第29話 精霊の祀典 前日

「マットルー!」

「うわっ。何、フィリィ姉ちゃん!?」


 マットルの姿を見付けた途端、フィリィはマットルに飛びついた。いきなり上からぎゅっと抱きしめられたマットルは、驚きに頰を染めて身体をよじらせる。


「私の癒し……」


 子供体温にほっとしながら、それでも離さない。離さなかったら他の子供たちが面白がってくっついてきた。足に絡んでおしくらまんじゅうである。夏なのにそこだけ異様な押し合いが始まった。


「暑いよ、フィリィ姉ちゃん」

「うう。癒しが足りないよう、マットル。お姉ちゃん、心が荒んで、人生辛い」

「何それ」


 人のお腹の前で、マットルが首を傾げようとした。しかしぎゅっと抱きしめて離さないので、マットルがフィリィの腰のあたりをぽんぽん叩く。すごく暑いらしい。


「はあ、足りない。癒しがほしい」

 フィリィが足に絡まった子たちを抱きしめると、子供たちもマットルの真似をしてぽんぽん叩いてくる。離すと別の子を追いかけ、追いかけっこが始まる。


「まーてー」

「きゃーっ!」


 旧市街は日光が注がない分、街の大通りを歩いているよりずっと涼しい。古い街だが風が通るように作られているので、凪いでいた風が吹き始めると気持ちがいい。

 子供たちに逃げられて走り回ると、その風が心地よかった。ここ数日の荒みが流されていくようだ。


 走り回って汗だくの子供たちを追い掛けていると、子供たちは暑さに用水池に飛び込む。水場に逃げられては追い掛けられない。靴を脱いでその池に足を突っ込み休憩すると、マットルが心配そうに隣に座り込んだ。


「何かあったの?」

「疲れが溜まって、癒しを求めにきた」

「何それ」


 癒しの一人に怪訝な顔をされてしまった。フィリィは肩にかけていた鞄から、木箱と木片を取り出す。新しい玩具だ。

「マットルにあげる。計算機。大きい数字になると計算難しくなるから、これで答え合わせするといいわよ」

「これで?」


 全部で百ある四角の木片と、その木片が縦に並べられる区切り付きの箱だ。木片一つが入るその下に、数字が入っている。もちろん蓋付き。


「右端から一の位。その隣の列が十。次が百。数字が全て入っているから。数字分、数をはめていけば足し算も掛け算も簡単にできる」

「もらっていいの?」

「マットルのために作ったの。小さめに作っているから、小さい子じゃ口に入れちゃうでしょ。計算の練習に使ってね」

「あ、ありがとう! おれ、頑張る!」


 笑顔でその木箱を抱きしめる。その顔を見ただけで心が癒された。

 やはり、自分は自分が作ったものを喜んでくれる顔が見たい。天職だと思う。さっさと王女なんて卒業したい。


「じゃあ、また来るから」

「え、もう行っちゃうの??」


 マットルはフィリィのスカートを引っ張った。今日は勉強もしていない。

 しかし、あまり時間がなかった。これから行かなければならないところがある。もっといたいのは山々だが、余裕がない。


「バルノルジさんのところに行くの」

「おれも行く!」

 まだ離れがたい。そんな顔をするので、断る理由がない。大事に木箱を抱えたマットルと、バルノルジが良くいる店に行くことにした。


「随分、混んでいるわね」

「お祭りがあるからね」


 街がいつもより賑やかなのは、精霊の祭りがあるからだ。いつもならば路肩にある樽や看板が片付けられ、窓などが壊されないように板で打ち付けている姿を見る。あちこちでそれを行なっているので、道が狭くなっていた。


 精霊の祭りは街の人にとって大事な催しであると共に、稼ぎ時でもある。たくさんの人が祭りついでに街に出て、食事や買い物をしにぶらぶらするのだ。鳥を放つ道以外では露店が出て、酒や食事、土産物が売られたりする。

 その用意に皆が参加する。広場では精霊に奉ずる演奏のための舞台が作られていた。楽器を持っている人は少ないが、毎年ここに原盤楽器ロブレフィートが置かれ、演奏家たちが自由に弾く。自作の太鼓や金物を持ち寄り、歌を歌ったり踊ったりする。


 その雰囲気を見に、精霊たちも集まってくる。皆に見えなくともその楽しみは精霊に繋がっている。その風景をルヴィアーレに見せてやりたいと思うが、まあ仕方ない。

 結局、彼は祀典でフリューノートを吹くことになった。王に確認すれば、好きにしろとの返事だった。許可を得られれば、ルヴィアーレは何も言えない。


 ルヴィアーレは、精霊を怒らせれば街の人々に影響が出ると心配しているのかもしれない。

 大丈夫だよ。そこでの演奏は、むしろ精霊がそんなに聞いていない。

 ミュライレンの演奏は、それは素敵なのだが、街の賑わいの方が好きらしく、階上まで多くは聴きに来ない。街中の方が余程賑やかで楽しげで、精霊の好みなのだろう。エレディナもしっとり聴くのもいいが、やはり笑い声が聞こえる街の方が好きだと言う。


 演奏を捧げるミュライレンは素晴らしくとも、周囲が精霊に対しての感謝をあまり持っていないのが分かるのだろう。城での祀典に出席すれば、ルヴィアーレも分かるかもしれない。精霊に祈りなど捧げず、王に擦り寄る者たちの、社交の場にしかならないのだから。





「フィリィ、マットルも一緒か。久し振りだな」

 毎々久し振りなので、やはりもっと、度々来れるようになりたい。心の中でそう誓って店の奥に入る。店でも露店を出すようで、店の前の道に椅子や机を設置していた。


「マットル、何、持ってるんだ? フィリィのおもちゃか?」

 目ざといバルノルジが、マットルの抱えている箱に目を付ける。マットルは目を輝かせて玩具を机に置くと、説明をしはじめた。


「これ、まだ見たことないぞ。これから作るのか?」

「マットル用なんで、まだ生産する気ないです」

「そうなのか? なら、権利はこちらで買うぞ?」

 待ってましたとバルノルジが身を乗り出してきたが、生産する気はないって言葉は耳に入らなかっただろうか。


「カサダリアでも話したんですが、今子供向けの知育玩具が増えてきてしまったので、一度止めることにしたんです。一気に作っても売れ残っちゃうんで。だから今は、貴族向けとかお金持ち向けのものと、大人でも使えるものに切り替えました」

「それなら届いていたぞ。魔獣の木札って、お前、詳しいにもほどがあるだろう」

 もう見たらしいバルノルジが、呆れの声を出した。隣でマットルが興味深そうに目を瞬かせて飛び上がる。


「何それ。魔獣の木札って何!?」

「兵士には売れそうな品だけど、街の人間も気になる物だ。ちょっと移動するか。まだ時間あるだろう?」

「今日は街を見るつもりだったので、丁度いいです」

「何を確認するつもりなんだ?」

 ただぶらぶらするだけとは考えないか、バルノルジは首を傾げた。祭りで何が売られるのか見たいのかと問われて、それも一つだと頷く。


「ラータニアの動向が知りたくて。商品とか、人とか、その動き。どの程度あって、増えてきているのかどうか」

「何か心配事か?」

 心配事になるかどうかは分からない。その布石ができてきていないかを確認したいのだ。


「王女の婚約者が本意で婚約に来たわけではないので、ラータニア王が動いていないか知りたいんですよ」

「……物騒な話だな」

「物騒でなければいいんです。デリさんがラータニアの商品を知りたがっていたので、その調査も兼ねて」


 バルノルジは頷くと高級街ではなく、東門のある一般大衆向けの店が多い道へ進んだ。市街地東部は商人の店が多い。そのため道に机などを出している店が多数ある。こちらは鳥が通らない道なので、道端に食事処を増やしたり、商品を並べる台を作ったりしていた。


「楽しみですね。祭り」

「そうだな。また、ロブレフィートを弾いてくれるんだろ?」

「そのつもりです」


 広場に設置されるロブレフィートを弾くのは自由だ。その代わり、ノリのいい曲でないと不満声が高まる。そうならないように、皆を楽しませる曲を弾かなければならない。

 祀典で弾かれるような、洗練された緩やかで穏やかな曲ではないので、フィリィも弾くのは楽しみにしている。

 街を警備している警備騎士はいるが、王女の顔を知っている者はそういないし、気付かれても王女本人とは思われない。楽しみな祭りなのだ。


「グライデはいるか?」

 バルノルジは東門にある門の案内所に行くと、おもむろにそう言った。もう無関係なのに、案内所の奥で休憩していた兵たちがざっと立ち上がる。


「バルノルジさん。グライデでしたら、今不審人物の見聞をしております。そろそろ戻ると思いますが」

「そうか、ちょっと、待たせてもらっていいか?」

「どうぞ。こちらへ!」

 バルノルジはフィリィとマットルを手で招く。まずいかな。と思いつつ、マットルが嬉しそうに入っていくのを見て、自分も入り込んだ。


 外壁に作られた部屋は壁内にある。外壁は厚く高く作られているので、壁内に部屋はいくつもあった。待合室や尋問室、牢屋なども作られているため、意外に広い。街の案内所も併設されており、門に訪れて受付で問い合わせが楽に行える。そこに入り込むと部屋になり、扉を出ると長い廊下になった。そちらには行かず、案内所の奥にある長椅子に座らせてもらう。


 マットルに渡した計算機をバルノルジに見せて待っていると、三十歳前後の、飴色の髪をした男性が寄ってきた。はっきりとした目に力を感じる。一度嬉しそうに笑って、すぐにがっと床で足を鳴らすと、両足を揃えた。


「こんにちは、バルノルジさん、今日はいかがされましたか」

「ちょっと、聞きたいことがあるんだが。祭りだから、人が多くなっているみたいだな」

「近くの村人や商人も集まってきています。もう、明日ですからね」

「街に入り込む、よそ者は多いか?」

「多いですね。王女様の婚約から増えていますが、最近は特に増えています」


 ふむ。とバルノルジが顎を撫でる。足を膝に乗せて組むと姿勢を崩したが、グライデは直立したままだ。もう兵でもないのに上下関係がはっきりしすぎている。


 未だ影響力があるのが良く分かった。バルノルジの強さと信頼度は若い兵士にも知られていると聞いているが、ここまで上長に対するような扱いを受けているとは思わなかった。街の警備を民間でも行なっていると聞いているので、兵士たちとも情報を共有しているのだろう。

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