第75話 敵意
「見に、行っていいですか??」
イアーナがそわそわしながら、問い掛けてきた。
サラディカが眉尻を上げたが、イアーナは応戦するつもりだろう。どうしても近くで見たいのだと、身体が横を向いている。
展望台から戻り、部屋までの廊下を歩いている時点で城内は騒がしく、皆が同じ方向に走り、人が集まろうとしていた。
「どうやら、書庫の屋根にいるみたいです。そんなこと聞こえました」
部屋の中にいてもその騒ぎが聞こえるようだ。窓も扉も閉まっているのに、周囲の音を気にしてうずうずしている。イアーナがじりじりと後ろに下がるのを、レブロンが肘打ちした。
「城の人間でも見たことがない者が多いのか、すごい騒ぎですね」
レブロンの声にイアーナが頷く。フィルリーネも言っていたが、人里には近付かないという話だ。余程珍しいのだろう。展望台に常駐する兵士たちすらも、翼竜を口を開けて見上げていた。
「だ、ダメですか?」
早く行かないと、飛んでいっちゃうかも、とイアーナは身体を捻ったまま、足を扉の方へ向けていた。
ルヴィアーレはひらりと手を振る。イアーナはそれを見て、脱兎のごとく走り出した。
「あの馬鹿は」
あとで説教を受けることだろう。サラディカは呟きながら、こめかみに青筋を立てている。しかし、レブロンも若干落ち着きがない。
ルヴィアーレは、ため息交じりにソファーから立ち上がった。
「大勢が書庫に行っているのだろう。混じるのは構わないが、少しだけだぞ。フィルリーネ様のところへ顔を出しに行く。このような騒ぎで怯えていらっしゃるだろう。メロニオル、イアーナに伝えてきてくれ。レブロン、少し見るだけで我慢せよ」
レブロンは軽くでも見えるならと頷く。イアーナはただの興味本位だが、レブロンは翼竜がどんな構造をしているのか見たいのだろう。
「サラディカ」
ルヴィアーレはサラディカを呼ぶと、歩きながら耳打ちした。軽く頷くサラディカは、書庫の方へ一度遠回りし、王女のところへ行く。とレブロンに伝えた。後ろの王の騎士たちにも聞こえただろう。メロニオルはイアーナを追ってすでに部屋を出た。後は王の騎士だけだ。
騒ぎを聞いているだけでは分からないが、おそらく多くの城の者たちが書庫の方へ集まっているのだろう。今からでも廊下から翼竜を見ようと、窓から身を乗り出す者もいる。
書庫はルヴィアーレのいる客間から少し離れているが、歩いていると何人かが廊下を走りすぎていった。
書庫に近付くと人垣があり、書庫に入れない者たちが別の場所から見ようと、窓の近くに集まった。
「すごいですね」
「行くぞ」
ルヴィアーレはその人垣に入り込む。サラディカやレブロンも後ろへ続いた。押し合いになっている場所に無理に進むと、すぐに人混みに押された。見終えて戻ってくる者たちと押し合いになっているか、進みきれない。
ルヴィアーレは体格のいい男の前に横入りすると、そのまま逆回転して大回りに廊下へ出た。
廊下で待っていたウルドが付いてくる。サラディカとレブロンにはそのまま先へ進んでもらった。レブロンの体格を目印に、王の騎士たちもそれに続いているだろう。
どうにも単純な作戦だったが、上手くいったようだ。ルヴィアーレは足早に歩くと、芽吹きの木の場所へと向かった。
芽吹きの木の奥の洞窟に行くために、時を見計らっていたが、丁度良い騒ぎだ。
廊下で窓の外を眺めている者たちに何人も出会い、その視線の先を見上げた。皆、翼竜に夢中だ。
望遠鏡のある屋根の上、背中に黒の線を描いた赤の翼竜が留まっている。何かを待っているのか、球状の屋根に登るような格好で、どこかを眺めた。まるで、誰かを探しているかのように、ゆっくりと周囲を見回している。
展望台で翼竜が通り過ぎた時、あの翼竜はこちらを見ていた。金の瞳を鋭く光らせて、まるで敵視するように、はっきりと自分たちの姿を捉えていた。旋回して戻ってくる翼竜が明らかにこちらを目掛けているのが分かり、剣に手を伸ばそうとした。
しかし、それを阻んだのは、フィルリーネだった。
人を襲わないと言われているとしても、真正面から向かってくる巨大な翼竜が目に見えていながら、フィルリーネは自分の腕をとったまま、力強く離そうとしない。
離そうとしないどころか、こちらを見据えた。
『おやめになって』
あれは別人のフィルリーネだ。拗ねる真似ばかりする子供のような様子のない、王女の威厳を持った、引き籠もり部屋の中のフィルリーネ。
側仕えは血の気を失い、足元すらおぼつかないほど怯えていたのに、フィルリーネは翼竜を見ることなく、自分の腕を、攻撃を繰り出さないように押さえつけていた。
あの落ち着きは、何だ。翼竜を見たことがないフィルリーネであれば、いつかの祀典のように自分を守れというだろうに。それなのに、
「こっち、見てるぞ……」
ふいに、廊下にいた者たちの声が怯えた。その視線の先を見て、ゴクリと喉が鳴った。
翼竜は、こちらを視界に入れている。横を過ぎた時と同じ、こちらを意識して目に捉えている。
「ルヴィアーレ様……」
ウルドが気付き、翼竜を見上げた。ウルドも感じただろう。翼竜は、明らかに敵意を持って、こちらを見ている。
「あの視界から、離れた方が良さそうだな」
ルヴィアーレは言って窓から離れると、足を進めることにした。翼竜と戦うのは興味があるが、今その気はない。
しかし、何故あのように敵意を持たれるのか、心当たりと言えば、精霊と同じく相性が合わないことだが、翼竜までもが精霊のように相性などあるのだろうか。聞いたことがない。婚姻を良しとしない精霊が現れるならともかく、翼竜に敵視されるとは、そんなことがあるのかどうか。
外向きの廊下から中廊下へ入り、翼竜の視線から外れる。後ろでウルドが安堵のため息を吐き出した。書庫から今いる場所は高低差があったが、翼竜の眼力は迫力があったようだ。ウルドは軽く汗を拭った。
「あの翼竜は、敵意を持っているように見えました」
「人を襲わないと聞いていたが、そうでもなさそうだな」
次に会ったら、襲ってきそうだ。理由は分からないが、敵として認識されたのは間違いない。
芽吹きの木の洞窟へ来ると、そこは静まり返っていた。
前来た時にいた草の精霊はいないようだ。早足で歩いてきたため少し身体が熱くなっていたが、洞窟へ入ると一瞬で体温が奪われた。
芽吹きの木は相変わらず何もつけず、ただ立っているだけで、いつ芽吹くのか分かりもしない。草の精霊が多くいそうなこの場所でも、冬の寒さはどうにもならないのだろう。芽吹くのを待つのは、草の精霊も同じだ。
ルヴィアーレは、草の精霊に誘われた岩場へ進む。
ここに何があるのだろうか。それを確認せずに部屋に戻ってしまったので、草の精霊が何を教えたかったのかが分からない。ここに来れば精霊がいるかと思ったが、この場には一匹もいなかった。岩肌に触れて草場に足を踏み入れると、足元がすっと冷えた。
「ルヴィアーレ様?」
ルヴィアーレは座り込み、風の入る方向を探すと、草に隠れた穴を見付けた。人が一人入れるくらいの穴だが、先が長そうだ。光も見えず、奥がどうなっているか分からない。
精霊が呼ぶような場所だ。入れないことはないだろうが、如何せん、かなり狭い。
しかし、今を逃せば、次に来られるか分からない。
ルヴィアーレがおもむろにベルトを外し、上着とチュニックを脱ぎ出すと、ウルドがぽかんと口を開けた。
「持っていろ。誰か来るようならば、岩場に隠せ」
「は、承知しました」
剣を持っていると進めなさそうだが、手放したくない。腰から取り出し、手に持つと、ルヴィアーレは屈みこんでその穴へ入り込んだ。寝転がって進まなければならないほど、その穴は狭い。腹ばいで進んでいるので中着もズボンも汚れるだろうが、足元まであるチュニックで隠せば、戻っても気付かれない。
長く狭いままならば、戻るのに難儀するだろう、だが心配していたほど狭い道は長くなく、少し進めば広い洞窟へ出た。薄着になったためかなり冷えるが、仕方がない。
薄暗いその洞窟を歩くと、少し経って、明るい場所へ出た。
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