第103話 ヘライーヌ2
「逃げた精霊を、この洞窟に送っているかもしれない。中で実験を行い、精霊と魔獣を混ぜ合わせたものがいた。それから、巨大化した魔獣」
「実験を行うって話だったが、そこだったのか。思った以上に物騒だな」
「巨大化させただけでは終わらないと思う。どこかで魔獣を使うでしょう。試しに動かすとしたら……」
ニュアオーマは谷の先を描く。ラータニアに入るまで谷は深く、巨大な魔獣を谷から出すのは難しい。試しに戦わせるのは難しそうだ。
「ここは、立ち入りが禁止されてるんだよ。ラータニアに続くからな。ラグアルガの谷に門がある。国境門と同じ壁があるんだが、そこを突破させるなら、試す場所なんてない。逆に行くしかないぞ。試さずにやるんじゃないのか? そんなことより、三匹で済むのか?」
不吉なことを言ってくれる。しかし、その可能性もあった。ドミニアンが薬だけで巨大化するのか、それとも精霊が必要なのか、何か別の物が必要で、さらに増やすことができるのかは、重要な問題だ。
「そこは確認するわ。もし、短時間で巨大化できた場合、ドミニアンを捕らえておけば、簡単にラータニアを混乱させることができるでしょう」
ただ、自然に生きるドミニアンを確保する必要はあり、それを自由に扱うことはできないだろう。放てば放った者にも危険が及ぶ。
「混乱だけであれば、巨大化したドミニアンは適当だな。そうなると斥候じゃないか? ラータニアの首都はここから離れている。そもそも、ラータニアに入るには、国同士の結界を壊さんとなあ」
ニュアオーマの言葉に、フィルリーネは頷く。国境には精霊の結界がある。許可証を持たない航空艇と、武器使用を伴った兵士の行き来を拒む結界だ。
「ビスブレッド国境門。ここに砦。国の結界を破壊するならば、航空艇を使うでしょう。上空からの破壊、谷からの破壊。他にも考えているかもしれない。斥候とするならば、谷以外にもいくつか結界を破壊して、砦より航空艇で入り込むことが考えられる」
「派手だねえ。これは相当な戦力が必要になるぞ。国として兵を赴かせるならやれるかもしれんが、これは魔導院の一部が動いてんだろ? それなりに人数はいるだろうが、相当考えて戦わんと、ラータニアがいくら小国でも、難しいわなあ」
王が何を望んでいるか分からない限り、どんな戦いにするかも分からない。ただ、イムレスの考える通り、浮島のみを望むのならば、混乱をさせてから浮島を狙う。航空艇は必要だ。
「ラータニアの浮島は、グングナルドから南西だったな。南部から入れば、別にでかい航空艇はいらんだろう? 小型艇が通れるような大きさの破壊でいける。ビスブレッドで混乱させて、南部から入るんじゃないのか」
ニュアオーマは、ビスブレッド国境門近くの砦から、航空艇でラータニアを攻撃し、その隙に南部から侵入する可能性が高いことを示唆した。確かに、その方が可能性は高い。
ビスブレッド国境門のあるイニテュレ地方に、王の手によって兵士が増やされていることは、ラータニアにも知られているだろう。そこから攻撃してくると、ラータニアも考えているはずだ。
「けどなあ、浮島に行って、どうするんだ? 奪えば、それでいいのか? 占拠するとしても、何をしたいのか分からんぞ」
フィルリーネは分かっていると呟く。どれだけ証拠を集めても、結局、王が何を望んでいるのか分からないのだ。秘密裏に研究や実験を行なう。それが事実でも、何を求めて行なっているのか。
「ただ、事実があるだけなのよ。理由は、何もかも、想像に過ぎない」
「動いてるのは、間違いないってんだろ。それは、こっちも分かっている」
しかし、ニュアオーマも、なぜ王が動いているのかが分からないのだと言った。動いている事実だけ。ラータニアに何かをしようとしていても、国を乗っ取りたいのだろうとしか言いようがない。
「この洞窟は、こっちで調べといた方がいいっつうことだな」
「中に入るのは、危険だわ」
「周囲を調べてほしいんだろう? どうやって動くのか」
フィルリーネは頷く。巨大化する魔獣がおり、交配された精霊とも魔獣とも言えないものがいる。ラグアルガの谷から何かをするのは、間違いなかった。
「ハルディオラ様は、王を糾弾するつもりも、国を乗っ取るつもりもなかったのに、王からすると信じられないもんだったのかね。姫は魔導が強いから分からんか」
魔導が弱ければ、それに同感しただろうか? フィルリーネは、そうは思わない。できぬのならば、努力をするか、身を引くしかないだろう。
「引け目を感じているのならば、その座から降りればいいだけよ。担う力もないくせに、その席に座ろうなどと、おこがましい真似をする程度の者が、精霊をまとめられると思って?」
「厳しいね。姫さんは、ハルディオラ様より攻撃的だな。……まあ、それも当然か」
ニュアオーマはのっそりと立ち上がる。いつも通りの猫背で、首をコキリと鳴らした。
「ラータニアの婚約者はどうなのよ。ラータニアとの繋ぎが消されてるのは間違いないから、婚約者さんも困ってんじゃない?」
「知らないけど」
「姫さん、婚約者に冷たいな。そこから何か情報取れないのかよ」
「ルヴィアーレは私に警戒しているから、無理よ」
欲しいのは山々だが、ルヴィアーレに話したからといって、彼がこちらの仲間になるかの勝算がない。向こうが何を質に取られて、この国に来たかも分かっていないのだから。
「何にも分からないのかよ」
「血の繋がらない姪を大切にしているから、早く帰りたいってとこくらいかしら。これが終わったら、さっさと帰ってもらうわ」
「そんな噂、聞いたけどな。優秀なんだろ?」
「癖があります」
「あんたに言われてもな」
余計なお世話である。ニュアオーマはフィルリーネに背を向けると、ゆっくり歩き出した。
「あんたを見てると、ハルディオラ様を思い出すよ。あの方は、よく兵の格好してうろついてたからな」
「知ってるわ」
だから、自分も同じことをしている。街の外は、人から聞く話と全く違う。自ら見て確認することが、一番早く、分かり易かった。
「……姫さんは、気を付けてくれよ。あんな思いは、二度としたくない」
後ろ向きのまま、ニュアオーマは手を振ると、旧市街を出て行った。
『あいつ、いいやつ』
ヨシュアが頭の中で呟いた。そのまま気配を消したので、ニュアオーマについて行ったのだろう。
ヨシュアはニュアオーマに懐いたようなので、情報を得るついでに、何かと手伝いをしているらしい。ヨシュアは素直に言うことを聞くので、ニュアオーマは意外と重宝しているようだ。ただ、時折うるさいのは否めないとか。まあね。
子供たちは集まって、玩具を使って遊んでいる。最近玩具を作る暇がないので、前に持ってきた物を渡していた。水の上に浮くパズルの玩具だ。今模型を作っているので、子供たち用の玩具作りが行えない。そして目下必要なのは、カサダリアの聖堂で使うための、布製の玩具の材料である。
「材料買いに行くぞ。マットル〜、それ使い終わったら、マットル持っててくれる〜?」
「分かったー」
マットルの返事を聞いて、フィルリーネは旧市街を出た。裁縫道具はあるけれど、布と糸が足りない。
たくさん買って、作るぞ、やっほい。
東部地区に入り、目的の店に一直線だ。布を扱うお店は多いのだが、種類を豊富に置いている店は一つしかない。高級街に近い、布や服が多く売っている地区へ進む。
あまり来ることのない布屋の店に入ると、店員の女性が近付いてきた。
「いらっしゃい。何をお探しかしら」
「単色で、柔らかい布を探してるんですが」
高級街に近いので。赤ちゃん用の布でも色付きを多く扱っている。高級街にある布屋だと予算を超えてしまうので、そこまで高級な布は必要ない。ただ、口に入れることも考え、肌着のような柔らかい布を探す。棒状に丸められた布を端から見て、いくつかの色を選んだ。
「結構。量あるけれど、持てるのかしら?」
「大丈夫です。カバンに入る」
「入る……、かしらね」
肩がけのカバンに丸めて入れると、カバンから筒状の布が幾つも飛び出した。肩にかけるのは難しそうだ。仕方なく、抱きかかえて店を出る。
「んふふー。次は、糸〜」
『先に、糸買えば良かったんじゃないの?』
エレディナからの突っ込みに、鼻歌で返す。
布が欲しすぎて、先に布屋さんに行っちゃったんだよ。ご愛嬌だよ。
次は裁縫具屋である。店は手芸関係で固まって並んでいるので、すぐそこだ。近くの店に入り、布に似たような色を幾つか購入した。念の為、刺繍糸も買っておく。お店の人に、糸をカバンの隙間に突っ込んでもらい、店を出た。
『ご機嫌ね』
そりゃそうだよ。新しい玩具作りだよ。楽しみ。楽しみ。
子供たちにも会えたし、久し振りの癒しを堪能したよ。元気になれたね。最近色々あって、神経すり減ってるからね。お買い物は楽しいねえ。
フィルリーネは人通りを確認しながら、戻る道を行く。荷物を抱えながら、道並みをきょろきょろ眺め、いつもの人の通りのない行き止まりの道へと歩んだ。レンガでできた壁に突き当たって左手に逸れると、行き止まりとなる。下水に入るための扉があるが、錆びた鎖で鍵が閉まり、長く使われていないことが分かる。
いつもこの場所に降り立ち、街を行き来しているのだ。
エレディナの伸ばされた手に触れられないので、エレディナが後ろから肩を掴む。そうして、このまま移動するのだ。
「そんなに買ってさー。あの部屋、またごみだらけになるじゃない」
「ごみじゃないです。私の大切な素材ちゃんたちがだな」
「何が素材ちゃんよ。掃除しなさいよ。掃除。整理整頓!」
「してるよ! ちゃんと並べてるし、掃除してるし!」
「今度は布クズだらけになるわけだわー」
「何を。これから楽しいお裁縫時間で、」
言う途中、エレディナの移動によって辿り着いた自分の部屋の中、フィルリーネはソファーにいる人影を見て、ギクリとした。
「————わたくしの部屋で、何をされているの」
かすれるような声が、かろうじて喉から発せられる。
窓からの光で、ほのかに明るいフィルリーネの部屋の中、ソファーでくつろぐように本を手にしながら座るルヴィアーレが、その銀の髪を揺らして、ゆっくりと顔を上げた。
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