第21話 カノイ

「まったく、フィルリーネ様にも困ったものだな」


 いつもの政務が終わってルヴィアーレが退出すると、にわかに政務室は賑やかになった。


 ルヴィアーレが婿に来る前から単純で簡単な政務はフィルリーネが行っていたので、王女専用政務室にいるのはお馴染みの顔の政務官ばかりだ。片付けをする傍ら、王女の文句を言うのは定例である。

 文句を言う相手がしばらく旅行でいないのに、その定例は始まった。


「カサダリアに行かれるのは久し振りだな」

「距離があるのに、列車で行かれるそうだぞ」

「いい身分だな。ルヴィアーレ様に政務をやらせて、連れて行こうともしないとは」

「付いていった方がルヴィアーレ様の心労が溜まるだろう」

「それもそうだ」


 政務としての仕事はあまり多くないため、皆疲労はない。疲労を溜まらせる人がいないので、今日は全員特に元気のようだ。ルヴィアーレものんびりと仕事ができただろう。計算用の紙を破り捨てて破片を持ち帰ったと思う。今日の気になる資料は何だろうかと考えるが、やはりフィルリーネが気にしていた不正に関してだろう。


 微細に組み込まれている数字の奇妙さに気付けるのは、ルヴィアーレがフィルリーネと同じ感覚を持つ数字が好きな人だからだ。政務官の中にも気付いている者はいるが、面倒ごとに首を突っ込むと左遷されるので、何も言わない。


 フィルリーネが行うと分かっているから、その書類に紛れ込ませているのだと、フィルリーネは言う。フィルリーネの元に迷い込んでくる不正の数々は、王とは関わりがない。フィルリーネがまともに政務を行わないと分かっている者の仕業だ。

 フィルリーネに仕事が振り分けられる者は限られる。中央政務関係者でなければできないので、犯人は中央政務室にいるのである。


 カノイの仕事はここからだ。誰がフィルリーネへの書類に不正の書類を混ぜたのか。その書類は一体どこから届けられたのか。誰が黒幕なのか。調査するのがカノイの仕事である。


 まったく、うちのお姫様は人使いが荒いよね。


「フィルリーネ様が出掛けられると、やたら買い物をするから、実は地方は潤うらしい」

 政務官たちの文句はフィルリーネがどこへ行ったかの話から、その立ち寄った地方の話にうつった。


「俺が聞いたのは、気に入った髪飾りがあったから、大量に買い付けたって話だったな」

「俺は気に入った菓子を買い占めて、貴族たちに配ったという話だ」

「いや、もっとすごいのがあるぞ。小型艇に乗りたいからと、数種類の小型艇を乗り回してあちこち移動したとか」

「それは、よくやられるやつだぞ」


 伝説は色々とある。フィルリーネがおかしなことをしても、あの王女だから。で済ませられてしまう。他から見たら異常なことでも、フィルリーネだから許されるということだ。


 それってつまり、陰で何かやるにはもってこいの立場になってるってことだよ。


「お陰でフィルリーネ様が訪れた場所は潤うというからな」

「あの方にしては良い仕事をしているではないか」

 政務官たちは大笑いしながら話を終えた。とりあえずフィルリーネを馬鹿にできたので、溜飲が下がるのだろう。

 終えた書類を持ちながら、カノイはふうっと溜め息をついた。


 それが本当の目的であると分かる者は、一体どれほどいるのだろうか。

 まあ、いないよね。僕も馬鹿な女呼ばわりしてたし。


 フィルリーネが行く場所にはたまに、どこそれ、誰から聞いたの? みたいな場所がある。最初の目的は別の街だったのが、なぜか途中で道が変わり、地方の田舎町やわけの分からない村に行くことになる。それがよくある小型艇乗りたい病から発生する、行く場所変更方法なのだ。


 あっちに何かありそうだから見たいわー。で行ける姫様がすごいよ。


 特に何もないような場所にまで行ってしまうので、フィルリーネが何を目的としているのかは分からない。実際全くなんの理由もなく行ったりしているので、目的を理解することはできないだろう。


 購入品は、旅の気分で買われる、と言われる買い方をする。帰ってきたら、大したことなかったわ。と他の貴族に渡したりするので迷惑な品があるそうだが、購入された場所としては潤うわけだ。ついでにそこの商品を宣伝することになるので、本当に気に入った人が購入を決めた例もある。


 それをどこまで計算してやっているかは知らない。けれど、成功している部分が多々あるので、購入層の選定をして物を見定めているのだろう。


 あの人、本当に変なんだよ。仕事するようになってから分かったけど、視点が違いすぎて、そんなことやって大丈夫なの? ってことを軽々とやっちゃうんだ。

 子供の頃から演じた馬鹿王女が浸透したら、勝手に外出て街の人間と仲良くなるような姫様だからね。


 幼い王女が一人で街をうろついているなんて、城の騎士からしたら白目を剥く話だ。

 しかも夜も街をうろついて、ひどい時には魔獣の多い森に入り込んで、魔獣退治してるというのだから。


 それをいつからやっているのか詳しく知らないけれど、僕なら心臓止まっちゃうよ。魔導院副長のイムレス様がよく許しているなって、今でも思う。勧めているのは、あの人らしいけれど。


「フィルリーネ様は、いつまで城を離れている気なんだろうな」

「結構長くいるんじゃないの? カサダリアでしょう?」


 同僚のガオモエルが思案顔をして言うので、とぼけたようにカノイは口にする。長くいてほしいから、帰ってくる日を知っておきたいのだろう。フィルリーネがいるのといないのとでは、精神的疲労が違う。案の定、ガオモエルは大きく溜め息をついて、しばらく帰ってこないでいいのにな。と言った。


 僕としては早く帰ってきてほしいけれどね。

 口にはしないけれど、アシュタルもそう思っているだろう。

 フィルリーネは知らぬところで色々なことをやりすぎだ。そして、やっていることを細かく教えてくれない。話す時間がとれないのが理由だが。


 いつも部屋に引き籠もって昼寝でもしているのかと思っていた。あの頃は。

 




 王は何をしているか分からない不気味さはあるけれど、能力者なのは確かだ。だが娘は駄目だ。王の弟が生きている間に少しずつ成績が悪くなり、亡くなってからは拍車がかかった。

 そんな話を耳にしたのはいつだっただろうか。


 フィルリーネは見た目がいいので、いるだけで周りが華やいだ。遠目に見て惚ける者も少なくない。

 カノイも初めて見た時は、王女という者は下々と顔の造形や雰囲気まで違うのだな。と納得したくらいだった。

 マリオンネの人間は常人よりずっと見目がいいと聞いていたから、マリオンネから力を得る王族も同じなのだと考えていた。

 けれど城に入り、王女と接する者たちを見る機会が増えて、顔と頭は比例しないことを確認した。

 あの王女は駄目だ。


 念願の政務官になって仕事を覚え始めた頃、入ってきた話に中央政務室は騒然となった。

「フィルリーネ様に政務をやらせる!?」

「王は何を考えてそのようなことを!?」


 その話を聞いた時、耳を疑った。外に出たら同じ物を大量に購入したり、無駄に金を使って国内を回ったりするような女が、政務?

 中央の政務室から人を出し、フィルリーネ専用の政務室を作る。そこに人をやると言われて、どれだけ自分だけは選ばれるなと祈ったことか。


 そうして、運なく選ばれた政務官たちが左遷された。移動になった者全員が左遷だと思っただろう。フィルリーネに仕事を教えながら政務などと、嫌がらせとしか言いようがない。

 フィルリーネは聞いているのかいないのか、人の説明に、ふうん。と言って書類をぱらぱらするだけ。当時十三歳だったが、計算ができるのか不安になったくらいだ。


 初めの内は、この項目は何か、この内容は何か、と聞くことはあった。国王に命じられたので仕方なしにやっている雰囲気はあったが、それでも質問をするくらいは気持ちがあったと思う。演技と知らなかったその時は、そう思っていた。そう思っていたが。


「あの王女、読んでいるふりして、全く読んでいないんじゃないのか?」

 同僚のガオモエルが顔色を悪くして、先ほど印が押された書類を見直している。普通だったら却下されるような内容も、ぽんぽん押して、今は部屋で見たいと言って、書類を持って行ってしまった。


「ここの説明をした方が良かったんじゃないのか?」

「説明をして理解できるのか!?」


 もういっそのこと書類を見せないで、不可にしたいところだが、不可は不可の印が必要だ。その印はフィルリーネと直属の補佐官が持っており、借りることもできない。ちなみに補佐官はフィルリーネが馬鹿なのをいいことに、別の仕事があると言って、どこかへ暇つぶしに行ってしまうような男だった。

 のちに、フィルリーネに邪魔だと言われて罷免されるが、この頃はいた。


「そんな重要な書類じゃないだろう、って言ったまま部屋に籠もられて。あの書類ちゃんと持って帰ってくるよな?」

 それはフィルリーネに聞くしかない。皆が真っ青になって待っていると、二時も過ぎた頃に持って帰ってきていた。シワだらけになっていたので、この書類の上で寝ていたんじゃないか疑惑が持ち上がる。


 フィルリーネの政務は、そんなことばかりだった。

 毎回書類が全部あるのか確認し、印は全て押されているか、可として押して良かったのか、もしもの場合はフィルリーネに意見をしなければならないと、毎回胃をきりきりさせて働いていた。


 そんな時、おかしな帳簿を見付けた。

 数字が合わない。


「どうかしたか?」

 ガオモエルはカノイの表情に何か察したと、顔を出してきた。見ていた書類に目を通すが、何があるのかと顔を見遣る。


「ここの数字が、他の書類と合わないんだ」

「どこの書類だ。よく覚えていたな」


 それは数日前に見たもので、中央政務室に持って行ってしまっている。言うと、ガオモエルは勘違いじゃないのか? と気にしないそぶりを見せた。最近、ガオモエルもやる気がない。

 それはそうだと思う。フィルリーネに教えていても本人はやる気がないし、こちらが確認しても正式に印を押すのはフィルリーネ。補佐は遊びに出掛け戻って来ず、全体的に士気も落ちている。


 折角政務官になれたのに、自分がここにいる意味が無いような気がしてくる。流れで適当に行うのが妥当なのか。皆はそうなりつつあった。




「変な顔をしているぞ」


 前髪が伸びてきていたのか、前髪で目の前が見えなくなるほど下を向いて廊下をとぼとぼ歩いていると、アシュタルが声を掛けてきた。

 アシュタルはフィルリーネの警備をしていたが、この度昇進して、王騎士団に入団した注目の若手だ。四つしか違わないのにこの差は何だろうと思う。

 アシュタルはフィルリーネの警備で苦労をしていたので、フィルリーネ付きの政務官たちを気に掛けてくれていた。


「書類の不備が多くて……。姫様が任されたこともあって、変な書類が増えているんだ」

「適当だからな、あの方は」

 事もなげに言われて、それが普通になっていくのが怖くなった。

「この国は腐っていくみたいだ」


 小さな呟きにカノイははっとした。王騎士団に言う話ではない。すぐに顔を上げて笑ってごまかしたけれど、アシュタルは神妙な顔をしていた。

「最近疲れてるだけ。姫様の相手って、思ったより大変だから」


 それこそ言うことではない。ははは。と力なく笑って過ごそうとしたら、アシュタルは笑って返した。それにホッとすると、ぽそりと言われた。

「その気になること、目を付けられずに調べられるか?」


 ばっと顔を上げれば、アシュタルは廊下を真っ直ぐ見たまま。カノイには顔を向けようとしなかった。それでカノイもそうした。

 今、周囲に聞かれていい話をしていない。


「分かりました。やります」

 大きく頷いて言いやった決意は、人生の分かれ道に足を踏み入れた、最初の時だった。





「これって、まさか……」

 調べろと背中を押されて、誰にも気付かれずに書類をあさって数日後、カノイは自分が見付けた証拠に、確信を得た。


 これで決定的だ。あの人にこんな真似ができるとは思わなかったけれど、やっていたっておかしくないかもしれない。だってあの王の娘だ。

 走ってアシュタルを探して、見付けた時のカノイは満面の笑顔だったらしい。


「分かったんです。誰が不正に操作してたか! 姫様が……」

「声がでかい」


 むが、と顔を手の平で押さえつけられて、興奮していた勢いを消された。落ち着かなければならない。しかし、この証拠できっと大きく行政が変わる。そんな気持ちいっぱいで、観葉植物に隠れたベンチに促されて座り、見付けた証拠を出して、誰が犯人だったかをのべつ幕無し言い述べると、アシュタルはまず注意を口にした。


「声に気を付けろ。周囲を見て、自分が何を考えているか悟られないようにするんだ。表情だけじゃない。視線や仕草、全てだ。そうでないと気付かれる」


 それはそうだ。あまりに嬉しくて興奮し過ぎてしまった。大きく息を吐けと言われて吸って吐いてすると、後ろから聞いたことのある声が届いた。


「そうよ。丸わかり」


 ぎょっとするより、一瞬止まった。見たことのある一番見たくない人間が、自分の後ろで笑っている。しかも毒を含んだ、物凄い悪役顔だ。にんまり笑って、悪女そのものの笑いがこちらに向いている。


 仰け反ってベンチから落ちそうになるところを、その人が逃げられないように肩を鷲掴みにした。その時の気持ちを、今でも述べたい。


 もう死んだ。僕、死んだ。この女に切り刻まれて死ぬ姿が想像できた。


「気を付けることね。はい、合格」

 ぽんと渡された書類に、今度は目が回りそうだった。ばさりと渡された書類は、フィルリーネが部屋に持っていった物だ。これは中央政務室に戻したのに、なぜ彼女が持っているのだろうか。


「こっちが本筋よ。誰が行なっているか調べてちょうだい。それは、私が作った偽物の書類。結構巧妙に隠したつもりだったんだけれど、よく分かったわね」

「え。え!?」


 にんまり笑ったままのフィルリーネの言葉が理解できない。隣にいるアシュタルは可哀想な子を見るような視線をカノイに向け、同情するように言った。


「騙されたんだよ、この方に。残念だが、お前も選ばれた一人だ。頑張って働けよ」

「え。ええ!?」

「優しくしてくる奴には気を付けるんだな。話した相手が敵でない可能性はない」

「そうよ。人の言葉を素直に信じるものじゃないわ。この城は魔物の巣窟だもの」


 その言葉を聞いて真っ先に思い付いた顔は、真っ赤な口紅をして、にやりと口角を上げた。





 その日の夜はご飯も口に入らなかった。馬鹿だと思って罵っていた人が、最大の悪い顔で人を脅すのだ。


「大丈夫よ。カノイ。暇ならたくさんお仕事あげるから。不正なんてころころ転がっているんですもの、一生懸命探してね」


 そんな言葉と共に、フィルリーネはカノイに周囲を監視する役目もくれた。


 僕は普通の凡人だ。ただ政務を行いたいだけである。王女の政務室に左遷された僕は、無用の仕事も押し付けられて、いつも無給で働いている。

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