第31話 演奏

 バルノルジさんが自分に連絡する方法かー。何かないかなー。


 すぐに知らせが欲しい時に、何かを城に飛ばす。捕まるね。兵士に捕らえられるね。しかも、他の者たちに知らせないようにって、結構難問じゃない? 何か鳴らしても、私気付かなかったら意味ないの。ないのよ。

 そしたら、何? どうする??


「……様。フィルリーネ様、フィルリーネ様。ルヴィアーレ様がいらっしゃいました」

『ちょっと、側仕えがあんたのこと呼んでるわよ!!』


 脳内で大音量で怒鳴られて、フィルリーネはびくりと身体を震わせた。顔を上げるとレミアが困ったようにヴェールを持って待っている。精霊に祈りを捧げる日は国民に姿を晒す日でもあるので、それなりの装いをし、顔が見えないように女性は頭にヴェールを被る。


 ルヴィアーレが迎えに来ることになっていたので、用意をし終えてソファーでくつろいでいたのだ。現実逃避したくて別のことを考えていたら、もうルヴィアーレのことを忘れていた。


「あら、もうそんな時間?」

 相当呼んだらしい。扉の横でムイロエが眉を吊り上げている。行きたくない気持ちがいっぱいすぎて、呼ばれた声も聞こえなくなっていたようだ。

 本日の祀典の主役は、ルヴィアーレである。ムイロエならびにその他大勢の女子たちは、待ちきれないようにそわそわした。


「美しいです。フィルリーネ様」

 ヴェールを被って完成した姿を褒めてくれたレミアは、まだルヴィアーレにご執心とまでいかないらしい。正装したフィルリーネにお世辞を言うと、他の者たちが思い出したように似たようなことを言ってきた。


 王女にお世辞を言うのを忘れるほど楽しみにされるとは、ルヴィアーレ、さすがだな。

 なんてどうでもいいことを考えて、ルヴィアーレを待たせている待合室へと移動する。


 フィルリーネの棟に訪れても、ルヴィアーレは自由に部屋を移動できない。そこはまだ婚姻前なので、遠慮しなければならないわけだ。

 入れるのは政務などを行う政務室や会議室など公務に行う部屋で、あとは客用の応接間や待合室のみ。植物園などもあるが、入れるかと言ったらお断りである。私用の部屋などは言語道断だ。


 その待合室で待つルヴィアーレが、どんな衣装を着ているとか、正直どうでもいい。

 しかし、我が棟にいる女性陣のその期待度よ。

 待合室に行く前の廊下で、フィルリーネはなぜか女子にやたら会う。


 暇なのか、君たちは。

 フィルリーネの顔を見て皆逃げていくが、フィルリーネが行かなければルヴィアーレが部屋から出てこられないことが分かっていないのか、聞きたくなる。


 ルヴィアーレの正装は一度見た事があるはずだ。思い出してほしい。最初にこの城に来た時に着ていただろう。

 金で縁取られた紺青のマントに細かい刺繍、中は指先まで隠れるほどの大きな袖を持った白を基調とした金のチェニックで、ほとんど足元も見えない。胸元にはラータニアの紋章が描かれて、濃紺のベルトの細かな刺繍が美しかった。


 ほら、覚えている。そんな感じだったよ。きっと、今回もそう。

 扉が開いて中に入ると、ルヴィアーレが立ち尽くして待っていた。


 うわお、真っ白だった。


 左肩から流れた純白のマントに、種類の違う白で細かな刺繍がされている。縁取りは黒の刺繍でこれもまた細かい。縁の裏地は暗黒なのに、中は深く濃い紫めの赤だった。マントが翻るとその深い濃い赤がよく見えて、銀の髪にひどく映える。


 後ろでムイロエが、まあああ、って声に出しちゃいました。

 先ほど人の顔を見て逃げた女子たちが戻ってきて、なぜか扉の前に集まりだした。

 こら、どういう事だ。仕事に行け。


「お待たせしましたわ」

「いえ、参りましょう」

 部屋を出るのに、そのままルヴィアーレを置いて出たい気持ちをこらえて、出された腕に気持ち程度触れる。

 女性陣の視線が痛い。


 道行く女性陣が通路の端に避け、人の顔を睨んでから隣を見て目を潤ませるので、ルヴィアーレの衣装はとてもお似合いなのだろう。よりによって、フィルリーネの衣装も上着が濃い赤、そして中のブリオーは、若干濃い赤に白の刺繍入り!


 運が悪過ぎた。別にお揃いにしたわけではないよ、悪しからず。


 何が面倒って、一緒に行動しなければならないことだ。祀典の間、ずっと隣にいなければならない苦痛。早く街の祭りに行きたい。


 ルヴィアーレはフィルリーネの歩みに合わせながら歩くが、笑顔の裏の嫌悪感が半端無い。この間の嫌味が尾を引いているか、イアーナの不機嫌顔も隠れていない。フィルリーネに近付けないようにしているが、顔を直すのは難しいようだ。


 会場は街が一望できるテラスで、街の人間は見えても顔までは見えない高所だ。相手からも誰が誰だか全く分からないだろう。

 催しとしては王の挨拶から祈りを捧げる祝詞が唱えられ、その後は演奏を聴き、軽い茶会である。その間、街では供物の鳥を放ち広場まで追い立てて精霊に捧げた後、解体して皆で食べた。食べながらのお楽しみは演奏会だ。


 私も街に行きたい。


 会場には人がごった返し、王族が通る赤の絨毯の上だけを、誰も踏み付けずに避けている状態だ。

 ルヴィアーレのエスコートで扉を潜ると、誰もいない演台に椅子が並べてある方向へ向かった。一番豪華な椅子の両脇に二脚ずつの椅子は、第二夫人ミュライレンとコニアサスが座る。反対側がフィルリーネとルヴィアーレが座る椅子だが、その隣には開いた空間があった。


 いつもならそこにミュライレンが弾くロブレフィートが置かれるが、今日は何も置かれず、真っ赤な絨毯だけが敷かれていた。ここでルヴィアーレがフリューノートを吹くことになる。

 どこか不機嫌な雰囲気が消えないルヴィアーレは、まだ演奏をする気が起きないのだろう。自ら婚姻までに一年かかると言ってきたのだ。本当に精霊に愛されているのだろうし、彼としても相当不本意なことなのだ。


 椅子に座るよう促されてフィルリーネが座ると、ルヴィアーレが隣に座る。それだけで女性陣の、ほうっといった溜め息が聞こえた。

 ここまで王族が注目された事があっただろうか。いや、ない。


 ルヴィアーレの威力はすごいね。感心するよ。

 普段は舞台を気にも留めない女性陣が、今は釘付けである。周囲の男たちは嫉妬の炎に燃え、ルヴィアーレを射んとする視線を向けた。


 ここに座ったまま、黙ってニコニコしているのが辛い。会話も無いので無言で笑顔である。きつい。ルヴィアーレも同じように、緩やかに笑んでいる。

 その顔、疲れないのかな。私はもう疲れたよ。


 街は賑わっているのだろう、高所にあるこのテラスにもざわめきが届く。供物とする鳥の鳴き声が聞こえて、ルヴィアーレが微かに顔を向けた。


「祭りの鳥ですわ」

「鳥、ですか?」

 やはりラータニアではそんな祭りはないらしい。この祭りはこの国独自のもののようだ。長い歴史の中で、生贄を追うことになったのだろう。


「街では、精霊に捧げる贄を道に放ち、追うのです。追って仕留めた後精霊に捧げ、精霊の祝福をいただく。ですから、祀るのではなく、祭りなのですわ」

「贄を放つ、のですか? しかも、仕留めるなど」

「祀るとは違うと申しましてよ。鳥と言っても人の身長を超える大きさの飛べない鳥を数羽放ちますから、道は大混乱となります。怪我人も出ますし、街の人間にとっては度胸試しもあります。ラータニアにはそのような催しはなくて?」

「ございません。精霊の祭りで、殺生を行うなど」


 これは完全に分かり合えない話になりそうだ。文化の違いを理解するのは難しい。

 ルヴィアーレがどの程度精霊を見る力があるか分からないが、夕方まで待てば少しは祭りの意味も理解できるかもしれない。夕方は部屋に戻らなければならないので、見ることはできないけれど。

 街に連れて行ってやりたいが、それも難しい。


 埒のあかない会話に入り込んだのは、王の登場だ。フィルリーネとルヴィアーレは立ち上がり、王が席に着くのを待つ。後ろからミュライレンとコニアサスが静々と付いてくる。王が席に座ると、もう一度席に座った。

 席に座った王に注目する聴衆は静かになる。祭典に出席できる街の人間も広間に集まっている。高低差があるのでよく見えないだろうが、偉い人がいるくらいは分かるだろう。王はゆっくりと立ち上がった。


「我が国グングナルドの精霊たちに祈りを捧げる日が今年もやってきた。我々の日々を翼賛し、与え給えるその力に感謝を讃えよ」

 儀式は粛々と始まる。しかし、精霊に祈りを捧げると言っていながら、魔導も流さないため、精霊が全くいない。

 精霊が多く集まっていれば、魔導を強く持っている者にもほんのりと光が見えるはずだ。この状況に魔導士はどう思っているのか、一度聞いてみたいものである。


 祝詞を聞く精霊がいなくて、何が祀りだと、ルヴィアーレも思うことだろう。

 この儀式はただのフリだ。王が王であるために貴族たちが擦り寄るための、その時間でしかない。


 王の祝詞が唱えられたのを待っていたかのように、供物の鳥を放つ合図が聞こえた。

 プアンと鳴り響く音が街から聞こえると、すぐに大きな声援がこだまする。あの声援を聞くと精霊に祈りを捧げる日が始まった気がするのだ。


「フィルリーネ様。ご気分でも悪いのでは?」

「え、」


 王の祝詞は既に終わり、皆がグラスを口にしはじめている。これから貴族たちの王への挨拶が始まるのだが、フィルリーネはルヴィアーレを紹介しなければならなかった。

 ルヴィアーレが怪訝な顔をしつつ、出してきたその長い指に、そっと自分のそれを合わせて立ち上がる。

 王は挨拶回りの貴族に傅かれ、酒を片手に尊大に相手をしていた。


「フィルリーネ様?」

「あら、ベルトクト様。お久し振りですこと」


 ルヴィアーレの問いかけに、フィルリーネは前から集まってきた顔に挨拶をする。あまりにここにいたくなくて、つい呆けてしまった。

 王女の顔色伺いは貴族たちの義務みたいなものだ。できるだけ早く並び声を掛けた方がいいと思うのだろう。王女はよく飽きて途中で抜け出してしまう。


「ご婚約者を紹介していただきたいですな」

「ルヴィアーレ様は本日フリューノートを吹かれましてよ。楽しみにしてらして」

「フィルリーネ様、ご機嫌麗しく」

「ルヴィアーレ様、是非楽しみしております」


 同じ言葉を言って同じ言葉を聞いて、まったく何が楽しいのだろう。ここで疲れた顔をしないルヴィアーレはさすがだと思うし、その笑顔を絶やさないところなんて、感心する。

 ルヴィアーレはそつなくこなし、おべっか使いたちに笑顔で頷く。王都に住む貴族たちや、地方の領主たちも集まっていた。第二都市カサダリアではカサダリアで行うので、ガルネーゼはいない。魔導院の関係者もいないが、騎士だけはいた。


「厳重な警備ですね」

 気になったであろう、ルヴィアーレは挨拶が区切れた時に話を切り出してきた。

 テラスの上だけでなく、その周囲の外廊下や階上のベランダにも警備の騎士たちが配備されている。皆剣を腰に帯びて、厳戒態勢だ。


「魔獣が入り込むとお伝えしたでしょう? ここにも入り込んだことがございますのよ」

「ここに、魔獣がですか?」


 にわかには信じられないだろう。防御壁の成されたこの城は、城壁の外から全てを包むように魔導の壁で守られている。更に今自分たちがいるこのテラスには、色のない防御壁がかけられ、攻撃されてもある程度はもたせる結界が成されていた。

 それなのに、魔獣が入り込んで、人々を襲った。


 フィルリーネはゆるりと笑う。

「あの時は本当に、生きた心地がしませんでしたわ」

 ルヴィアーレは微かに眉を歪め、周囲をもう一度視線で確認した。テラスを囲むように一枚。その規模は大きいが、街一つを囲むほどの魔導はいらない。小さな魔鉱石があれば何の問題もない広さだ。


「このようなところに、翼を持つ魔獣が入り込むのですか?」

「いいえ、地上を走る獣よ」

 ルヴィアーレは口を閉じた。警備の薄さを笑うか、防御壁の薄さを笑うか。

 いいや、笑えないだろう。これだけの警備をしても入り込むのだ。


「お気を付けになって」

 ルヴィアーレが狙われることはないと思う。だが、どう転がるか分からない。このような場所でも何かが起きることを、想定しておいた方がいいのだ。


 ルヴィアーレは、視線だけで自分の部下たちを確認した。


 初めから叔父を狙ったのだと、誰が信じるのだろう。

 十年以上前の話だ 突如鋭い歯を持った獣がテラスに入り込んだ。城の中を走ってきたのか経路は分からない。ただ一直線に、叔父ハルディオラを目掛けて走り込んできた。

 控えていたエレディナによって事なきを得たが、それが一体何者の手によって成されたのか、証明することはできなかった。


 宴もたけなわ。王族への挨拶も終わり、軽い食事にも満足して、酒を飲みながらほろ酔いになっている頃、演奏は始まった。


「まあ、」

「なんて、」

「し、静かになさって」


 ルヴィアーレの登場に、テラスは色めき立った。銀色のフリューノートは良く使われる横笛だ。嗜む貴族も多い。フィルリーネも吹くことはあるが、あまり得意ではない。王族の嗜みとして楽器は一つ得意なものを持っていないとならない。ルヴィアーレの場合、それがフリューノートなのだろう。


 街並みの喧騒が遠くに聞こえる中、儚いが響きのある音が奏でられる。

 演奏する前は、その気がなかったはずだ。しかし、いざ吹き始めたらその気持ちもどこかに失せてしまったのかもしれない。


 言葉も出ない。女性陣はルヴィアーレの音に引き込まれるように熱い眼差しを向けた。ほとんど凝視だ。ある者は目を奪われて逸らすこともできず、わなわなと震えている。

 男性陣ですら呆気にとられていた。

 精霊へ捧げる感謝が言葉であるより、演奏である意味が分かるほどだ。


「なんと美しい……」

 男ですらそんなことを呟いてしまう。恐るべき色気。


『やるじゃない』

 エレディナが珍しく驚きをもってルヴィアーレを褒めた。エレディナの興奮が伝わってくる。精霊にもウケのいい演奏に、人が抗えるわけがない。

 演奏を聴いていると、ルヴィアーレの周囲から暖かな力を感じた。精霊向けに演奏しながら、自分の魔導を乗せているのだ。


 そんなやり方あるんだなあ。だから、演奏で精霊が怒る可能性があるのだ。

 これが本来の、精霊に感謝を捧げる演奏なのだろう。この国の祭りと違うわけだ。自分の魔導を消費して演奏を行うことはない。むしろそんなやり方、誰も知らないと思う。


 ラータニアではこれが普通なのだ。精霊に愛される国と言うのは、あながち嘘ではない。

 感謝とともに自分の力を捧げる演奏など、この国で行われるわけがなかった。精霊が住みやすいように自らの力を土地に注ぎ、精霊を呼ぶ儀式と同じものなのだろう。その土地にすら行こうとしない王には、できない真似である。


 これならば、横笛の方が持ち運びができて良いだろう。ロブレフィートを持ち運ぶわけにはいかない。大きさがありすぎる。横笛を持って演奏を行って、精霊に喜んでもらえるならば、その土地に呼ぶことができるのかもしれない。


 フリューノート、あんまり得意じゃないんだよね。これは練習が必要だね。


 音ならば響いて、遠くまで届く。その土地に方陣を作り捧げるより、音の方が気付きやすいような気もする。

「今度、やってみようかな」

 余韻を残した繊細な音色が届かなくなると、一斉に拍手喝采が溢れた。

 そのすぐ後にふらつく女性陣。もう立っていられないらしい。


 息もつけないような聞き惚れる美しい音色に、本当に息ができなくなったようだ。辺りで倒れた音が聞こえて、ルヴィアーレの威力に白旗を上げそうになった。 

 精霊に愛されるって言うだけあるよ。怒りを買うどころか、精霊が集まってきた。


 青色の光や黄赤の色を纏う精霊が、ふわふわ漂ってくる。ルヴィアーレは見えているのか、ふっと一瞬口元を緩ませた。その時の表情を見ていた女性が、顔を真っ赤にした。


 威力。威力すごいよ!


 ルヴィアーレの美貌とその演奏の色気が重なって、ふらつく人続出。

 噂に違わず、ちゃんと芸術に深い造詣をお持ちです!

 横笛フリューノートで色気とか。意味分かりません。


 ルヴィアーレはあっという間に他の貴族たちに囲まれた。

 いやあ、出来過ぎでしょう。何あれ、女性陣、まだうっとりして、戻ってこれないよ。


 ここで失敗なんてしないと思っていたが、やり過ぎである。王女フィルリーネとしては、偉そうに自慢しなければならない事態だ。何せ、婚約者だからね。


「素敵でしたわ」

「ルヴィアーレ様は、音楽にまで秀でていらっしゃるのね」

 戻ってきたルヴィアーレが、女性陣を後ろに引き連れてやってくる。

 うん、その後ろ、いらないな。


「さすがですわね。わたくしの婚約者だけあります」

 言った言葉で、ルヴィアーレの青銀の目から光が失われた。ごめん!

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