣を、ヘライーヌははっしと掴んだ。


「ダメだよ。協力してくれたんだし。紹介、紹介」

「ひいいっ。も、申し訳ございません! フィルリーネ姫がいらっしゃるとは知らず!」


 怯えたオゼは、何が何だか分かっていないだろうが、とりあえず謝って、焦げ茶色のさらさらの髪と丸い顔を隠す。それもどうでもいいと、フィルリーネはルヴィアーレをきつく睨んだ。

「ルヴィアーレ様、他の者は、お部屋の外に」


 その言葉に、イアーナが噛み付かんばかりの歪み顔を見せたが、ルヴィアーレは顎だけで示すと、サラディカが頭を下げて、後ろの騎士たちを連れて行った。メロニオルもいたが、小さく頭を下げ、部屋から出て行く。メロニオルはフィルリーネの警備騎士も連れて行った。


 出て行くと、すぐに魔法陣が起動する。外に声が漏れなくなり、四人だけになった。


「躾けられてるねえ」

 ヘライーヌが感心したように言うが、そんなことはどうでもいい。

「それで?」

 ヘライーヌに向き直すと、ヘライーヌは自分の椅子に座り、足をかけて丸くなる。その格好が好きらしい。


「姫さんが言ってるのって、魔獣だけ? それとも、精霊の話?」

「どちらもよ」

「精霊については知らないよ。姿見れるの捕まえたのかなって思ってた。闇の精霊以外に、そんなのいるなんて聞いたことないけどさ。やっぱ、あれは変なの?」


 ヘライーヌは洞窟に行った時からいたと証言する。精霊については無関係らしい。ちょっと魔獣っぽいところが可愛いとか、どうでもいい意見を言ってくる。


「魔獣は、わたしの薬かな。研究でオゼと作ったやつだったんだけどさ、洞窟では精霊を増やすためって言われてたんだよね。でも、やっぱ違ったみたい」

「違ったで済むと思うの?」

「ひやあああっ!」


 エレディナが姿を現した。途端、オゼが甲高い声で悲鳴を上げ、壁にぺったりくっついた。ヘライーヌは気にせず、会話を続ける。


「オゼが作った植物を成長させる薬、いじっただけだもん」

「ぼ、ぼぼ、僕の作った薬は、植物が成長しやすくなるだけですっ!」

「知っているわよ。その研究を進めさせたのは私だわ。地方が危険なのは、聞いているのでしょう」


 フィルリーネの言葉に、オゼが震えながらも困惑顔を見せる。何を言っているのか、理解が追いつかないらしい。


「精霊がいなくなっても地方の人間が飢えないように、植物を成長させるものを作らせるのは、もしもの時のためよ。地方から精霊が移動されていることに関して、お前たちが関わっていないのは分かっている。それは昔から行われているから。だからあの精霊は、別の人間が作ったのでしょう」

「多分、おじーちゃん」

「でしょうね」


 魔導院院長ニーガラッツも研究者だ。だが、あんな禍々しい交配を行うなど、まともな考え方を持つ者にはできない。精霊を軽んじるだけでなく、マリオンネからどんな罰が与えられるかも分からない。


 それを、王は良しとしてきたのだ。

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