第69話 やすらぎの家

「リオメルウさんちのご飯、美味しかったなあ」


 雪国は煮込み料理が多くていいね。ぽかぽかだよ。とろーりクリームであったか。心もあったか。海の幸は雪の時期はあまり届かないけれど、狩りで取れるお肉はたくさん。

 肉を暖炉で煮込み続けてるから、噛むととろけるくらいなんだよね。おいしい、おいしい。おいしいご飯、最高。


「どうでもいいから、朝の祈りが楽しかったからって、現実逃避するのやめなさいよ」

「楽しくないっ!」


 フィルリーネはさめざめとする。

 城の中にある小さな聖堂で、早朝からルヴィアーレと、婚約したから婚姻認めてくださいのお祈りをしていたところ、氷の精霊が、お祈り? お祈り? って、ずっと人の前で言ってきてて、誰か、助けて!ってなった、今朝の話。


「ルヴィアーレの前では話せないからーっ」

 祈りの後の、ルヴィアーレのにこやかな笑顔よ。絶対、見えてるよ。あの氷の精霊。


「しょうがないじゃない。私に来るなって言ったのあんただし」

「あそこでエレディナが出てきて、邪魔しちゃダメよ。とか言った方が終わる」

「注意はしておいたから、もう来ないでしょ。多分」

「曖昧!」

「精霊なんてそんなものよ」

「知ってる!」


 精霊は基本的にいたずらっ子。言うことを聞いてくれるは聞いてくれるが、それより興味があるものを見付けたら、そちらへ意識がいってしまう。


 祈りの途中に、ルヴィアーレの方へ向いて、何してるの? と聞いていたので、もう間違いなく氷の精霊には意識をされている。いえ、エレディナが陥落しているので、当然ですが、気にせず話し掛けてくる精霊たち。

 お願い、我慢して。


 何してるの?と聞かれている時点で、ルヴィアーレも祈ってないの、バレバレだけどね! 私は早く茶番が終わりますように、って祈ってたよ!


「分かったから、早く用意しなさいよ。昼はあの男と昼食なんでしょ?」

「ううっ。苦痛の昼食。まだ話のネタはある。あるけど、こんなに会うこと多いと、ネタが切れる」


 ルヴィアーレも、王から交流を持てとか命令されているのか? と疑いたくなるほど、ルヴィアーレが積極的に鬱陶し……話す時間をとろうとしてくる。こちらは命令を受けているので、できるだけ、できるだけ! ルヴィアーレと行動を共にしたいところだが、ほら、女子には色々あるでしょ? たまには一人になりたいし。


「毎日、一箇所場所を紹介するって手は、どうかと思うけれど」

 城の案内を、毎日一箇所ご紹介。これで数日保つだろう。しかし、その話をずっとしているわけにもいかない。話が尽きたら狩りにでも行けって言うしかない。それ、いい手じゃない?


「ほら、もう行くんでしょ。すぐ昼になるわよ」

「ふわあい」


 冬の館から小型艇で少し行った先、山脈の中に壁のようにそびえる崖がある。その崖は鋭い傾斜で高く伸び、ここを登ろうとする者はいない。その崖に、人が通れる穴が、木々に隠れてある。

 細く狭い山道を登ってこなければ、この穴には辿り着けない。冬の館からリオメルウの店まで歩くことはできるが、この場所は彼女の店よりもずっと山の奥深くなため、訪れる人はまずいなかった。


 その山の穴の中、細い道が続き、光のないそこを歩くと、広い空間に辿り着く。

 周囲が崖に囲まれた場所。囲むような崖の中に、隠れた家が一軒、ぽつんと建っている。家の側には小さな泉があり、湧き出る水は飲むことができた。そこには一本の大木があり、長い枝を広く伸ばして、これから来る春を待っている。


 フィルリーネは泉を前にして、ゆっくりと石畳を歩んだ。

 泉は丸を二つくっつけたような形で、そのくびれに橋が掛かっている。石畳はその橋に繋がり、橋を渡ると広めの場所になった。そこに、その一本の大木が植わっている。まだ冬なので、葉はあまりないが、春になると一斉に花が咲き誇る。そこを通り過ぎると、家の玄関になった。扉にノックをすると、扉の向こうで人影が見えた。


 扉が開くと、六十代くらいの女性が姿を現す。フィルリーネを見て、緩やかに破顔した。


「こんにちは、ヨナクート」

「まあ、フィルリーネ様。いらっしゃいませ。今日もお寒いでしょう。どうぞ、お入りください」

「お邪魔しまーす」


 ヨナクートは明るい茶色の髪を頭の上でふんわりとまとめていた。その色と同じ瞳をフィルリーネに向けて、笑顔で暖炉へ促す。

 大きな屋敷ではないので、玄関扉を潜ると風除室を経て、すぐに居間になる。居間には大きな暖炉があり、一人で住むには十分すぎるほどの広さの居間が広がった。昔はここに多くの貴族たちが集まったが、もうここに来る者はいない。


「お茶にしましょう。すぐに淹れますね」

「大丈夫よ。お墓に行っているわ」

「階段、お気を付け下さい。雪で滑りますよ」


 ヨナクートの声に手のひらで返し、フィルリーネは居間を通り過ぎて家の裏手に出る。

 裏は小さな庭園だが、草木の枯れている冬は寂しい。小道を通り少し離れると、山肌に階段が作られていた。岩を削った階段で、壁の上に繋がっている。足を踏み入れたが凍っているので、滑ったらコロコロ転がるやつだ。


 気を付けて上まで登ると、木々に囲まれた細い道が見える。そこを潜り抜けると、開いた場所に出た。ぶわっと空気が流れて、一瞬で肌を凍らせる。視界の先は海が広がり、波が岩壁に当たる音が聞こえた。

 足元には、平たい四角形の石が埋まっている。石に刻まれた言葉の上に花が乗っているが、凍ってしまっていた。暖かい温室で育てた花を置いたのだろう。この時期に、花は咲かない。


「叔父様、婚約の儀式を終えたわ。婚姻までには、終わらせるわね」

 そっと触れた黒光りの石はひどく冷えて、フィルリーネの指を湿らせた。

「次に来る時は、お花を持ってくるわ」

 エレディナはふわふわ浮いて、目を背けるように、海に視線をうつした。


「今日は、マリオンネが良く見えるわね」

 遠目に見える黒い粒。マリオンネの浮島がいくつも見える。もっと遠目には、薄っすら大陸のような影が見える。海の上に見えるのではなく、空の上に見えるのだから、いつ見ても不思議だ。ここからは少し遠い。もっと近くに見える場所があるが、ルヴィアーレを案内するか迷っている。

 話のネタがなくなったら出そうかな。


 フィルリーネは、持ってきていたフリューノートを胸元から取り出した。指が冷えているのでうまく弾けそうにないが、叔父ハルディオラに祈りを捧げるために持ってきたのだ。

 叔父ハルディオラも音楽が好きだったので、ルヴィアーレがやったように精霊に祈りを捧げれば、きっと好むだろう。


 何度か指をさすって、フリューノートを構える。

 震える音に、精霊たちが誘われる。光を伴う精霊たちが集まりはじめる。赤や青、黄や緑。いくつものわずかに違う色の光が灯っては、薄くなり、瞬くようにした。

 音が風に乗って広がるように、精霊たちに届いていく。


「マリオンネにも、届いたわ」

 エレディナの微かな声に、精霊たちが頷いた。





「ぞろぞろ引き連れて。ちょっと、この階段狭いんだから、押さないでよ!」

「押されたら、転がり落ちるの私だけですから、やめてください」


 精霊たちが、きゃっきゃ言いながら後ろからついてくる。先ほどの演奏がお気に召したようで、精霊たちは嬉しそうだ。人の後ろで、エレディナと押し合っている。

 雪崩れてきたら、怪我するの私だけだし、怖いからやめて。

 滑る階段を降り切ると、そこにも精霊が集まっていた。さながらお祭りだ。魔導を乗せて演奏したので、結構な数が集まってしまったようだ。


「ほらほら、帰んなさいよ。もう見世物は終わりよ」

 エレディナはすげなく精霊たちを追っ払う。自分に相性の良くない精霊たちがいると、ぎーっと言って追い返した。エレディナさん、少し大人気ないね。


「っ、ほら、あんたが魔導なんて流すから、面倒臭いのが来たわよ!」

 そう言うと同時、空に羽ばたく音が響いた。精霊たちが一気にエレディナとフィルリーネの後ろに隠れる。

 きゃーきゃー言っているけれど、隠れきれてないよ。見えてるよ。


 空を見上げると、真っ赤な翼を持った翼竜が、ゆっくりと旋回しているのが見えた。

「うわ、来た!」

 エレディナが叫ぶと、精霊たちがきゅーきゅー集まってくる。

 だから、隠れてないって。


 真っ赤な翼をばさりと鳴らし、鎧のような硬い皮膚を持った翼竜が降りてきた。

 血のような鮮やかな赤。口元の牙は光り、頭には捻れたような黒く鋭い角が後ろに向け生えている。開いた前足の爪は獲物を軽く捻り潰すほど大きく、抉るような長い爪が鋭い。長い尾は、当たっただけで身体が押しつぶされてしまいそうだった。背中から尾にかけてあるトサカのようなひれが黒く、とても毒々しい。


「ちょっと、押さないでよ!」

 押されたら、私が押されます。

 エレディナがフィルリーネの背をぐいぐい押してくる。エレディナの後ろにいる精霊たちが、隠れるつもりで背中を押し続けているようだ。


 翼竜はゆっくりと羽を動かして降りてくると、足元から黒い霧がかかるように別の形に変化していった。ドスン、と地面に降りたのは、身長の高い赤髪の男だ。

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