第20話 情報2
「ルヴィアーレ様、あの、フィルリーネ様はなんと言うか、たまに気まぐれでして」
カノイはしどろもどろと口にする。もうフォローの言葉が思い付かないと、あの、えっとを繰り返す。
あまりにも唐突だった。この間仕事がつまらないと言っていたので、今度はそうきたかと周りは思っているだろう。
「構いません。仕事も進むでしょう」
遠慮なしの言葉に、カノイが逆に顔を引き攣らせた。フィルリーネの部下がいる前で、笑顔で言う言葉ではない。しかも、いつもよりずっと機嫌の良さそうな笑顔に見えた。気のせいではない。
あの二人に挟まれて仕事をしている身としては、正直なところどちらかはいない方が精神的に助かる。どちらかと言うか、片方と言うかだが。
フィルリーネがいなくなると、ルヴィアーレの書類の確認が早くなった。フィルリーネに合わせていたようだ。遠慮をしていたのかと勘違いしそうになるが、書類をじっくり見たいだけなのかとも思う。
時折時間を掛けて見たり、計算し直したりするので、内容の把握に勤めているのが分かった。フィルリーネの書類の見方とは別物だ。
フィルリーネがいないと政務もはかどり、終わるのはあっという間だった。いつもこれくらい早いと助かる。明日からもそうだと思うと、少しだけ気が楽になった。
ルヴィアーレは終わると退出し、後片付けは政務室にいる者たちが行う。資料を片し終えたら、書類を中央政務室に移動させるのだ。フィルリーネがこの間突撃した部屋だ。
あの後、中央政務室は大変なことになっていた。王騎士団がイカラジャを連れて行くと、そのままイカラジャは政務官を罷免となり、中央政務室は混乱の渦になった。イカラジャの仕事は途中で引き継ぎも行えず、イカラジャの仕事がどうなっているのかの確認に追われたのだ。
自分たちも後でその手伝いをしなければならない。フィルリーネの仕事は少ないので、王女付きの政務官は中央の手伝いをするのが常なのだ。
「まったく、あの方にも困ったものだ。ルヴィアーレ様が不憫だな」
一緒に書類を運んでいる同僚のガオモエルが、溜め息混じりに言った。皆そう思っているだろうが、ルヴィアーレの前では言えない。政務室から離れて廊下を進んでいる時に、ガオモエルがうんざりした様子を見せた。
「お陰で僕は助かってるけど。フィルリーネ様が見るよりちゃんと見てくれる感じはするし、明日からはもっとはかどると思う」
「まあ、それは確かに」
自分があの王女を相手にするわけではないから、そんなに被害はないとガオモエルは言う。その言い方こそルヴィアーレに失礼だと思うが、自分に被害がないからいいのだろう。
ガオモエルはフィルリーネの文句を中央政務室に辿り着くまで一通り言い続けた。概ね皆が言っていることなので、カノイも頷く。
資料を置き終えると別の仕事に携わり、一日が終わる。その後に王騎士団の団員がうろつき、また問題はないか確認に来た。人の姿を見てフィルリーネの様子を聞いてきたりしたが、イカラジャのいの字も聞いていないと答えると、相手は苦笑いしかできなかった。
「ルヴィアーレ様も部屋にいらっしゃったのだろう?」
「いましたよ。無言でしたけれど」
「内心面食らっただろうな」
「面食らうのはいつものことだと思います」
そう言うと、王騎士団のアシュタルは、ぶふ、っと笑う。
「ルヴィアーレ様も難儀だな」
言う割に楽しそうだ。むしろ楽しんでいるように思える。アシュタルはフィルリーネに無理難題を頼まれやすいので、ガオモエルと違って対岸の火事ではないのだが。自分と同じで耐性がある分、少し他人事だ。
「明日からお出掛けらしいです」
「ああ」
聞いているのだろう、アシュタルはちろりと周囲を目で確認した。誰もいないことを確認したのではない。中庭の見える外廊下を歩きながら、アシュタルはベンチが置かれた袋小路にある休憩所を見遣ってそこに向かった。植物の飾られたベンチの後ろに誰がいるかなんて、誰も見ていない。
「悪かったわね」
ベンチに座った後ろから、透明感のある声音が届いた。
「ほんとですよ。ルヴィアーレ様はむしろ嬉しそうでしたけど」
「でしょうね」
白の膝丈のジャケットに黒と金で襟元や裾を刺繍された政務官の格好をしたフィルリーネは、髪をまとめて本を持ったまま休憩をしている。
他にも人はいるが、陰になって顔は見えないだろう。
王女であり目立つ顔立ちをしているくせに、なぜ、堂々とうろつけるのかと思う。そう思っていたが、自分の知らない魔導が掛けられていて、特定の人間以外は別人に見えるそうだ。
それ、先に言ってよ。
しかし、念のため隠れて動いているとか。
能力のある人が何をするかなんて、僕には想像がつかない。僕はただの凡人だ。
「明日からカサダリア行くのって、やっぱりイカラジャ様の故郷巡りですか? そしたら、航空艇で行かれるんですよね?」
「いいえ、列車で行くわ」
「列車ですか??」
航空艇ならば一日も掛からない場所に行くのに、わざわざ列車で行くとなると、本当に遊びに行くようだ。時間がない割に悠長なことをするなと思ったら、アシュタルが肩を竦めた。
「他の町もついでに確認されるそうだ。だから、帰ってくるまで時間が掛かる」
「うわ、ご苦労様です」
そうなると、先々で宿泊することになる。気になるところに滞在しては、また抜け出すのだろう。
抜け出すって、夜とかに抜け出すらしい。いつも思うけれど、寝てるのかな。と疑問に思う。
「悪いけど、政務とルヴィアーレは頼むわ。まあ、私がいない方が仕事も進むでしょうし、ルヴィアーレの機嫌も良くなるでしょうから、楽でしょ?」
「そうですけど、ルヴィアーレ様と話したりしなくていいんですか? いつも笑ってる割に、結構毒舌ですよ、あの人」
「知ってる」
知っているだろうけれど、それを放置していていいのか疑問に思う。いくら王が決めたとはいえ、今後婚姻する相手だ。どうにもならなかったら本当に婚姻することになるのだし、少しは交流を深めた方がいいだろうに。
「仕事ぶりはどう?」
「優秀だと思います。多分ですけど、気になるところは計算用の紙に書いてます。渡した枚数より少なくなったことがあったので」
折りたたんでゴミ箱に入れるのをしっかり確認していることを、ルヴィアーレは知らないと思う。いや、知らなかったがすぐに気付いて、最近は破るようになった。破った破片を持ち帰っているのだろう。自分からは何も持ってこられないので、苦肉の策なのではないだろうか。
「それでも何か持って帰るなら、正確な数値が欲しいのね。何かなあ。不正の事実を気にしちゃったかしら」
フィルリーネはうーんと唸ったが、そんな当たり前に不正を見付けると考えているのだ。
アシュタルも気になったか、ルヴィアーレの能力について問うてきた。
「計算速いし、理解力速いし。視線の先見てましたけど、斜め読みしてるくせに読解力速いし、姫様と気が合うと思う」
「合わないわよ」
「合わないだろう」
なに二人で勢いよくハモっているのだろう。それはおいておいて、たまに止まる動きから考えると、書類の不備に気付いているのだと思う。フィルリーネが気にせず押す印を信じていないようで、押したものをよく再確認している。
「失礼なやつね」
ちっ、と舌打ちしたが、自分でも見直すと思う。アシュタルもそう思ったか、私も見ますね。と口に出した。
まあ、見るよね。だって、姫様が適当に確認した感満載だもの。確認してたって信用できないし。あのやる気なしダメ王女が見た書類の印を信じろという方が、無理な話だよ。僕だったら絶対確認するな。
しかし実情は、フィルリーネは高速で文字を読むという、常人ではあり得ないことをする人間だった。見ていないようで、計算もしているという天才である。
僕、もう驚きすぎて顎外れるかと思ったよ。ぱらぱらしてるだけで分かるんだってさ。何それ、意味分からない。
「慣れよ、慣れ。私は昔から叔父様の書類見てるんだもの。年間何を使ってどれくらい利用するかっていうのは覚えろって散々言われたし、覚えるわよ。だから数字が違うと、結構気付くのよね」
「気付きませんよ、そんなの。毎年数なんて微妙に違うんだし」
確かにおかしいと思うような気がすることはあるが、それが正解とは断定できない。そこまで自分の記憶力に自信がない。確認するならまだしも、フィルリーネは確認なしに間違いだと分かる。書類の数は年間膨大な量であるのに。
フィルリーネは、それが分かるなら分かるでしょう? と問うてくる。
分からないよ。
「姫様、あの不正どうするんですか? いつも通り書類の複製は作ってますし、入れ替えもしときますけど」
「まだ出さなくていいわ。しまっておいて」
「僕の宝箱は、不正の証拠だらけです」
「素敵じゃない」
それを隠し続けるこちらの気持ちも考えてほしい。口を尖らすとアシュタルはただ笑うだけだ。
この精神的苦痛は、分からないだろうね。
「フィルリーネ様から道具をいただいているんだろう? 問題ないさ」
確かに、フィルリーネから保管用の道具をもらってはいる。そこに強力な魔導が掛けられていて他人が開けられないようにされているわけだが、ここ数年の悪事の証拠をずっと持っている、その精神的不安は拭いようがない。
「大丈夫よ。やる時は一思いにやるから。その時を楽しみにしていなさい」
一斉物取りを行うのだと、フィルリーネはほくそ笑む。自分からは顔は見えないが、絶対悪い顔をしている。本当のフィルリーネは、悪役真っ青の悪い顔が得意だ。
僕は、本物の姫様を敵に回す方がよほど怖いと思う。馬鹿丸出しフィルリーネは怖いじゃなくて、面倒臭いだけ。
「ルヴィアーレは案外面倒そうだから、その辺は気を付けておいてね。彼もここにいて何するか分からないわ」
「ただの優男に見えないですよね。特に何を言うわけでもないんですけど、あの笑顔の中が怖いなって。姫様と同じ感じの演技」
「あんな笑い方しないわよ」
「姫様がルヴィアーレ様みたいな笑い方したら、僕寒気で死んじゃうかも」
「どういう意味よ」
フィルリーネは怒気を込めた。隣でアシュタルが頷いているのは見えないだろうが、アシュタルも同意見だ。
「何頼まれるんだろうって怯えちゃいますよ。姫様の無茶振り、本当に無茶だから」
「悪かったわねえ」
冗談めいているけれど、ダメ王女の後始末は結構大変だ。フィルリーネも分かっているだろうが、ダメ王女の依頼は本当に突飛で、時折素っ頓狂な声を上げそうになる。
ダメ王女の相手をしている時の僕は、真実の僕だ。
「ルヴィアーレ様のことは僕なりに観察はしますけど、姫様並みの人だったら僕じゃ分からないですよ。あの笑顔だって、姫様に言われるまで謙虚で穏やかな人なんだって信じてたし。最近じゃ毒舌放つから、実は嫌なんだなって思い始めたくらいですから」
「カノイのことは少しは信用してる感じがするから、そのまま手伝ってもらいながら世間話でもしてよ。無理になんてしなくていいから、カノイの普通で」
「分かりました。後で報告しますね」
自分の報告をどう解釈するかはフィルリーネの仕事だ。自分はありのままを話して、自分の意見は後回しにする。自分の意見とフィルリーネが感じる意見は違うのだ。それを痛感する。
「ルヴィアーレが嘘くさいのは最初からだけど、私がいる時ほど警戒はないからね。いなくなったら少しは気が楽になって、何か話してくれるといいんだけど、無理よねえ」
ルヴィアーレはそこまで警戒対象なのか。と再度理解する。
夫婦になっちゃったらどうするんだろね、この二人。
「まあ、気を付けて行ってきてくださいね。お土産待ってます」
そんな冗談を言って、フィルリーネを送り出す。
あの人はきっと、笑いながら苦しみを見せないだろう。
僕たちはその苦しみを消すための手伝いを、ほんの少ししているだけにすぎない。
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