第71話 芽吹きの洞窟
草の精霊が誘ったのは、洞窟の奥。
フィルリーネは精霊の光を追うようにして、自分と視線を合わせたが、寒いからと言って、その場を去っていった。後ろで精霊が語りかけていたのに。
あっち、あっち。フィルリーネに届かない声は、こちらに向かう。
「ルヴィアーレ様?」
「奥には、何があるのだ?」
メロニオルに問うたが、ここに訪れるのは王族だけで、王騎士であるメロニオルは、来たことがないと首を振る。後ろの王の手下の騎士どもは何かを話すこともないので、聞く必要もなかった。
精霊が奥を指差す。声はとても微かだが、聞こえはする。精霊の語りは片言で、多くを話すわけではない。精霊同士は言葉で何かを交わすのではなく、波動のようなもので言葉を交わすらしい。王族として話を聞けるようになっても、単語単語になるのはどうしようもなかった。そこまで、精霊に言語能力はない。
それに、まだこちらの精霊との繋がりが薄い。よく聞こえなくて当然だ。
「洞窟は広そうですね」
サラディカが周囲を注意深く見回した。剣に手を置いているが、ここで何かが襲ってくることはないだろう。王の手下も入ったことがないようで、辺りを珍しげに見回した。イアーナと同じだ。
草の精霊が、足元の草へ紛れる。時折顔を出すが、岩場に隠れたりして移動するので、あっちがどこを指すのか分からなかった。王の手下がいながら、精霊に答える訳にはいかない。この先は行き止まりだったが、おそらく地面近くに何かがあるのだろう。王の手下をどうにかし、またここに来る必要がある。
「行き止まりですか。王女の言う通りでしたね」
イアーナの言葉に頷いて、ルヴィアーレは踵を返す。いくつか分岐点があるが、草の精霊はこの先を示している。他はただの行き止まりなのだろう。
草の精霊は、ルヴィアーレを見て首を傾げていた。付いてこなかったことを変に思ったようだ。
しかし、今は仕方がない。
冬の館で案内された部屋は、フィルリーネの部屋から離れた客間で、窓からは街並みが見えた。
雪国のせいか城の高さはあまりなく、街も低めに建てられており、王都とは全く違う景色が広がっていた。街の後ろは平面だが、すぐに山が聳えており、閉鎖されるという意味がよく分かる場所だった。
マリオンネはこちらからは見えない。裏手の山を越えた方に見えるようだ。
「芽吹きって言ってましたけど、全然、芽吹く感じなかったですよねー」
イアーナが窓に息を拭きかけて、それをこする。部屋が暖かかくなったので、窓ガラスが曇り始めていた。
「やはり、ルヴィアーレ様を王都から出す理由があったのではないでしょうか」
「俺もそう思うな。王女も不思議がっていたし」
サラディカの言葉に、レブロンも頷く。
フィルリーネは、この場所では長く滞在することになると、暇になって仕方がない。とぼやいていた。街は雪に閉ざされて、他の場所に行くことができない。芽吹きがなければ、それまで待つ必要がある。
航空艇内で、フィルリーネはそう説明し、早く芽吹いていることを祈ると言っていたが、フィルリーネの祈りに反して、芽吹きは全く起きていなかった。
自分がこちらに来た理由があるのか、王がただ追い出したかったのか、今はまだ分からない。
ふと、窓の近くに何かを感じて、顔を上げた。
「ルヴィアーレ様?」
声を掛けられたからではない。イアーナが立つ後ろの窓に、ざわめく何かがいた。立ち上がって窓に近付くと、イアーナが怪訝な顔をしたが、それを無視して、窓を開け、周囲を確認するが、特に何もない。
「ルヴィアーレ様、何か?」
「……いや」
気のせいか。
ここはマリオンネが近いせいで、王都より精霊を見る機会が多い。王都には、精霊はほとんどいないと言っても良かった。ラータニアでは考えられない少なさだ。
ラータニアでは、城の至る所で精霊に会うことができる。庭園は勿論、書庫やサロン、廊下に当たり前にいて、人に付いてきては、笑って飛び回る。たまに人にぶつかってくることもあるが、こちらでは一切そんなことがない。他国の人間だからだろうか。
冬の館に来てから、精霊をたまに見るようになった。この冬の館には、精霊が多くいるからかもしれない。
小さな聖堂で、婚姻の祈りを捧げる真似をしていると、精霊が寄ってくる。フィルリーネは真面目に祈っているようで、精霊が何の祈りをしているのか問いかけていた。フィルリーネは気付いていないか、精霊を見ることもない。
何の反応もしないフィルリーネに諦めて、精霊がこちらに意識を向けてきた。
何してるの。そう問われると、内心苦笑いしかできない。何もしていないとは言えない。軽く目配せして、立ち上がり、身を翻す時にそっと撫でた。
冬の館にいる精霊は、やけに人懐こい。婚約の儀式を終えたことでフィルリーネに近くなり、こちらの精霊にも近くなったのだろう。
しかし、フィルリーネには精霊が見えていないため、自分にまとわりついてくるのかと思ったが、それも微妙に違う気がした。
聖堂での祈りを終えると、フィルリーネは特に話すこともないと、無言で聖堂を出て行く。そのすぐ後を自分もついて行くが、それより先に、精霊がフィルリーネの後ろをついた。
寝てる。寝てたね。来るかな? 来る?
精霊たちは、フィルリーネの頭の後ろにつきながら、三匹に増えて話しはじめる。フィルリーネはお構いなしに歩き続けているので、声は聞こえていないと思うが、しかし、精霊はフィルリーネから離れようとしない。
来るよ。来るかな。来るの? あっち。あっち。
精霊たちが、何の話をしているかは分からない。だが、フィルリーネから付かず離れず。一定の距離を保って、後を付いていく。
あっちだよ。あっち。
草の精霊のように方向を示すが、フィルリーネは見向きもしない。
「そうですわ、ルヴィアーレ様」
フィルリーネは何か思い出したと、急に足を止めてくるりと回った。精霊たちが勢い余ってフィルリーネの頭の上を通過して、精霊同士でぶつかり合った。
「読書もされると伺いましたけれど、書庫にご案内差し上げてもよろしくて?」
思い出したにしてはいきなりだ。フィルリーネは概ねこうだが、まだ頭の上にいる精霊たちが目に入って、フィルリーネの言葉には、何かしら意味があるのではないかと疑う必要があることを思い出した。
「勿論です。是非ご一緒させてください」
「では、午後にお誘いいたしますわ。景色のいい場所ですので、外套をお持ちになって」
書庫に外套? しかも、午後のいつだ。それを言わず、フィルリーネは再び踵を返したが、精霊たちもそれに習う。フィルリーネに、まだ付いて行く気だ。
「フィルリーネ様。よろしければ、昼食もご一緒させていただけないでしょうか」
ルヴィアーレの声に、フィルリーネは立ち止まると、ゆっくりこちらに振り向く。
「よろしくてよ」
その笑顔が、あまりにもうまくできた作り笑いだと思ったのは、自分の笑いに似ていたからだろうか。
「昼食、ですか?」
部屋に戻ってすぐ、イアーナが嫌そうな顔をして呟いた。他の騎士もいるのだから顔に出すなと言いたいが、レブロンがいつも通り肘打ちをして、イアーナはすぐに真面目な顔に戻す。
「こちらからもお誘いするのは、当然だろう」
「そう、ですね」
不本意極まりない頷き方で、再び肘打ちが入る。レブロンも容赦ない。
書庫に案内するならばこの後で良かろうと思うが、フィルリーネは午後を指定してきた。午前に何か行うのかどうか。そんなことすら勘ぐりたくなる。
精霊たちは、そのままフィルリーネの後を追っていく。三匹だった精霊が、さらに増えていた。
ああなると、今度は、本当に精霊が見えていないのか? という疑問が出てくる。王女に関わると、何もかもが疑心暗鬼にかられた。
昼食にまで、精霊を付けてくるだろうか。午前中に言い聞かせて置いてくるだろうか。どちらにしても、フィルリーネが精霊と話すかどうか、確認しようがなかった。
まったく、フィルリーネにまで、頭を悩まされるとは思わなかった。
昼食まで時間を持て余すが、読書でもするしかない。フィルリーネは小出しに城内の案内をする気だ。まだ城内を部下たちが確認し終えていないので、うろつくのは控えているのだが、フィルリーネが案内する前に、それも終わりそうだ。
この城は、王都ほど監視が厳しくないだけではなく、城内自体の警備も甘い。外からの侵入がないため、兵士たちの気も緩かった。特に、ベルロッヒたちがいないことが、大きな要因のようだ。
フィルリーネが精鋭と言っていただけあるか、王の側近であるベルロッヒとその騎士たちは、この城を牛耳っているのだろう。いなくなった途端に緩まっているのかもしれない。
「ルヴィアーレ様?」
ふと、何かを感じて顔を上げた。
窓の外をふいに見遣るルヴィアーレに、すかさずサラディカが問うてくる。
「今、何か聞こえたか?」
「いえ。私には」
言って、サラディカは扉の前にいたメロニオルとレブロンを視界に入れる。二人はふるりと首を左右に振った。イアーナや他の騎士は、廊下や隣の部屋の扉前にいる。そちらには問わず、ルヴィアーレは立ち上がり窓を開けた。
「メロニオル、あちらの奥の山より先には、何がある?」
メロニオルは指さされた先を見ることなく、山脈があるだけ。と答える。
「特には、何もありません。長い山脈が続いているだけです。奥に行くと魔獣が増えるので、狩人たちが集まる山小屋などはありますが」
「山小屋……」
「何か、気になられることが?」
自分が気付くことは、精霊に関することが多い。サラディカは想定しているだろうが、念の為聞いてくる。精霊の声は時に叫びもあるので、無視することはできないからだ。
しかし、先ほど聞こえたものは、精霊のものではなかった。
「はっきりしないが、微かな音が」
音と言うより、魔導が何かに乗ってきていた。精霊の叫びにも同じ魔導を感じるが、それとは違うもののようで、だが何かは分からない。
「もしかしたら、翼竜でしょうか?」
「翼竜?」
メロニオルの言葉に、ルヴィアーレが眉を寄せた。そんなものがここにいるとは初耳だった。
「私も詳しくは知らないのですが、この辺りの山脈には、珍しい翼竜が住んでいるらしいです。冬の館近くに来ることはないと聞いていますが、山脈の狩人の間では有名らしく、芽吹きの頃に冬眠から目覚め、魔獣を狙うとか」
「そんなものがいるのか。見てみたいな」
強力な魔獣が好きなレブロンが興味を持った。一度は戦ってみたいと思ったのだろう。少し嬉しそうだ。
しかし、メロニオルは頭を振る。
「強力な魔獣を倒すので、街の人々には守りの翼竜と言われているそうです。人を襲うことはなく、街に来ることもない。冬の館から騎士が討伐に出ても、出会うことはないと聞きました。人を避けるそうです」
翼竜は、ラータニアにもいない珍しい魔獣だ。翼竜が魔獣を襲うのは普通だが、他国にいる翼竜は、人間も襲うと聞いたことがある。人間を襲わない種もいるのだ。
「小さい種類なのか?」
それならば理解できる。大の大人の大きさもない、小型の翼竜だ。小動物などを糧にする種類だが、あれは魔獣を襲わないはずだった。
メロニオルは、もう一度首を左右に振った。
「羽を広げると、人よりもずっと大きい種類だと聞いています。真っ赤な鱗で背中に黒の筋があるとかで、飛んでいると、とても目立つそうです」
ルヴィアーレは窓の外を再び覗いた。そんな翼竜は飛んではいないが、それが鳴いた声だったのかもしれない。翼竜であれば、強い魔導を持っているからだ。鳴き声に魔導ものるだろう。
「一度、見て見たいものだな」
そう呟いて、その後すぐに見られるとは思わなかった。
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