第70話 やすらぎの家2
「ヨシュア、久し振りね」
赤髪の翼竜、ヨシュアは降り立つと、ふわあ、と欠伸をした。翼竜の姿では分からない、寝起き風である。
「何か、鳴ってたから、来た」
「フリューノートよ。今年は、早いお目覚めなんだって?」
「フィルリーネが来たから……」
そう言って、ヨシュアは大きく欠伸をする。どう見ても寝起きだ。眠そうに目を擦ると、金色の瞳をぱちぱちさせた。小さな子供みたいだが、目は鋭くガラが悪いし、いい体格をしているので、全く可愛くない。
見目の割に、精神面は幼く、エレディナ頭の上で髪の毛が跳ねていることを指摘しても、ぽりぽり撫でるだけだ。
「何よ、その頭。鳥? 鳥なの!?」
「うるさい、エレディナ。耳痛い。寒いから、あっち行け」
「うっさい。あんたこそ暑苦しい。その頭、なんとかしなさいよ」
「やめなさいよ、二人とも。お茶の時間、お茶の時間」
お互いうるさい。人を挟んで言い合うのはやめてくれ。
フィルリーネは、ぱん、と柏手を打つと、話を終わらせる。
二人をすり抜けるように歩くと、精霊たちがきゃーきゃー言いながらついてきた。精霊たちはヨシュアが苦手なのだが、この辺りの精霊たちはヨシュアを知っているので、翼竜の姿でなけれ、ば多少は大丈夫らしい。
翼竜の姿だと強力な炎を吐くので、精霊たちはあの姿のヨシュアには近付かない。
フィルリーネは、精霊たちと共に、裏口から家に入った。後ろで唸り合う二人は、まったくもって、子供の喧嘩だ。氷の精霊エレディナは、炎を吐くヨシュアが好きではない。属性の違いだろう。
少し屈まないと、頭が扉の枠にぶつかってしまうくらい大きいヨシュアは、のっそりと潜ってくる。歩むとごしゃっとおかしな音が鳴った。ブーツに金属がついていて、歩くたびに金属が擦れる音がするのだ。
黒の外套を着ているが、銀色の金属がちゃらちゃらついている。まるで魔獣避けのようだな。と思うが、言うと怒るのでやめておく。
腕に金属、足にも金属。腰の帯も金属で、とりあえず金物が好きで仕方ない男だ。背中に背負った剣は真っ黒。頭だけが真っ赤で、どこかで見た鳥に似ていた。あれだ、鳥追いの鳥だ。
部屋に入ると、途端暖かくて、ほっと安堵した。精霊たちが、暖かい部屋に一斉に散らばっていく。暖かすぎて、嫌らしい。
「フィルリーネ様、外はお寒かったでしょうに。あら、ヨシュアも帰ってきたの。お茶を飲んで、温まりなさい」
「あげなくていいわよ」
「うるさい、エレディナ」
「二人共、うるさい」
エレディナは宙に浮きながら、ヨシュアを睨みつけ、ヨシュアは宙にいるエレディナを見上げて睨みつけている。水と油。
ヨシュアはじゃりじゃり音を立てて、暖炉前に座り込んだ。あまり冬が得意でないヨシュアは、冬の間はマリオンネで過ごす。春の芽吹きが始まると、自分のねぐらに戻ってきた。リオメルウたちが言っていた、洞窟のことである。
寒さが苦手とは言え、冬の間たまにヨナクートの様子を見に、マリオンネから訪れるらしい。ヨナクートは叔父ハルディオラの側使えだった。そしてヨシュアは、叔父ハルディオラを守る、人型をなすことのできる翼竜だ。
ヨシュアのような人型をとる翼竜は、マリオンネにしかいない。エレディナのように特別な翼竜である。
叔父ハルディオラは、なぜかそんな特別な者たちに好かれる人だった。どうやって叔父がエレディナとヨシュアを側に置き、二人が叔父を守ることになったのかは知らない。ただ、自分が子供の頃からそれは当たり前で、叔父が死んだ時に、エレディナは自分に、ヨシュアは叔父が住んでいたこの隠れ家を守るようになった。
「あんた、また、じゃらじゃら増えたんじゃないの? ヨナクート、変な物こいつに与えないでよ」
「あらあら。ヨシュアが丸いのが欲しいとか言うから、つけてあげたのよ?」
「かっこいいから」
「どこが!?」
ヨシュアの外套はヨナクートの手作りなので、飾りをほしがるヨシュアにわざわざつけてあげているようだ。金物好きの翼竜は、甘えっ子である。輪っかが胸あたりでぶら下がっているが、何の用もなしていない。ただの飾りだ。
ヨナクートは孫の面倒を見るように、ヨシュアの面倒を見ている。ヨシュアも、昔から一緒にいるヨナクートには、とても懐いているのだ。
「フィルリーネ様は、ご婚約なさったと伺いました。王のご命令とありましたが、冬の館には、ご婚約者とご一緒に?」
「そうなのよ……」
ルヴィアーレの顔を急に思い出して、肩を下ろす。もうすぐお昼になってしまう。
「魔導の強い男だから、婚約の儀式をしてからじりじり精霊たちが影響受けはじめてて、いじけてるのよ」
影響受けた代表が言う。エレディナは暖炉から離れて、出来るだけヨシュアからも離れた。仲が悪い。良く二人で叔父を守っていたと思う。
「それ、精霊の」
ヨシュアが顔を上げると、フィルリーネの右手を見ながらぽそりと言った。
カップを両手で持って、暖炉の目の前で丸くなったままだ。小さくなる姿が、見た目と合わない。
「そうよ。精霊の契約。分かるの?」
「分かる。気持ち悪い」
ヨシュアは子供のように、ぷいっと顔を背けた。翼竜には、熱情の精霊の印はお気に召さないようだ。魔法陣が浮いていないのに、ヨシュアには分かるらしい。
「あ、そうだ。今日もう時間がないから、部屋で試してくるわ」
「お急ぎですか?」
「昼食予定があって」
ヨナクート は、あらまあ、と言って、廊下に繋がる扉を開けてくれる。ヨシュアがそれを見て立ち上がった。エレディナも立ち上がるように浮き上がって、扉の向こうの階段へ進んだ。
居間から出て階段を登った先、一つの部屋にフィルリーネは入った。叔父の持ち物は家ごとヨナクートが管理しているが、一つだけ開かない場所があるのだ。
結界の張られた扉。どうしても破れない、秘密の部屋だ。
部屋の中は叔父の書斎だが、その書斎の壁に、しゃがまなければ入れないくらいの小さな扉がある。その扉は絵のようで、扉の握りも何もない。しかし、そこから出入りをする叔父を見たことがある。
秘密が入っているから、フィルリーネが大人になったら入れるよ。
そう言われて、もう十年。未だ入ることができなかった。
フィルリーネは、その小さな扉の前で膝をつけて屈むと、指でその扉をなぞる。魔法陣は見えるが、扉全体に掛かっている魔法陣を消しても扉は開かない。おそらく逆側から描いているのだろうが、それをどうやって解除するかだ。
いくつかの魔法陣を解除する魔法陣を描き、重ねていく。前試したものから新しく学んだもの、何度も重ねてやり直す。それでも何も動かない。
「まだ、力が足りないのかな」
「フィルリーネが弱いわけじゃない」
後ろでヨシュアがぽそりと呟いた。ぽすんと頭に手のひらが乗って、ごりごり撫でてくる。髪の毛がくしゃくしゃになったが、ヨシュアの慰めだ。ありがたくいただいておく。
「鍵が必要」
「鍵、か……」
それでは、大人になっても難しいのだろうか。フィルリーネはその扉を、そっと指でなぞった。
色は壁の色と同じ薄い黄の混じった乳白色で、扉には絵で描かれた取っ手と扉の縁がある。遠目から見ると本当に扉のように見えるが、近くに来ると絵だと分かる。
不思議な絵だ。叔父が描いたのだろうか。
「あの男……」
頭の上でヨシュアが呟く。ヨシュアはフィルリーネの頭に手を乗せたまま。翼竜だからか、右手の印は稼働しない。人として認識をしないようだ。
「ルヴィアーレのこと?」
「気に食わない」
見下ろして言うヨシュアは、目を眇めて静かに言う。精霊のように相性があるのだろうか。
「あんた、どこであの男見たのよ」
エレディナがすかさず問うてきた。確かに、翼竜として姿を現わしていたら、ルヴィアーレなんかは攻撃してきそうだ。恐ろしい。
「印が繋がってるから、分かる」
「うあ、なんて不吉なことをっ!」
ヨシュアの言葉に、フィルリーネは頭を抱えて悶えそうになった。
繋がってるって、何。繋がってるって!
「だから、婚約で、あんたたちは近くなったんだって」
「嫌だ! そんなの困る!」
「困るって言ってもねえ」
エレディナはアホらしそうにして足を組んだ。浮かびながら寝転がって肘をついてこちらを見る。そんな風にくつろぐな。
「フィルリーネには、合わない」
ヨシュアはそのまま背を向けてしまう。いじけているのか、本気で言っているのか、どちらだろう。しかし、合わないのは同感だ。
「フィルリーネ、そろそろまずいわよ」
「うん、帰ろう。ヨシュア、またね。ヨナクート、私、このまま帰るわね! お茶、ご馳走様!」
階段の上から叫ぶと、ヨナクートがすぐ居間から出てくる。
「まあ、フィルリーネ様、そのような大声を出されて、ご婚約されても子供のままですね。いけませんよ。婚約はともかく、もう十六におなりになったのだから、落ち着きを持たれませんと」
階段を上がりながらの説教だ。優しい声をして笑顔で注意しているが、ヨナクートは百戦錬磨の側仕えである。叔父が死んでもなお仕える、側仕えの鏡だ。
しかし、説教を聞いている暇はない。エレディナが手を伸ばした。昼食前に着替えて、ルヴィアーレを迎える用意をしなければならない。
「ヨシュアも、またね」
「あとで」
何があとでだ。そう言う前に、エレディナはその場を後にしていた。
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