第100話 精霊
ばうん、ぼうん。
人の周りでそんなことを言い続ける精霊たちを見ないようにして、自分の棟へと歩みを進める。
ぶあん、ぶおん。ぼぼん。
いや、もうちょっと待ってて。何言ってるか、分からない。
とにかく歩く。急いでいないように見えるようにね。でも、目の前とか遮らないで、見えなくなるから。
精霊たちが両手を広げて円を描く。腕を回しながら、空中で泳いでいるみたいに動いては、人の周りを飛び交う。
ばうん、ぼうん。
うん、何かあったのは分かったから、ちょっと待とうか。
「はあ、何だか疲れたわ」
移動式魔法陣に乗って部屋へと戻りながら、フィルリーネは溜め息混じりに言った。レミアはその姿を見ながら、
「これからルヴィアーレ様とのお時間も、さらに増やさねばなりませんね」
と言ってきた。しかも、笑顔で。
もう、充分だよね。私、毎朝会ってるし。
「ルヴィアーレ様も、お忙しいのでしょう? 貴族たちとの面会が増えていると言っていたのだから」
「だからこそ、もっとお会いして、親密になられた方が良いと存じます。王もそれをお望みです」
こんな勉強入れてくるくらいだからね。いやもう、唖然としたよ。唖然って言うか、愕然としたね。何、夫婦になるための勉強って。心構えが必要って、何? 大丈夫だよ。何があっても仮面夫婦だから。
「疲れたわ。部屋に戻ります」
本当に疲れたよ。後ろから、ばうんぼうん言い続ける精霊たちがついてきて、一緒に部屋に入ってくる。
「フィルリーネ様、そろそろ、ルヴィアーレ様をお夕食にお誘いした方が」
「今度にしてちょうだい」
フィルリーネはそう言って、扉を閉めた。閉めた途端、どっと疲れがくる。
「ぼうんぼうん、分からないわ。もう、何があったの。ゆっくり話してね」
夫婦になるための心構えを聞く前。授業をしていただく貴族の奥様に会いに自分の棟から出る頃に、精霊たちは集まってきていた。エレディナに、今はさすがに無理。と伝えてもらったにも関わらず、部屋に入れば、部屋を埋め尽くす勢いで寄ってくる。
集まりすぎていて、気付かれると危険だから、離れるようにエレディナにお願いしたが、それでも散らばる数が少ない。
授業なんて聞く気なかったけど、なおさら何言ってるか良く聞こえなかったね。だって、前とか横とか後ろとかで、ぶあんぼうん、ずっと言っているんだもん。先生の声なんて聞こえないよ。
うんうん頷きながら聞いているふりをしていたが、全く頭に入らない。
元々入れる気ないから、なおさらだよね。何、寝所に入る前の会話って。どうでもいいわ。
「蜂の大群に追われてる気分だったわ。何がどうしたの」
「ラグアルガの谷に人がいるって言ってたわよ」
エレディナ通訳が入って、フィルリーネは眉を寄せる。精霊たちは興奮した様子で、集まって谷っぽい壁を集まって作ると、何匹かが小さく埋まってから、ぼあん、と大きく弾けるように体を広げた。
たに、谷で、ぶあん、ぼあん。ぼこぼこ、ぶあおん。
うん、ちゃんと喋ろうか。興奮しているのか、言葉になっていない。
「谷でぶあんぼあんってことは、何かを爆発させたってこと?」
「そんな感じね」
イムレスから、魔導院で研究のために調査に行くことは聞いていた。それもニーガラッツが執り行うので、明らかにそれだけではないことは分かっていたのだが。
「精霊が減った原因を探すために、魔導の少ない場所で調査を行うって話だったけど、場所は分からないのよ」
しかし、精霊が頭を振る。
行くよ。行こう。行って。待ってる。待ってる。早く、早く。
だよね。そうなるよね。それが当然だ。
フィルリーネはおもむろにドレスを脱ぎはじめて、動きやすい格好に変える。
「着替えるから、ちょっと待って。屋上にいてくれるかしら? あまり、みんな集まらないようにね」
精霊たちは、フィルリーネが来ることが分かると、数匹を残して外へと飛んでいく。着替え終わってエレディナの手を取ると、フィルリーネはその場から転移した。
自分の棟の屋上に降りると、精霊たちが集まってくる。精霊たちが指し示す方向へ行かなければならない。谷はここから離れた場所らしく、外に出た精霊たちが固まって飛んで行く方向を向いた。
木のとこ。木。おおきい木。一緒に行こう。早く、早く。
精霊の言葉に、エレディナと顔を見合わせて頷く。精霊の示す大きい木はどこか分かっている。
「屋上にいつまでもいるのはまずいわ。行きましょう」
エレディナが頷いて転移する。その転移に何匹もの精霊たちがくっついてくる。触れていれば一緒に飛べることが分かっているのだ。
転移して辿り着いた一本の大木に、人はいない。ここは精霊が住む木で到着すると、わっと精霊たちが現れた。
あっち、あっち。行って、早く。
「みんな知ってるのね」
「話は聞いてるみたいね」
あっち、と言われた方向には、ラグアルガの谷がある。深い谷で川が流れた跡があるが、今は水がないため細い道となっていた。通る道もなく、そこを渡る橋もないような場所だ。近くに人が住んでいるわけではないので、そこで何かを行なっても、気付かない。
エレディナの手を取って、ゆっくりと谷に近付く。この辺りは木々がないため、姿を隠せる場所がない。乳白色のマントを頭から被り、顔を隠した。
日光が鋭く、地面からも熱を感じる。上空には小型艇などは見られないので、エレディナは高所から谷を覗いた。精霊たちが一斉に同じ方向へと進む。
「目立つわね……」
「ちょっと離れたところから近付いた方が良さそうだわ。エレディナ、別の場所から、谷に沿って下に降りましょう」
エレディナは頷くと、フィルリーネの手を握ったまま、空をゆっくり飛ぶ。手を離したら真っ逆さまなので、しっかりとその手を握り返した。少し離れてから地上に降りて、真っ直ぐに降りられる谷へと入る。細い地割れのような谷には岩肌だけが見えて、所々から木々が生えていた。随分前に枯れた川なので、草が生えているところもある。
下まで降りると、やけにひんやりとした。上を見ると、地上がずっと上にある。初めて降りたが、かなり深い谷だ。
精霊たちが、同じ場所をブンブン飛び回っている。どう見ても蜂である。警戒した飛び方で、いつものふわふわのんびり感が全くない。集まって入り口が分かりやすいように円を描いて、入り口の周りを飛び回った。
「誰もいないわね」
いない。いない。
もう実験は終わっているようだ。特に誰かが入り口を守っているわけでもない。精霊たちが示す入り口は意外に大きな穴で、中は真っ暗だったが、ぴりりと肌に感じるものがあった。
「何、この感じ……」
エレディナが呟く。フィルリーネと同じものを感じたのだろう。肌が粟立つような感覚がする。精霊たちは入り口から先に入ろうとはしなかった。ぶんぶんとその場を飛び回り、きをつけて。と口々に言う。
「変な魔導を感じるわね」
「そうだね……。洞窟になってるのか。奥まで深そう」
フィルリーネはエレディナと共に中を進む。入口からの光が遠くなるにつれて、足元が見えにくくなってきた。フィルリーネは指先に魔導を溜めると、小さな魔法陣を描いた。ぽっと自分の周囲が明るくなる。
洞窟は高さもなく、数人が一緒に入られるくらいの道だったが、歩んでいくと、段々とその広さが増した。先に進むたびに、肌に妙な魔導がこびり付いてくる気がする。
「何、これ」
エレディナが顔を歪めた。フィルリーネにも感じる、魔導だけれど、どこかおかしな感覚がする。
「魔獣の魔導?」
「分からない、けど、これは、精霊たちは、ここには入れないわ」
瘴気が渦巻くように、重い空気が洞窟に漂っている。エレディナは袖で口元を塞いだ。
「まだ、先があるけど、行ける?」
「だい、じょうぶ」
どこか息苦しそうな顔を見せて、エレディナは頷く。
精霊の調査と言いながら、エレディナすら入りたくなくなるような場所で何をしているのか。いや、何かをして、精霊が入られなくなったのだろう。長い通路を進むと、道に結界が見えた。
黒い帯が道を塞いで模様を描いている。これ以上進めないようにしているだけだが、かなり強力な魔法陣だった。
「強い結界ね。あんた、解けそう?」
「どうかな。ちょっと待って」
他に連動する魔法陣がないか確認する。結界を解けば、罠が発動したりしないか、調べなければならない。解いた後に修正できるかどうかを確認して、フィルリーネは道を塞いでいる黒の模様をいじった。
自分とエレディナが通れるだけの隙間があればいい。全て解くよりは、結界に穴を作って通った方が楽だと思ったからだ。
「いけそう」
フィルリーネはいくつかの魔法陣を描くと、その黒の模様に合わせた。模様に小さな穴ができると、ぐいんと広くなり、人が一人通れるようになる。
「さすが。やるじゃない」
エレディナは言いながらも、苦しそうな顔をした。入り込んで、フィルリーネも気付く。空気が淀んだような、身体に重みを感じた。
ひどく、嫌な気配がする。それは魔獣のものだが、だが感じたことのない、強大な魔導を持ち合わせたもののようだった。
その通路を進むと、広い場所に出た。
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