第72話 芽吹きの洞窟2
昼食に現れたフィルリーネに、精霊が纏わり付いていることはなかった。言い聞かせてきたのかどうかは分からない。どこかへ出ていたのか、朝会った時より、肌が青白いような気がした。
夏の長い、日差しの強い国にいながら、フィルリーネは肌が白い。だからと言って、ひどく白いわけではない。健康的な色と言うか、部屋にいつも籠もっている割には血色がいい。しかし、今は病的に青白い。
芽吹きを見に行っていたのかもしれない。あの場所にいると、ひどく冷えた。
「午前中は、何をされていたのですか?」
「部屋でゆっくりしていただけですわ。こちらはすることがなくて、暇ですわね」
部屋にいたならば、そこまで青白くなったりしないだろうに。それとも、使えない側仕えが、暖炉の火さえ手入れをしないのか。
そう思いながらも、こちらでも引き籠もる部屋があるのかもしれないと思い至る。
隠れて何をしているのか分からない、フィルリーネの秘密の部屋だ。
「冬の館の書庫は高台にありましてよ。そこから臨む景色は他と違いますわ。少しは暇つぶしになるでしょう」
「それは楽しみですね」
「ルヴィアーレ様がお気に召す景色であればよろしいですけれど。本をお読みになるならば、好きになさって。あの書庫は、警備のない自由な場所ですわ。王都のように塞がれた空間ではございません」
書庫に案内する代わり、後はそこで時間を潰せと言ってくる。相手をする気はないから、好きにしろとのことだ。
その方がこちらも楽だ。フィルリーネは前に比べて嫌味を言う真似をしなくなり、それなりの情報を出すようになってきていた。どうでもいいようなことであったり、自分にとって有益なことであったり、それはまちまちだ。
「こちらで、何か気を付けることはございますか?」
ふいにそう問うていた。
フィルリーネは何を考えたか、首を傾げる。
「特になくてよ。街に出ても良いでしょうし、狩りに出ても良いのではないかしら」
そういう意味で問うたのではないが、フィルリーネは無意識なのだろうか。
いや、無意識で問うたのはこちらだ。フィルリーネは、いつも大したことのないように話をして、人に重要なことを告げる。世間話に花を咲かせるように、ただ何てことのない話のように言いながら、時折驚愕することを口にする。
注意をしろという話し方はしない。そんなことが良くあるのだと、それが当然のように言った。後ろで、レミアや騎士たちが気まずそうな顔をしているのに気付きもしない。だが、それはこちらにとって有益なことだった。
それを、当たり前に受けていた。たまには良い情報が入ることもあると、楽をした気分で聞いていた。
「こちらには、珍しい翼竜が出ると耳にしておりますが、見ることは可能でしょうか?」
「まあ、どこでお聞きになったの?殿方はやはり翼竜に興味がありまして?そうね、わたくし、翼竜を見たことがございません。芽吹きの頃には目覚めるという話は聞いたことがございますけれど、もう目覚めているのかしら」
「フィルリーネ様は、見られたことはないのですか?」
「ございませんわ。冬の館に滞在するのは、一日もありませんもの。幼い頃は毎年来ておりましたが、最近ではあまり。ですので、見る機会がございません。翼竜は人里には現れないようですから」
こちらに来ても引き籠もっているようでは、翼竜を見ることもないか。だから話に出すこともなかったのか、フィルリーネは、オマノウラに翼竜について確認するようにと、レミアに伝える。
「人を襲うことはないとは聞いておりますわ。魔獣を襲うので、街の人々には重宝されているとか。もし、外に狩りに行かれることがあっても、翼竜は相手にされないことね。街の人々に恨まれますもの」
メロニオルと同じことを言って、フィルリーネは昼食後の紅茶を口にした。暖かい物を口にしたお陰か、顔色が戻ってきている。
どこへ行っていたやらだな。
フィルリーネは、ここでは自由にしろと言ってきている。自分の相手をするのも面倒なのだろうが、王都では案内すらなかった。それに比べれば、フィルリーネは寛容な物言いだ。王都でそんなことは口にしない。
一つの考えが頭に浮かぶ。
フィルリーネは、嫌味は多いが、こちらが危険を伴うようなことに関しては、世間話として話してくる。冬の館に来て、芽吹き以外に有益な情報は得ていない。それは、特に気を付けることが、ないからなのではないだろうか。
我が儘で、突飛な言動ばかりして、周囲を困らせる王女。それが、今、自分の中で揺らいでいる。
本当に、世間話として、話していたのか?
「そろそろ、参りませんこと? わたくしも、久し振りに書庫からの眺めを堪能したいわ。外套はお持ちになってね」
フィルリーネは、ゆっくりとした茶の時間も多くとることはせずに、書庫へ行くことを促してきた。
余程、自分といるのが億劫なのだろう。ここで粘って何かを問おうとしても、答えてはこないのだから、また精霊が出るような場所に行ける方がいい。
外套を持ってこいとは前に言われていたので、サラディカが用意する。
フィルリーネの誘いに、快諾した。
書庫は、大抵日に浴びて劣化を防ぐために、日の当たりにくい部屋などが使用されている。もしくは、日が当たらないように工夫がされていた。グングナルドの王都にある魔導院書庫は、窓すらなかった。侵入を許さない魔導院の書庫だ。当然の配置だと思ったが、冬の館は誰でも入れるほどで、警備すらない。
案内された場所は、解放された広場のようだった。
「うわ」
後ろで、イアーナが驚愕の歓声を上げる。肘打ちに痛がっていたが、そのレブロンも驚いた様子だった。
扉を開いてすぐに、空が見えた。部屋は筒状で、奥の三分の一が窓で、弓形になっている。一面の窓を背にした本棚が両端に並び、中央は机と椅子が並んでいた。両端にある本棚は高さがあったが、蔵書数はそこまででもない。書庫というより、サロンのようだった。
天井も丸いが、星が描かれている。書庫は三階層になっているか、グングナルドの書庫と同じで、中央が吹き抜けになっており、階ごとに柵が見えた。三階と言っても、ここは既に上の方の階なので、高さがある。あてがわれた部屋よりずっと高所で、外の景色が遠くまでよく見えた。
フィルリーネは奥へと進み、窓へと向かった。窓は開けられない物だが、二階に行ける螺旋階段が両端にあった。そこを登っていくと、二階にも本棚が並んだ。フィルリーネは三階には行かなかったが、下から三階が見える。一階からは見えなかったが、そこは窓がなく、壁に本棚が並んでいた。
「不思議な作りですね」
「そうですわね。天井階には展望台がございます。冬の長い場所ですから、良く星が見えるそうですわ」
示された後方に、大きな望遠鏡が目に入った。三階の上にもう一つ階層がある。入り口近くの上部だけを使っているようだ。望遠鏡が差した方向は天井なので、天井が一部開くのだろう。
「あれも、城の者、誰もが使用できるのでしょうか?」
「許可を得られれば使えましてよ。ただ、専門の者がおりますから、それに従っていただくことになります。登られます?」
「よろしければ」
「外套を持って、こちらにいらっしゃって」
そう言って、フィルリーネはレミアに持たせていた外套を羽織り、三階に行くと、更に細い階段を登った。警備の騎士に指示し、天井を開かせる。手動で開いていくと、一気に風が入り込んだ。
これでは本が悪くなるのではないかと思ったが、魔法陣が起動し、三階から下の階にかけての吹き抜けに結界が張られ、風の行き来を止めた。
緑に光る結界に、イアーナが再び感嘆の声を上げる。レブロンもサラディカもそれに見入っていた。そんなことのために魔法陣を使うのは珍しい。王都と同じで、遊びが多いようだ。
半開きになった天井を見遣ってから、フィルリーネが側仕えと騎士たちをそこに留めた。そのままルヴィアーレにも同じように言ってくる。
「ルヴィアーレ様だけいらして。他の者は、許可なく立ち入れませんの」
「王族のみですか?」
「結界がそのようになっていてよ。昔からのものですから、仕方ありませんわ」
側仕えや騎士たちの許可を得ていない。そのため、入ることができない。フィルリーネは言いながら、望遠鏡の階段を登る。その後を追って、腰までの円づつのような場所へ入ると、入り口が閉まり、そのまま階上へ上がった。
一気に肌寒くなる。息が白くなり、頰が冷えた。
望遠鏡の前まで来ると、半開きになった天井は、背後の山以外を全て見渡せる状態になっていた。
景色がいい。言っていたのはこのことか。
「今日は、そこまで風が強くありませんけれど、夜間はひどい風になります。それでも、星を見たい方がいらっしゃる場所ね」
「フィルリーネ様も、夜にいらっしゃったことが?」
「ずいぶん昔ですけれど。今星を見ても、なにも見えませんわ。古いものですから、そこまで性能は良くありません。夜中にその性能を確認したければ、いらっしゃるといいわ」
ここに来た幼い頃は、叔父と星を見ていたのだろうか。
叔父をよく思っていない。メロニオルはそう言っていたので、フィルリーネはすぐに性能の話をして、当時の話から逸らした。
「あちらの山の頂にある建物は、キグリアヌンからの船を監視する場所でしょうか?」
遠目にある山の頂に、雪に囲まれた建物のようなものが見える。砦には見えないが、人工物があるようだ。
「あれは、展望台ですわ。船も見えますが、マリオンネが見えますのよ。オマノウラが案内すると言っていた場所です」
山頂にあるとは思わなかった。国境ならではの展望台だろう。監視込みの場所で間違いなかった。
「天気が良ければ、案内させますわ。あそこへは馬車になりますが」
案内させる、か。フィルリーネは行く気がないようだ。その方が楽なのは確かだが、王都では長く共にいることがない分、冬の館にいるよりフィルリーネが何をしているのか分からない。
それならば、精霊の多い冬の館にいる間に、フィルリーネを確認しておきたかった。
本当に、この王女が愚鈍で愚昧な輩なのかを。
「フィルリーネ様は、ご一緒していただけないのですか?」
自分の問いに、フィルリーネの笑顔が一瞬引きつったように見えた。
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