第32話 演奏2

 集まってきていた精霊たちが、ほわほわと街へと散っていく。

 ルヴィアーレの演奏が終わったので、興味を失ったようだ。街の喧騒が気になるのか、音の鳴る方へと飛んで行ってしまった。


 私ももう、そろそろ行きたい。

 祀典ももう終演である。ルヴィアーレの演奏が終わったので、王族は席を立つ時間になった。この後、パーティもあるが、フィルリーネはいつも行く


 さあ、戻ろう。会場内は興奮冷めやらぬと浮き立っているが、王が席を立つと人々がざっと赤絨毯から退いた。


 その時だった。遠くで爆音がしたのは。


「きゃああっ」

「何だ!?」


 テラスに繋がる扉の向こうで、もう一度爆音が聞こえると、扉がバッと開く。貴族たちが右往左往する中、騎士たちが動き出し、扉の向こうを確認しに行った。

 中廊下から悲鳴が聞こえ、再び何かが破裂した音がこだまする。


 何をやらかした。

 王は素知らぬ顔をしているが、騎士団たちが王を取り囲んだ。


 どっちだ。誰が誰を狙う気か。


「魔獣が!」

 聞こえた声に振り向く前に、真っ赤な毛並みの細長い身体を持つ魔獣がテラスに入り込んだ。


「ドミニアンだ!」

「きゃああっ!」


 四つ足の魔獣ドミニアンが身体をしならせて勢いよく走りこんでくる。長い尾を振り回しながら大きな口を開き牙を見せると、悲鳴の上げた女性に噛み付いた。

「誰か! いやあっ!」


 騎士たちがドミニアンに剣を振りかぶった。突き刺されたドミニアンは雄叫びを上げながら騎士へと向かう。

 ドミニアンは一匹ではない。何匹放たれたのか、あちこちで悲鳴が響き、逃げ惑う人々でごった返した。

 テラスからは扉をくぐり中廊下に入るか、テラスの外廊下で階下に降りるしかない。そちらに皆が押し寄せて、会場は混乱した。


 王を守っていた騎士たちは剣を持ったまま、しかし中に魔導士がいたか、魔法陣を描いて王をその上に歩ませた。

 その魔法陣は転移用の魔法陣だ。人一人運ぶ転移魔法陣は力がいる。このまま王一人で逃げる気か。

 王の真下にある魔法陣が金色に輝くと、王だけが姿を消す。王騎士たちはそれを合図にドミニアンへと向かった。


 連れたのは誰もいない。ミュライレンとコニアサスはどこだ。

 人々が右往左往するので、二人の姿が見えない。ルヴィアーレは隣で剣を抜いていた。レブロンやイアーナ、サラディカも剣を抜く。


「ミュライレン様! コニアサス様!」

 テラスの端でミュライレンがコニアサスを抱いたまま、柵に背を向けて騎士に守られている。しかし、側にいた側仕えの悲鳴に、ドミニアンが顔を向けた。


 ドミニアンは音に敏感だ。逃げる足音や悲鳴に向かって攻撃を繰り出す。凶暴でもドミニアンに会ったら静かに立って構えていればいい。それだけなのに。


「アシュタル! 何をやっているの。わたくしを護りなさい!!」

 フィルリーネの大声に、ドミニアンが方向を変えた。

「フィルリーネ様!」

 アシュタルの声がどこからか響いた。


 ドミニアンが大口を開けて、こちらへ走り込んでくる。

 フィルリーネは舌打ちしていた。ここで剣を出すのか、一瞬迷った。エレディナが動こうとする。それだけは駄目だ。心の中で叫んでエレディナを制止している間に、ドミニアンは助走をつけて飛び上がった。


「フィルリーネ様!!」

 アシュタルの声がテラスに響く。


 腰元に隠してあった短剣を手にするフィルリーネの前で、ドミニアンは血しぶきを撒き散らしながらフィルリーネの横へ吹っ飛んだ。


 ぎゃん、と言う鳴き声は横に逸れて、純白のマントがふわりとはためいた。

 銀の煌めきは朱に濡れて、ポタリと地面に落ちる。


「ルヴィアーレ様……」

「大声を、上げませぬよう」

 静かな声音。ルヴィアーレはフィルリーネを見ずに周囲を確認した。


 ドミニアンはひくりと動くと、そのまま息絶えた。ドミニアンは丸顔で愛らしい顔をしているくせに、強い顎を持ち手足も太く、大の男よりも一回り大きいくらいの魔獣だ。一撃で倒すには力がいる。

 優男に見えて剣技もあるらしい。何だかもう計り知れなくて、逆に寒気がする。王は間違ってこの男を引き込んだのではないだろうか。


 ルヴィアーレが自分を庇うとは思わなかった。

 いや、皆がいる手前護らなければならない立場だ。それを率先して行うとは思わなかったが、近くにいたため止むを得なかったのだろう。悪いことをした。

 まあいいか、私の株が下がったし。


 ルヴィアーレの株はさらに上がったようだ。座り込んでいる令嬢が、ルヴィアーレをぽやっと見上げている。

 そこで現実逃避しないで。


「フィルリーネ様!」

 アシュタルではなく、フィルリーネの警備が今更やってきて、安堵の表情を浮かべる。王女に何かあっては彼らの責になるからだ。遅すぎるんだよ。と言う突っ込みを我慢して、フィルリーネはスカートを翻した。


「警備は何をやっているの!? お父様は!?」

「王は既にお逃げになられたようです。こちらも移動しましょう」

 ドミニアンはあらかた片付いたようだ。赤毛の魔獣がそこらに横たわっている。しかし、横たわっているのは魔獣だけではない。


 誰かが王を討つ気だったのか。それとも王が誰かを討つ気だったのか。どこの馬鹿がこんな真似をしたのか。無駄に犠牲を出して、無関係な者たちを巻き添えにした。


「そこのあなた、さっさと彼女たちを運んで差し上げて」

「はっ!」


 その辺の王騎士団員に命令すると、気を失って倒れ込んでいる女性たちを運び出してもらう。噛み付かれて衣装が破けてしまっている。マントをかけてやればいいのに、気が利かない。

 呻き声が聞こえるので生きてはいるが、肩口にかけて大きくえぐれている者もいる。あれでは生き延びられるか分からない。


「魔導院は何をしているの。医師たちを早く呼びなさい!」

「フィルリーネ様、ここは騎士たちに任せて、参りましょう」


 レミアが震えながらフィルリーネを促す。血を流している者たちを見ていられないようだ。だったらお前だけ戻れと言いたい。ここで指示をすべき王族が先に逃げて何になる。

 あの王はさっさと自らだけで逃げていった。自分の妻と子供も置いて。


 ミュライレンとコニアサスは騎士たちに連れられて、もう姿はなかった。そこだけは安堵して、仕方なく自分もそこを離れることにする。ルヴィアーレは剣を持ったまま、側に控えていた。


 腹が立つ。何が腹立つって、自分が何もできないことだ。


 動いていたアシュタルと目が合って、アシュタルは周囲に分からないように小さく頷いた。後でアシュタルの報告を聞くしかない。


「部屋に戻ります」






「上で何かあったのか?」


 バルノルジは当たり前のように聞いてきた。上って城のことである。街に警備騎士が増えたことと、大きな破裂音が何回か聞こえたらしい。


 街に降りると、城の騒ぎを知らぬ街の者たちは、笑顔で祭りを楽しんでいた。爆音を聞いていた者たちもいたが、鳥追いで賑やかだし、誰かが羽目を外して何かをしたのかもしれないと思う者ばかりで、城で襲撃があったことは分からなかったようだ。


 警備騎士たちが門を閉めたのは、一部の者たちしか気付いていない。祭りの時は店の多い市街地東部か、鳥追いを行う市街地北部を中心に人が集まるので、門が閉められても分からないのだろう。


 鳥が走りすぎて道が解放されると、皆は道に机を置いて自分たちで食事をしたり各々演奏したりする。その姿を見ながら東部地区へ向かうと、自分の店ではなくいつもの食事をする店の前にいたバルノルジに会った。

 バルノルジは警備が増えていたことに気付いて、丁度東門に行く途中だったようだ。


 見えてきた東門は閉じられている。街に入ることはできても、外を出るのに調べがあるようだった。祭りの途中で外に出る者は少ないので、混雑しているわけではない。


「グライデ」

「バルノルジさん」

 バルノルジが声を掛けると、飴色の髪の男が振り向いた。どこか戸惑っているような雰囲気に、バルノルジが眉を寄せる。


「やっぱり、何かあったか。何で門を閉めたんだ」

「上からの命令で、おかしな輩が外に出ようとしていないか、門を閉めて調査しろと」

「それだけか?」

「それだけです」


 それではどうやって何を見付けていいか分からないだろう。バルノルジが呆れた顔をしながらも、フィリィを見遣った。知っているんだろう? の目だ。


「祀典中、襲撃があったようですよ」

「襲撃って!?」

「おいおい。それでおかしな輩を調べろって、無理あるだろう」

「犯人像が分からないようですから」


 城では騎士団たちがあちこちうろついている。王族は部屋を出ないように警備に囲まれた。自分が部屋から出ないと知っているので何も言われなかったが、王の棟や第二夫人とコニアサスの棟は警備を強化したようだ。

 ルヴィアーレについては聞いていない。おそらく特に何もしていないだろう。


「祀典中に魔獣が入り込んだようで、怪我人も多く出ました。誰を襲おうとしたのかは分かりません」

「また、魔獣が入り込んだのか」

 バルノルジは大きく溜め息を吐いた。十年以上前の事件を思い出したようだ。


「城に魔獣が入り込むなんて、あるんですか?」

「前もあったんだよ。あの時も精霊に祈りを捧げる祭りの日で、その時はそんな犠牲はなかったはずだが」

 グライデの問いに、バルノルジは溜め息混じりだ。


 あの時は、エレディナが全てを仕留めた。叔父ハルディオラについていたエレディナは、当時叔父ハルディオラを護る際、周囲を気にせず姿を現した。

 叔父を狙った者は、唖然としたことだろう。一体何が助けに入ったのか、驚愕したに違いない。


「今回は、被害がひどかったんだな」

「王の弟がいませんから」

「ああ、あの時は精霊に護られた方がいたからな」

 バルノルジは納得したようだ。グライデが首を傾げる。王の弟を覚えていないのかと問われて、さらに首を傾げた。


「お前、当時も兵士だっただろうが。王の弟のハルディオラ様だ。いつも黒の剣を持った男と一緒に行動されていた方を覚えていないか? この辺りにだって、気にせずうろつかれていた方だぞ」

「え、っと、真っ赤な髪をした男と一緒にいた、穏やかそうな方ですか!?」

「それだ。真っ赤な頭で黒の剣を背中に背負っていた、いかにも堅気でない男と一緒にいた方だ」

「えっ!? 王の弟なんですか!?」

「知らないのか!?」


 バルノルジは驚いたようにしてグライデに呆れ顔を見せる。フィリィは苦笑した。

 赤毛の黒い剣の男は、街中を歩いていたら馬鹿みたいに目立つだろうが、一緒にいる男はとても地味で、普段の格好も街の人と変わらないような服を着ていた。そのせいでどちらがお供なのか分からないほどだった。赤髪に気を取られていたら、叔父ハルディオラには気付かないだろう。


「ハルディオラ様は精霊に護れられておられたから、供を付けたり付けなかったりしながら、街をうろつく方だったんだ」

「あれが、いや、あの方が王の弟……?」


 にわかに信じられないと、グライデが目を泳がせた。おそらく顔も思い出せないに違いない。赤毛の男の存在感がありすぎる。

 その赤毛の男は、今は引退してのんびり山で過ごしている。叔父ハルディオラが死んでから、叔父の隠れ家のある山に帰って、王都に姿を現さなくなった。


「あの方は精霊に護られているから、何かあると精霊が対処してくれるそうだ。精霊の祭りで王族が襲われた時にも、人型の精霊が助けたと聞いた」

「人型の精霊ですか。そんなの本当にいるんだ……」

「俺も見たことはないがな」


『姿を現わしてほしいなら、現わすわよ』

 頭の中で響く声に、やめなさい。と言っておく。エレディナは時折いたずらを好む。全般的に精霊はいたずらを好むのだが、今はやめてほしい。


「亡くなられたんですよね、王の弟って。すごく昔に」

「もう十年近いな。ハルディオラ様がご存命ならば、この国ももっと……。いや、とにかく、城を狙うような奴がいるんじゃ、祭りに気を取られてる暇はないな。頑張れよ」

 バルノルジはそう言ってグライデの肩を叩くと、踵を返した。フィリィもその後を続く。


「城に魔獣が入ったってのに、適当な警備をやらせているな」

「城の中にいる敵が、すぐ外に出ることはないですからね」


 フィリィの言葉にバルノルジは、うっ、と唸ると足を止める。じっとり人の顔を見て、何か言いたそうな顔を、溜め息を吐くことでやめた。

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