第99話 書庫2

「あちらは?」

 ルヴィアーレは、別のガラスで仕切られた小部屋で、野菜のような植物に水を与えている男性を見遣った。


「食物の研究です。精霊が減っても、何とかする方法はないかと。予算が少ないので、殆ど研究員の趣味ですよ」

 イムレスがガラスを叩いて、扉を開けさせる。中から出てきた男は、気後れするように、きょろきょろとイムレスとルヴィアーレを交互に見た。


「オゼと申します。オゼ、フィルリーネ様のご婚約者の、ルヴィアーレ様だよ」

 イムレスが紹介すると、オゼは丸くなった背中を仰け反らせるようにして驚いた。そして、すぐに怯えるように、小さくなる。イムレスが研究の説明をするように言うと、どもりながら、あわあわ言った。


「え、ええ、栄養剤の研究と、種の強化をしております。せ、精霊に、祝福されない土地でも、食物が育てられるか、研究していて。イムレス様の、ご協力いただいてて、街の人がしし、食料に困らないような、体制がとれ、とれればと」

「研究は、個々でやっている者が多いのです。指針のある研究もあれば、個人で新しい研究もできるようになっておりますから」


 恐縮しすぎているオゼは話し下手のようで、すぐに俯いてしまった。イムレスは軽く笑むと、研究に戻るように言う。

 イムレスは説明をしながら、植物園を歩いた。植物園の案内だけで、時間が掛かる。他の研究所へと案内するために、移動式魔法陣を使用して、上の階へ移動した。


 移動だけでも距離があるため、歩き続けるのが大変だ。至る所に移動式魔法陣があり、それに乗って移動する者が多い。さすがに腐っても大国。規模が違いすぎる。


「あー、イムレスさまー。用あります。待ってー」

 移動式魔法陣から降りると、とろとろと小汚い子供が近寄ってきた。


「ヘライーヌ、今はルヴィアーレ様を案内しているところだよ。急ぎの話かい?」

「ルヴィアーレさま?」

「フィルリーネ様のご婚約者だよ。ラータニア国第二王子であられた、ラータニア国王の弟君だ」


 ヘライーヌと呼ばれた子供は、顔色が悪く、目元が深いクマで覆われていた。声が高めだが、女なのか男なのか分かりにくい。その顔をこちらに向けてきて、どれが王子? と呟いた。


「ヘライーヌ。失礼だよ。急ぎでないなら、後になさい」

「めんどくさいことあって」

「君の面倒臭いは、こちらにも面倒臭いんだけれどね。また、フィルリーネ様の前でいたずらしたとか、言わないだろうね?」

「姫さんは、さっき見たけど、こっち気付いて怒ってきた」

「また、怒られたのかい? 何をしたの」


 イムレスが言うと、ヘライーヌは、えー、と間延びした声を出した。指まで隠れる長い袖で口元を隠して、他所を向く。イムレスは、いたずらをしたのならば、あとでお説教だよ。と小さな子供に言うように叱った。しかし、この場所にいるのならば、魔導院の研究員のはずだ。


「何もしてないよ。ただ姫さん、こっち見て、小汚い格好でうろつくなって言ってた。イムレスさまに注意してもらうって言ってたよ」

「言ってたよ。じゃないよ。それについては、私もフィルリーネ様の意見に賛成だからね。注意されたくなかったら、食事をして眠りなさい。あとで研究室に行くから、それまでにお風呂に入りなさいよ」

「えー」

「えーじゃないよ。必ず行くから、君もちゃんとしなさい」

「きっと、姫さん来るよー。なんか機嫌悪そうだったもん。あと、周りに何かくっ付けてた」


 ヘライーヌの言葉に、イムレスは腕を組むと、小さな頭を睨みつけるようにして見下ろす。ヘライーヌは余所目にして、口を半開きにした。


「姫さん、気付いてないから、大丈夫だよ。普通に歩いてたし」

「君の魔導がとても強力なことは知っているけれど、それが分かるほどであれば、君たちが何かをしたからではないの?」

「それは、わたしはちゃんと知らないから、知らない」

「ヘライーヌ。部屋に戻って食事をして、お風呂に入って待っていなさい。いいね」

「ふわあーい。お説教やだなー。姫さんだけで、じゅうぶんー」

「いいね!」

「ふわわーい」


 返事にもならない声で返して、ヘライーヌはふらふらと戻っていった。イムレスは大きく溜め息をついてから、ルヴィアーレに謝罪する。


「随分と、小さな子供のようですが」

「あれでも十九歳で、研究員の一人ですが、頭のいい子なんですよ。何かと規格外で、何をやるか分かりませんが」


 余程、何かしらやらかしているらしい。イムレスは疲れた顔をして、もう一度ため息を吐く。

 頭がいいとはいえ、あれが研究員とは、この国の基準はどうかしているとしか思えない。まずは教養を身に付けてからの話だろう。

 隣国の王弟を前にして、失礼極まりない。こんなことですら、ラータニアと比較したくなる。躾がなっていない。ルヴィアーレにも不快だろうが。


「周りに何か付けている、とは?」

「見てみないことには何とも言えませんね。フィルリーネ様がいらっしゃるのを待ちます」


 ルヴィアーレはヘライーヌの無礼さには何も言わず、フィルリーネについてを問う。

 案内で忘れがちだが、フィルリーネについてルヴィアーレがどのような判断をしているのか、しっかり確認したい。

 前々よりフィルリーネに警戒しているところがあるとは分かっていたが、危険を知らせていたとなると、また見方が変わってくるのだ。


 ルヴィアーレはイムレスの説明を聞きながら、時に質問をし、案内を受けた。しかし、その後もフィルリーネの話は出ずに、結局魔導院の案内だけで、イムレスとの約束は終えた。





「精霊や魔獣の研究所は、さすがに見せてもらえなかったですね」

「さすがにな」


 ルヴィアーレの部屋に戻るため歩いていると、イアーナは、凄かったなー。という至極単純な感想を言いながら、全てを見させてもらえなかったことを残念がった。

 そんなことより、気になることがあっただろうが。

 こちらにも躾のなっていない単純馬鹿がいることを思い出して、溜め息が出そうになる。


「精霊に頼れぬなら、自ら作るというのは面白い発想だとは思いますが、精霊を軽んじているようにも思えました」

 後ろの王の手下に聞かれないよう、ルヴィアーレにそう言うと、ルヴィアーレは横目で見遣るだけで、すぐに何かを考えるように、腕を組みながら指で顎に触れた。


「できるんですかね、そんなこと。趣味でやってるって、言ってたし」

 イアーナはインチキではないかと軽口をきく。

 オゼは水やりに精を出しているようだが、その水すら濁る想定をしているらしく、水の浄化をどのように行うべきかも研究しているそうだ。しかも、地方の村に住む平民ができるように、想定しているらしい。


 農作業を平民が行なっているのは当然でも、そこに精霊がいなければ成長も遅く、悪くすれば枯れることがある。精霊がいない場合など土すらも死ぬので、全ての死を意味するほどだと思っていたが、この国ではいないことが当たり前に想定されていた。


「精霊がいなくてもいいようになんて、不謹慎じゃないんですかね」

 声がでかいと思いつつも、イアーナの言葉に皆が頷く。ラータニアでそんなことを言えば、誰もが怒りを持つだろう。精霊がいなくなることなどあり得ない。いなくなるような真似を、誰がするのかと糾弾される。


「それくらい、困窮する可能性を考えているのだろう。マリオンネの女王が交代する場合、精霊が悼むために土地を離れることはある」

「しかし、それで餓死者が出るまで想定するとは、ラータニアでは考えられません」

 

 ルヴィアーレは理解ができるのか、納得しているようだった。しかし、ラータニアではあり得ないだろう。

 ラータニアは精霊が多いと言われている。この国の精霊がどれほど少ないのかは知らないが、あまり理解できない話なのだ。


 話していると、ルヴィアーレがふと顔を上げ、歩いている足を止めた。

「ルヴィアーレ様?」

「どうかされましたか?」


 各々声を掛けたが、ルヴィアーレは外廊下から上空を見上げたり、周囲を注意深く見遣るだけだ。

 ルヴィアーレにしか感じられない何かがある時によくする仕草に、皆が腰の剣をすぐに触れる体制になる。


「ルヴィアーレ様……、何か?」

「精霊が騒いでいる」


 精霊ではこちらは分からない。ほんの数匹いても、小さな魔導では気付けないからだ。魔導がそれなりにあれば、精霊が余程大量にいて、空を埋め尽くすほどでもいれば、魔導が集まり気付くだろう。

 しかし、ルヴィアーレがどこにいるか定められないほどの魔導の力を、自分たちが気付けるはずがなかった。


「あ、」

 イアーナが、別の外廊下を歩いているフィルリーネを見付けて、声を上げる。


 先ほど、ヘライーヌが周りに何か付けていると言っていたが、遠目からでは何も見えない。若干、周囲に魔導の閃きが見えるだろうか。しかし、それも気のせいのような気もする。

 不機嫌に歩いているようには見えないが、イアーナが後ろで、偉そうに歩くなあ。と呟いた。


「ルヴィアーレ様?」

 ルヴィアーレはフィルリーネへ眇めた目を向けた。嫌悪感のあるイアーナとは違った、眉を顰めるような表情で、フィルリーネの周辺を注視した。

 ここから見るには、魔導が見えるような、見えないような。遠目すぎて、そこまで何があるかは分からない。

 フィルリーネはこちらに気付かないか、通り過ぎていく。


 何に気付いたのか、ルヴィアーレの考えを全て推し測ることはできない。

 ルヴィアーレは、見えている物が違う。


 魔導が強すぎて、子供の頃は苦労したという話は、よく聞いた。

 精霊がいたずらをし、視界を防がれて前が見えなくなるなど、虚言にしか聞こえない。

 ルヴィアーレは、精霊を完全に操れるわけではないから、避けて通ることしかできぬ。とぼやいたこともあった。


 それに共感できるのは、ユーリファラだけだ。ルヴィアーレとまではいかずとも、魔導の多いユーリファラであれば、ルヴィアーレと似たような景色が見られるのだろう。


 あの方がいれば、ルヴィアーレ様の心を推し測れるだろうに。

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