第74話 ヨシュア2
馬車に戻ると、ルヴィアーレを置いて、レミアを乗せる。
こんな、ぷるぷるした状態のレミアを、サラディカたちと同じ馬車になんて乗せられない。
段差で足を取られて転びそうになるのを、フィルリーネが引いた。
「レミア、手摺を持ちなさい。転げるわよ」
「も、申し訳、ございませっ」
言っているそばから、レミアが段差に足を引っ掛けた。
脛打ったよ。絶対痛い。痣できる。
本来なら正面になって座るが、レミアを隣に座らせて、馬車を走らせた。ルヴィアーレたちも馬車に乗りはじめていたので、大丈夫だろう。
ヨシュアには、あとでがみがみとお説教だ。ルヴィアーレを見にきたのだろうが、あんな近くまで、何度も飛ぶお馬鹿がいるか。
レミアはほっとしたのか、目に涙を溜めはじめた。余程怖かったらしい。
「も、もうしわけ、ございま……」
もう言葉にならない。分かったからと、肩を撫でてやる。いくら人を襲わないと言っても、間近で見る翼竜の迫力は、聞いていたものとは全く違っただろう。
翼竜の大きさだと、頭と角だけでも大人の身長くらいある。あれが炎を吐くと思ったら、恐怖するのは当然だ。
それが、目の前を過ぎていった。
「うあっ!」
御者が驚愕の声を出すと同時、馬車が一瞬横に揺れた。ゴオオーと飛行の音が響く。窓の外を見ると、城の方へ翼竜が羽ばたいていった。
「フィ、フィルリーネ様……」
「ただ通っただけよ。芽吹きの前に目覚めているから、機嫌が悪いようね」
「ひ、人は、襲わないと」
「襲わないわよ。安心なさい」
御者も驚いたのだろう。翼竜は城の近くをあまり飛ばない。飛んでいたのは、叔父が生きていた頃だ。最近では、山でしか見なくなっている。狩人が見るか見ないかの、珍しい魔獣だ。驚くのは当然だった。
それが、よりによって王女がいる近くで飛んだりするのだから、近過ぎれば攻撃を受けるだろうに。
城への山際の道を通り、ぐるりと回って街の方へ入っていく。街に入っていくと、道行く者たちが同じ方向を見ていた。もう、嫌な予感しかしない。
窓からはよく見えないが、空を指差している者がいるので、おそらく城の方にいるのだろう。レミアがやっと落ち着いて来ていたので何も言わず、ただ馬車が城まで辿り着くのを待った。
城に戻って、馬車から降りた時は気付かないよね。書庫の天文台に止まっていたみたいだから。
そんな所に止まられたら、街の人も城を見上げていることだろう。街の人も興味津々、城の人間なんて、大騒ぎ。
城から見える景色は街並みばかり。山側は見えると言っても、三日月になった左右の端っこ。あとは書庫の天文台から見える、先ほど行った展望台。展望台からの景色はいいよね。この城で、一番周囲が眺められる場所だから。
「だからって、なんでそんなとこにいるかな。あのお馬鹿は」
ヨシュアはエレディナの雷を無視し、城に留まっている。今、城の中はその話で持ちきりだ。翼竜を見たがる城の者たちが、書庫に押し寄せているらしい。珍しいもの見たさで、ごった返しているとか。
「馬鹿なのよ。ただの、馬鹿!」
エレディナはおかんむりである。何度注意しても、書庫の天文台を止まり木にして、動こうとしないらしい。
翼竜は人に攻撃をしないと言われているため、騎士や魔導士たちは傍観しているようだ。
オマノウラがどうしようかと聞きに来たが、放っておくように言ってある。何かして炎を吐かれても知らないと脅しておいたので、自ら余計なことはしないだろう。
しかし、いつまでも放っておいて、血気盛んな騎士たちが攻撃しても困る。
オマノウラも部屋に来たし、レミアも不安がっていたが落ち着いてきたし、そろそろ部屋から出ても大丈夫だろう。
「エレディナ、草の精霊の所へ行きましょう。あのお馬鹿もね」
「まったく、冗談じゃないわよ!」
ブツブツ言いながら、エレディナはフィルリーネに手を伸ばす。
ちょっと待って、外套必要。部屋に置きっ放しの外套を手にして、エレディナはフィルリーネを連れて、芽吹きの木の洞窟へ飛んだ。
「ぶへっ」
フィルリーネは、お腹から地面へ落とされる。草に置き去りにされて、エレディナ、ご機嫌斜めでそのまま消えた。
怒ってる、怒ってる。
いや怒るよね。あの子ら仲悪いし。
寝転がっていると、お腹が冷える。いきなり降りて来たフィルリーネに、草の精霊たちが驚いて草の影に隠れたが、そっとこちらを伺った。
いるの? いるの? 怒った。怒ってる。来るの? 来る?
「来るよ。ヨシュアには、小さくなってもらいましょ」
そう言って間もない時、飛行音が頭上を通過した。一度旋回して、洞窟に戻るふりをするのだろう。直接ここに降りては、城の者たちが探しにきてしまう。精霊たちが一斉に草陰に隠れて、再び顔をこっそり出した。
「行っちゃったわよ。次は人型で戻ってくるからね」
「一回戻ったわ」
エレディナがふっと現れた。眉を大きく吊り上げて、お怒り中だ。一度洞窟に帰ったのは見送らなかったらしい。ぷりぷりお怒りである。腕組んで足組んで、ヨシュアが戻って来たら、殴りつけそうな顔をしている。
私も後でお怒りしますよ。後少しで、ルヴィアーレたちがヨシュアに攻撃するところだった。
ルヴィアーレは、人の腕を振り払ってでも、何かをしようとした。剣で太刀打ちできなくとも、剣に乗せて魔導を発することをしてくる。前に矢に魔導を乗せて魔獣を倒したように。
ルヴィアーレの力ならば、ヨシュアの鎧のような皮膚に傷をつけることも容易いだろう。そうなれば、ヨシュアがどうするか。ルヴィアーレに少しでも傷付ければ、他の騎士たちも黙ってはいない。こちらも応戦しなければならなくなる。
「あいつ、ムカつく」
声と当時に、黒い影がもくもくと煙のように現れると、そこからにゅっと金属だらけの足が出てきた。どすん、と足が地面に着くと、身体が現れてくる。
「こら、ヨシュア! 何をしてるの! 危ないでしょ、あんなことしたら!」
「あいつ、嫌い」
ぷんっ、と横を向いたらエレディナがいたので、ぶんっ、と逆側を向いた。そんな可愛い仕草をしても、体格のいい男である。とりあえず可愛くない。
「嫌いじゃないわよ。あんた何馬鹿やってるわけ?」
ヨシュアは他所を向いたままだ。それにエレディナが癇癪を起こす。
「馬鹿にも程があるのよ。馬鹿なの?」
もう馬鹿馬鹿しか言えないらしい。腹が立ち過ぎたか、馬鹿馬鹿言って、エレディナは姿を消した。
「エレディナ、うるさい」
「うるさい、ではないわよ。ヨシュア。あんなことしたら攻撃されるでしょう。攻撃されて、反撃しない自信でもあるの?」
「顔、見たかっただけ」
一度人の顔を見たけれど、再びぷいっと顔を逸らす。腕を組んで偉そうにしてるくせに、それだ。幼いのだが、身体が大人なのが困る。翼竜の姿だと、尚更だ。
「見てもいいけれど、あそこまで近付いては駄目よ。ルヴィアーレは魔導が強い。魔導で攻撃してくるわ」
「フィルリーネの側に仕えたい。あいつの望み」
ヨシュアは突然切り出した。金色の瞳がこちらに向いて、ゆっくりと近付いてくる。伸ばされた手は大きくて、抱きしめられると、ヨシュアの身体にすっぽり埋まった。
ヨシュアの身長は、フィルリーネの頭よりずっと高かった。子供の頃はもっと大きかったけれど、この身長になってもまだ大きいものだな。とぼんやり思う。
「叔父様の家を守ってもらわないと」
「封じてある。ヨナクートだけ入れるように、いつもしてる」
ヨシュアは叔父が死んだ時、まだ自分を守る気がなかった。叔父の家に籠もって、ヨナクートと一緒に暮らしていた。叔父が死んだことを、受け入れられなかったのだろう。
叔父に何かがあれば、フィルリーネを守る。叔父が死ぬ前からヨシュアに頼んでいた話を聞いたのは、いつだっただろうか。
守ってくれるのは嬉しいけれど、叔父の家もヨナクートも心配だった。ヨナクートが家にいてくれると、昔みたいで嬉しく思う。だから、このままでいいと思っていた。
「あいつ、気に食わない」
人の頭に顎を乗せて、ヨシュアは呟く。ヨシュアは人懐こいので、そんな言い方をするのは珍しい。エレディナは別だ。ヨシュアとは属性の相性が悪すぎる。
「気に食わないからって、攻撃しては困るし、言うことを聞いてくれないのも困るわ。翼竜の姿になって、王都を飛ばれたら困るのよ」
「……しない」
その間は何だ。子供っぽいので本当に我慢ができるのか分からない。
「ちゃんと言うこと聞けるの? エレディナと喧嘩ばかりしない?」
「…………しない」
さっきより間が長いぞ。
「こっち見なさい」
フィルリーネは頭に乗ったヨシュアの顔をどかして、その頰を両手で挟んだ。金色の瞳はまるで花が咲いたように見えて、吸い込まれそうになる。しっかりその瞳が自分に向いていることを確認して、フィルリーネはその瞳を見続けた。
「私の命令なしに姿を現しては駄目よ。叔父様と一緒にいた、お前の姿を知っている者は多い。翼竜だと知られてもいけない。私の側にいるのならば、私の言うことを聞かなければならない。約束できるの?」
ヨシュアはこくんと頷く。その姿は素直な子供で、マットルが大きく頷いているみたいだ。
「ルヴィアーレは魔導に強い人だから、ヨシュアの気配にも気付きやすい。気付かれないように動ける?」
「動ける」
「ヨナクートのために、叔父様の家にも様子は見に行ってほしいわ」
「ちゃんと見に行く」
金色の瞳は濁ることがない。フィルリーネの瞳を逸らさずに見続ける金色の目を見て、フィルリーネはヨシュアに跪くように言った。ゆっくりと跪いたヨシュアの頭は、座り込んでもフィルリーネの頭のすぐ近くにあった。
「ヨシュア、あなたとの契約を結びます。私の側で、私を守りなさい」
そっと口付けた額から、ヨシュアの全身に金色の光が帯びたように見えた。ヨシュアは顔を上げると、子供のように口元を綻ばせた。
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