第98話 書庫
「イムレス様に、お会いする約束をさせていただいております」
魔導院の入り口の警備に告げて、許可を得ると、案内の騎士が現れて、自分たちを促した。
ルヴィアーレは何度か書庫の蔵書を確認すると言う名目で、この魔導院第一書庫に訪れている。本を借りるには許可がいったが、拒否をされたことはない。そのため、一定の時間、二階にある閲覧室で本を楽しんでいた。
その間、サラディカは、魔導院第一書庫の奥にある入り口に視線を向ける。
大きな扉の先には、第二書庫や魔導院研究所、植物園があると言う。その入り口から出入りする者を確認し、警備の質を見ていたが、偽って入り込むことは難しそうだった。
レブロンも同じく周囲を確認した。イアーナは表情に出るので、ルヴィアーレの側で邪魔しないように警戒する。
ルヴィアーレはフィルリーネに、書庫に行っていることを話題として出していた。その際に、芽吹きの儀式の書を翻訳した魔導院副長イムレスの話をすることによって、フィルリーネからイムレスとの約束を取り付けさせたのだ。
芽吹きの儀式についてではなく、見識のあるイムレスと話をしてみたいという言葉を使っていたが、フィルリーネは何を気にするでもなく、だったらイムレスと話す機会をつくって差し上げるわ。とあまりにも簡単にその約束がなされたのだ。
イムレスは第一書庫の奥にいるらしく、イムレスとの約束を警備に伝えると、第二書庫につながる扉の方へ促された。奥の扉の前には、警備が常時周囲を警戒している。扉の前には必ず警備がいるのだろう。許可がなければ、部外者は入られない。
しかし、案内の騎士はその扉に入ることはせず、右側に逸れて、本棚に隠れた扉を叩いた。中から返事があり、騎士は扉を開く。
「どうぞ、イムレス様は、こちらの部屋においでです」
案内されて入り込んだ部屋に、一瞬面食らった。
そこは、王族を入れるような、整った部屋ではなく、四方の壁に本が並び、部屋の中も本棚のある、本に埋め尽くされた部屋だった。本棚には長い階段や、細い外廊下のような通路があり、かなり高いところまで、本が壁のように揃えられている。
イアーナがいつも通り、うわあ。と声を出した。即座にレブロンの肘打ちが飛ぶ。
「ルヴィアーレ様、申し訳ありません、このような部屋にお呼びして。魔導院副長のイムレスと申します」
部屋の中心にも本棚があり、その後ろの本の積み重なったキャレルから、身長の高い白髪の男が立ち上がった。身長はルヴィアーレと変わらないくらいで、にこりと笑うと、目尻や口元に皺が寄る。纏った服は、魔導院の人間が皆着ている黒のもので、金の刺繍がなされていた。
「お忙しいところ、お時間をいただき、ありがとうございます」
ルヴィアーレの言葉に、イムレスは人のいい笑みを浮かべて、唯一本の乗っていない机のあるソファーへと促した。イムレスはフィルリーネに無理に約束を取り付けられたのか、本に埋没したままの部屋であることを、まず詫びる。
この部屋は、イムレスの部屋なのかと思えば、そういうわけではないらしい。副長が陣取った部屋に人が入ってこないだけなのだと、苦笑した。
「フィルリーネ様より伺って驚きましたよ。あの方から、お叱り以外、私にお願いされることはありませんからね。しかし、お話しできる機会をいただけて光栄です。第一書庫にいらっしゃっていることは存じていましたが、声を掛けるのもと思っておりましたので」
イムレスはソファーに座ると、本を一冊、ルヴィアーレの前に差し出した。
「精霊の書の写しです。そちらは原文のままですよ。古代精霊文字ですが、興味があるようでしたらどうぞ」
話を出す前に物を出されて、ルヴィアーレは一度ゆるりと笑んだ。
「フィルリーネ様が伝えられたのでしょうか?」
「いいえ、フィルリーネ様は冬の館から翻訳された本を持って帰ってきてしまったので、それを返しておけと、私に持ってこられたのです。原文を読まれたいのか確認したのですが、全く興味がないと足蹴にされました。それで、ルヴィアーレ様はどうかと思った次第で、用意しておいたのです」
冬の館にある精霊の書の翻訳されたものを、フィルリーネは持って帰ってきていたらしい。フィルリーネ自体、精霊の書の内容に疑問を持っていたようだが、原文を読むまでではなかったようだ。いや、読めない。の間違いか。
イムレスは、ルヴィアーレならば興味を持つと思い、用意をしていたようだ。現物の精霊の書は、魔導院院長のニーガラッツが持っているが、その写しをイムレスが本にしていた。
「では、ご好意に甘えさせていただきます」
ルヴィアーレの返事に、イムレスは笑みながら頷いた。
髪の色や顔の皺を見る限り、年をとっていそうだが、声に張りがある。魔導に浸かった後遺症なのだろう。思うより若いようだ。
「芽吹きの儀式についての話は、魔導院院長のニーガラッツより耳にしました。王の資格と言われてもお困りでしょうが、古来の選定の話です。王はお喜びだと」
「私もそのようには聞いております。とはいえ、あの儀式は、フィルリーネ様と共に行なったものですので」
「そうですね。フィルリーネ様は、あのように見えますが、魔導はお強いのですよ」
意外なことを言う。ルヴィアーレが敢えて自分だけの力ではないと謙遜したところを、まさか肯定するとは思わなかった。
イアーナが明らかに半目になっていたが、それはやめろ。
イムレスはこちらを見て、クスリと笑う。品定めをするような目ではない。イアーナの話は耳にしているのだろう。イムレスは気にする素振りを見せるどころか、既に何でも知っているような落ち着きを持っていた。
ルヴィアーレもそれに気付いただろう。魔導院副長などやっている者が、人がいいで済むはずがない。こちらの情報は筒抜けだ。探りに来ていることくらい、お見通しだ。
「あの方は、少々風変わりですからね。周りからは無能と思われていても、それを良しとする方です」
その考え方が、そもそもどうかと思う。王女でありながら無能と思われていいなどと、言語道断ではないか。
努力をしない者は、ルヴィアーレは特に嫌うだろう。しかし、ルヴィアーレは、どこか慎重さを増したようだった。
「フィルリーネ様を、幼い頃から見られている方のご意見でしょうか」
「ええ。あの方の口癖は、いつでも、面倒臭い。ですよ」
「面倒臭い、ですか。そのような言葉は聞いたことがありませんが」
「そうでしょう」
今、イムレスがルヴィアーレに喧嘩を売ったのが分かった。存外に、お前は知るわけがないだろう。という意味が含まれている。
魔導院副長がフィルリーネ派だとは思わなかった。ルヴィアーレもそうだろう。メロニオルからそんな話は聞いていない。
「イムレス様はフィルリーネ様の、どうでもいい話と称して、危険を知らせる癖を、ご存知でしょうか」
ルヴィアーレの小声に、イアーナが目を剥いた。
いや、自分も驚愕を隠しきれなかった。
フィルリーネが、いつ危険を知らせたと言うのだろう。そんな節を感じたことがない。しかし、イムレスは、ふっと笑んだ。肯定されたその笑みに、一同ルヴィアーレに視線を集中させた。
いつからそんなことに気付いていたのか、自分たち誰一人、気付いていないことだ。
イムレスはするりと立ち上がる。
「魔導院をご案内しましょう。普段は許可されませんが、私がいれば、問題ありません」
理解が追いつかない。ルヴィアーレはイムレスの言葉に頷くと、その後をついた。
自分たちも、急いでそれに習う。
「魔導院は、扉ごとに警備がおります。書庫から始まり、精霊研究所、魔獣研究所、植物研究所、植物園、魔獣を育てている場所もあります。あとは医療館など、魔導に関わる全てが、この棟に集められています」
イムレスは第二書庫の扉を開けさせて、中に入る。第三書庫から左右に第四、第五書庫。二つの書庫は禁書などもあるため、警備が更に厳重なようだ。中には入らず、イムレスは奥の扉を開けさせた。
入った先、大きな広間に出る。しかし、騎士がいるだけで警備のみの部屋だ。窓のない広間は警備のための部屋で、騎士がその場所を守っている。
「厳重ですね」
「ここから先は、研究所ですから」
そこを通り過ぎるとただの廊下で、ガラスで隔たれた部屋に植物が見えた。そこは植物園で奥の研究所と繋がっている。中に研究員がいるのか、白の服を着た者たちがうろうろしていた。小部屋もいくつかあり、個々の研究をしているのだと教えられる。
白い服を着た者たちが、行ったり来たり忙しそうに移動している。黒のフードを被った者も廊下から植物園に入っていく。中の様子は植物のせいでしっかり見えないが、かなり人が多いようだ。
「これから実験を行うため、人の出入りが激しいのですよ」
「実験ですか?」
「精霊が離れることによって起きる、大地の枯渇を調べています。女王が亡くなる可能性があるので、その反動を調べるのです。現在魔獣が増えている区域があり、精霊がマリオンネに移動しつつあるようなので。それが一時期なら良いですが、そうでない場合、我が国は死活問題ですから」
イムレスは植物園へと促す。魔導を通しにくい特別な金属の中で、その実験を行うそうだ。
ルヴィアーレも興味深げに、その様子を見つめる。
食物が枯れる。自然が消える。マリオンネの女王が力を失っているだけでは済まない。元々、この国は精霊が少ないと聞いているが、こんな実験をするほど緊急性があるのだろうか。
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